余暇の善用というべきか、コロナウィルスで足止めを食って家に籠ることになり、その機会を利用して今年読んだ本のうちの2冊の感想を纏めました。感想とは言いながら教えられることが多く広く推奨したい2冊でした。
2冊のうち最初に読んだのは(1)エドワード・スノウデンの「Permanent Record(「独白-消せない記憶」)」、次に読んだのは(2)フレデリック・ピエルッチの「The American Trap アメリカが仕掛ける巧妙な経済戦争を暴く」でした。いずれも標題が英語になっていますが前者は英語で読んだため、後者は標題が英語でした。
もっともそれに続けて副題的な日本語が続いています。私はだいたい本は書評を読んでから買いますが(2)の場合は例外で本屋で手に取ってその場で買いました。日ごろ目に入りにくい英米と違う国の本を読みたい気持ちもありました。(1)は英紙の評を読んで買いました。早々に翻訳が出たのは予想外でしたが翻訳が良くないという幾つかの評判が目に止まりました。私も書店で手に取ってみましたがチェックした個所に問題があるとは思いませんでした。著者のスノウデンは注意深い書き方をしてい
ますが、そもそも日進月歩のIT(情報技術)に関する説明は難しいので英文でも読みやすいとは言えませんでした。翻訳に対する苦情はその点を割り引いて受け止める必要があると思います。(2)はフランス語からの翻訳で3人の仏語翻訳者が手分けして翻訳した上にコーディネーターが付き、その上に監訳者がいるという念の入ったものです。監訳者が文責は自分にあると明言していることからもただ名前を貸しただけではない良心的、模範的な翻訳だと思います。原著も著者が拘束中から書き溜めたメモを基にした細部にわたる手記に練達のジャーナリストが協力して完成したものです。複雑な事件の推移は51もの章に整理されていて、多岐にわたる事柄が説得力を持って迫ってきます。腰帯に「仏2019人権文学賞受賞!」という文字が躍っています。この2冊に共通する感想を一言でいえば、世の動きはめまぐるしい、今日のアメリカは昨日のアメリカではない、今日の日本は昨日の日本かもしれない、ということでした。
The American Trap
アメリカが仕掛ける巧妙な経済戦争を暴く
フレデリック・ピエルッチ
著者のピエルッチはフランスを代表する大企業アルストム社の幹部社員であった。それがある日ケネディ空港に降り立った途端、アメリカの法律で逮捕され、そのまま未決の状態で5年にわたってアメリカの拘置所に留めおかれた。
誰しも何故だと思うだろう。訳の分からないまま、屈辱的な犯罪人並みの拘束の下で、検察官の言いなりの現地の弁護士とラチの明かない対話を重ね、フランスの領事館に細々とした絆を築いて日を重ねなければならなかった。やがておぼろげに見えてきたのは、インドネシア企業に対するアルストラム社の10年前の贈賄事件だった。それは犯罪事件であるとしてもピエルッチはアメリカの検察官も認めるように大きな鎖の輪の一つにすぎなかった。
アメリカの裁判は最後まで明らかにしなかったが、ピエルッチが到達した結論は、彼はGE社がアルストム社を手中に収めるために仕掛けた陰謀の人質にされたということだ。彼の拘置が長引き、いつまでも裁判が開かれなかったのはGE社の意図する買収のメドが付くまでに時間がかかったからに外ならない。
アルストム社は、無能な弁護士のための費用を払い、ピエルッチの給料を支払い続けるほかにはなんら救いの手を差し伸べていない。それは味方であるはずのアルストム社の最高経営者パトリック・クロンがアメリカの法の手がわが身に及ぶことを恐れて、ピエルッチを身代わりにすることを望んだからである。
