マーティン・スコセッシが2006年に短編映画コンテストで入賞した学生に「私は映画史を知らず古典映画も見ていないのですが、なにを見るべきかアドバイスはありますか?」と聞かれたことがあった。これに対して後日秘書を通して送った映画制作をやる人の「ジャンプ・スタートになる」作品のリストを以下に示してみた。
スコセッシは1942年生まれだからわれわれと同じ年代の映画人と考えてよいだろう。このリストはベスト39とは言っていないし、アメリカ映画も入っていないけれど、そういう前提で自分の映画歴と照らし合わせて検討すると面白い。
われわれの学生時代はよく映画を見たものだと思う。映画全盛時代で立ち見も当たり前だった。小平の語学の授業で先生が映画を話題にすることがあった。”Brief Encounter”が「逢い引き」という題になったのに対して岩田一男助教授はこれは「つかの間の逢瀬」であるべきであると批判したし、菊池亘助教授は「ジャン・マレーなんてどこがいいんでしょうね」というお考えだった。山田和男教授は「二十四の瞳」の英語題名は何がいいですかと聞かれて即座に“Twelve Pairs of Eyes”と答えたと『英語こぼれ話』に書いていた。映画好きの大塚金之助教授も負けてはいない。復刊『エルメス』第一号の巻頭論文の中でサルトル原作の映画「狂熱の孤独」でミシェル・モルガンが脊髄注射を受ける場面の注射の位置が違うと指摘されていた。後年になるが都留重人教授は朝日新聞で一時映画評論を書いておられた。
Pクラスの森耕二君は1,300本ほど見たという映画からえらんだ『心に残る映画百三十九本』という私家版の映画マニュアルを出版した。私はその本の恵贈を受けたが只ほど高いものはない。「感想を述べよ」というご下命を受けたが139本もの映画の感想は難しい。そこで「私の映画史」を書いてお茶を濁すことにしたが私も結構たくさん見ていることに気づいた。しかし時すでに遅し。数回にわたって書き継いだがまだ終わったのか終わらないのか分からない状態でいる。2017年のことで、熱も入ったのでその年の良い消夏法になった。
先にも書いたようにこのリストはベスト映画のリストではない。しかしそれでもやはり気になることはある。私は「第三の男」(キャロル・リード)、「野いちご」(イングマール・ベルイマン)、「灰とダイヤモンド」(アンジェイ・ワイダ)、「静かなドン」(セルゲイ・ゲラシモフ)、「大地」(サタヤジット・レイ)、「鶴は翔んでいく」(ミハイル・カラトーゾフ)などが気になる。米英合作の「アラビアのロレンス」を入れたい人もいるだろう。チャップリンの映画がないのはアメリカ映画に分類されているからだろうか。そういえばこのリストにはロシア映画は一本もない。アメリカ映画では「市民ケイン」(オーソン・ウエルズ)が多くの映画リストのトップを占めている。かつてフランスの「ゲームの規則」(ジャン・ルノワール)がそうだった。近年では小津安二郎の「東京物語」をよく見るようになった。
私はこの39本のうち日本作品の6本を入れて計16作品を見ている。