本書は一つにはピエルッチが送られた代用監獄(未決の留置場)の苦痛に満ちた生活記録であるが、それは同時にアメリカの検察官に素手で向かうことを余儀なくされた個人の闘争記録である。日本の司直の手を逃れて国外に逃走したカルロス・ゴーンの記憶はまだわれわれの記憶に新しく、有罪率が99%を超えるという裁判制度は再考の必要があると思わされたものである。その考えを変える必要はないが、ここでアメリカの有罪率がスターリン治下のソ連並みに高い98.5%だと聞かされ、利益を優先する民営化によって衛生や給付状態が極端に切り詰められたアメリカの拘置所は日本よりもはるかに劣悪な状態にあることを知らされる。収容所内の暴力や警備員の程度の低さなども視野に入ってくる。当然ながらピエルッチは一刻も早く保釈を得て拘置所の外に出たいと望むが検察官は高圧的なだけであり、弁護士は無能で何を言っても暖簾に腕押しでしかない。このようにしてピエルッチが突き当たる四方の壁はカフカ的な不条理の世界そのものである。
故意か無能か、おそらくその双方によって弁護士から知識が得られないままに著者は有り余る時間を利用して自らを救わなければならなかった。彼はまず彼自身が絡めとられている海外腐敗行為防止法(Foreign Corrupt Practices Act=FCPA)の研究を始める。妻の協力で手に入れた800頁に上る資料で判例を熟読することによって彼はこの法律に通暁するにいたった。留置所における法律関係は「合衆国政府vs. ピエルッチ」であっても著者はその背後にある「GE 社vs.アルストム」という巨大な政治的綱引きに引き入れられていく。
複雑なこの事件を理解するためにはアメリカが独自に世界の企業に適用するFCPAを理解しなければならない。FCPAは外国官吏への贈賄を防止することを目的として1977年に米国連邦法として制定された。ところがこの法律がアメリカの企業だけに適用されるのは国際競争上不公平であるという声が高まり、その結果FCPAは1998年に修正され、外国企業や外国人へも適用が拡大されたのである。
この修正によってアメリカは外国企業を起訴できる法律上の根拠を手に入れた。外国企業がドル建てで契約を結んだり、その取引に関するEメールがアメリカにあるサーバーを経由したり、保存されるだけでFCPAが適用される対象となった。つまりFCPAの修正法は「アメリカの産業を弱体化させ得る法律から一変して、外国企業に介入できる、経済戦争を勝ち抜くためのこのうえない手段になったのだ。」
実際の適用面では1977年から2001年の間、司法省が摘発したのは21社にとどまり、その多くがマイナーな企業であった。ところが2000年代半ばから司法省とSECはしきりに外国人や外国企業を摘発するようになる。この法律の切れ味を試すかのように、外国人の医師を(医師は公共のサービスに従事するからという理由で)「公務員」として裁判にかけて製薬会社の起訴につなげることもした。
このように、ピエルッチとアルストム社が良い実例となるが、FCPAは手段として利用されるだけでなく、その適用も極めて選択的である。2004年にFCPA 違反で企業が支払った罰金の総額は1,000万ドルにすぎなかったものが2016年には27億ドルへと急増している。同時多発テロを契機として米国愛国者法はアメリカの政府機関(NSA,CIA,FBIなど)に外国企業やその従業員に対する諜報活動を行う権限を大幅に認めた。これらの機関による活動は2013年にエドワード・スノウデンによって暴露され、アメリカのデジタル産業の大手が自国の諜報機関に情報を提供していたことが世界に知れ渡ったのであった。
450頁に及ぶ本書はそのページのすべてに次から次へと驚きの記述がある。それをわずか3,000字ほどに要約するのは至難の業である。この本の伝えるものは著者が身をもって体験したアメリカの司法制度の腐敗—―-彼は「司法省は独立した組織などではない。ずっと以前から、アメリカの巨大多国籍企業の影響下にあるのだ」と断言している—―と並んでその司法が域外適用される法律を制定して他国にまで適用している実状である。この状態をWarfare (戦争)になぞらえて”Lawfare”(法律戦争) と呼ぶ専門家もいる。これはアメリカのネオコンに属する研究者によって推奨されたもので、法律制度を、敵とみなした相手に適用し、相手を違法状態に陥らせ、最大限のダメージを与えて、強制的に従わせるという手法である。
本書はその末尾にFCPAの活躍の成果の一覧表がある。それには2008年から2018年までの間に合計26社からアメリカの司法が召し上げた罰金総額が出ている。それによれば、ヨーロッパ 5,339 (単位100万ドル、以下同じ)、アメリカ 1,774, その他 1,759で総計は8,872となる。ヨーロッパに含まれるアルストム社は772で全体の2位,その他に含まれる日本はパナソニック、日揮の2社計498.8である。全体の1位はドイツ、シーメンス社の800となっている。
金融機関については国際的経済制裁違反、あるいはマネーローンダリング防止法違反により課された罰金額の多いものを並べたリストがある。15の事例のうち末位を占めるアメリカのモルガン・チェースを除くすべてがヨーロッパの銀行である。額は破格に大きく、1位のBNPパリバ銀行だけでほぼ90億ドルと前掲のECPA違反の罰金額に相当する。
わたしが本書を手に取った理由は、しばしば、しかし断片的に報じられる巨大企業に課される巨額の懲罰金の全体像を知りたいということであった。本書を読んでその目的が達せられたばかりでなく、その取引の背後にある恣意的で巨大な権力構造を伺い知ることもできた。長い間、「世界の警官」として闊歩してきたアメリカはいつの間にか「世界の検察官」の衣服をまとうようになっていた。巨額の罰金をアメリカの国庫に召し上げられるヨーロッパや日本の巨大企業はそれなりの悪事を働いていたという単純な印象には裏があった。アジアや中東の政府がからむビジネス取引には必ずと言ってよいほどそれを仲介するロビイストが絡んでいる。そのロビイストがその働きに対して外国企業から受け取る報酬の一部が政府関係者に渡れば、それはすなわち、それを支払った事業者の犯罪というのではビジネスは成り立たない。ロビイストの本場でもあるアメリカの大企業はどのようにしてこれらの国々のビジネスを獲得しているのだろうかという当然の疑問もわいてくる。
GE社は、手強い競争相手であるアルストム社を手に入れたいと望んだ。そして手に入れた。本書の著者であるピエルッチは、FCPAの域外適用という幻影におびえるアルストム社のトップ、パトリック・クロンの当座の代理人として、いつ終わるともしれぬ監禁の身であった。ピエルッチはその渦中にあって自ら追い続けた事件の一部始終を本書に盛り込んだ。
ジャーナリズムの主要な一部に“investigative journalism”と呼ばれるジャンルがある。ニクソン大統領の弾劾に一役買った当時のワシントン・ポストの2人の記者、バーンステインとウッドワードの目覚ましい働きが脚光を浴びたことは未だに記憶に新しい。日本ではこれは「調査ジャーナリズム」などと訳されるが「権力者による隠蔽の暴露」の側面を加味した訳語が欲しい。いずれにせよピエルッチは拘束された身をもってしてそれを独力で成し遂げたのである。
私にとってはもう一つ思わざる発見があった。FCPAは1977年、かのウオーターゲート事件を受けて制定されたというくだりである。当時のアメリカ大統領を辞任に追い込んだ政界スキャンダルの捜査過程で、大規模な闇資金ルートと外国公務員への贈収賄が明るみに出されアメリカの400企業が捜査対象とされた。「上院委員会の報告書では、アメリカの防衛産業大手のロッキード社の取締役が数千万ドルの賄賂を支払ったことが明るみにでた。賄賂の支払先は、イタリアや西ドイツ、オランダ、日本、サウジアラビアの有力政治家や公的企業の幹部で、自社の戦闘機の売り込みが目的である」という。この事件ではオランダのユリアナ女王の夫であるベルンハルト殿下へも100万ドルほど渡ったことが明らかにされている。そうであれば日本のいわゆる「ロッキード事件」なるものはアメリカの思うようにならない田中角栄首相を追い落とすためにアメリカによって仕組まれたという説は全体像をはずれたかなり怪しい説だと言うことになる。
Permanent Record (「独白—消せない記憶」) Edward Snowden
最後の内部告発となるか?
チェルシー・マニング、ジュリアン・アサンジュ、そして本書のエドワード・スノウデン(以下、スノウデン)と内部告発のヒーローが引き続いて世に現れた。それぞれが、ITを活用・濫用し、自らを国内外の法律の埒外に置く国家、アメリカの諜報活動、人権の侵害に対する反応である点においては共通しているが、告発の動機は同一ではない。本書はこの3人の最後に登場したスノウデンが熟慮の末に起こした行動の記録である。本書は順を追って、著者の生い立ち、IT発展の歴史と現状、内部告発を完成させるための苦心、さらにはそのまま苦境に置かれ続けている著者の現況の四つの要素からなっており、それぞれが抑えた筆致で適切に説明されている。とりわけ内部告発の実行とその後の脱出行は事実であるだけにいかなるスリラーよりも迫力があり、これまでのマスメディアの報道からは明かされなかった多くの事実が明らかにされている。
ここではこの最後の要素のうち何が著者を行動に駆り立てたかに注目したい。公務員としてCIAへの職に就くにあたってスノウデンは憲法への忠誠を誓う必要があったが、権利章典と呼ばれる憲法の修正条項1-10条は法の執行に制約を加え、国民の利益を守るものであることを知った。とりわけその4条は、「不合理な捜索及び逮捕押収に対し、身体、住居、書類及び所有物の安全を保障される人民の権利はこれを侵害してはならない」とするものでスノウデンがCIAやNSAで従事し日々見聞する実情は明らかに憲法に違反するばかりか憲法に戦いを挑むものであった。ましてや技術の急速な進歩とその恣意的な適用は誰もが全体像を知ることのない情報世界を創り出している。CIAの高官が外部の講演会で大胆に語った言葉を引用すれば「技術は政府や法律の追随を許さないスピードで前進している。」「あなた方は自分たちの権利とは何か、自分たちのデータを所有しているのは誰かと問うべきである。」これが地位の低いスタッフの言葉であったなら即刻クビになっていただろうとスノウデンは言う。
スノウデンを行動に駆り立てたのはこのようにして国民のプライヴァシーが侵され、つまりは国民の自由が奪われることに対する強い危機意識である。スノウデンはロシアに亡命したのではない。アメリカ政府の干渉を避けて選んだ香港からエクアドールへの飛行ルートはモスクワを経由していた。その行程をいち早く察知したアメリカ政府はスノウデンの旅券を無効としその通告を受けたロシア政府はスノウデンを、その意に反して、足止めにしたのであった。個人に対する監視システムがここまで発達したからにはスノウデン以後に内部告発者が現れることはあるまいと思わざるを得ない。
単なる内部告発者の手記として本書を手にする人は著者が取り組まねばならなかった問題のスケールに圧倒されずにはいないだろう。われわれは、ゲシュタポ、スタージ、さらには特高・思想警察などが跳梁した時代を持っているがここにあるのはその後も無傷のまま残った秘密警察である。
これと並べて注意すべきことはアイゼンハウアー大統領をして嘆息せしめた産軍複合体がますます怪異なまでに肥大していることである。スノウデン自身はCIAあるいはNSAの主要スタッフとして働いているがほとんどの期間、ITソリューションを専門とするデル社の派遣社員であった。つまり国家の秘密警察組織そのものが民間にアウトソース(下請け)されているのである。これは小さな政府を良しとするアメリカ流の効率主義ばかりでなく、いざという場合の責任の所在ともかかわっているだろう。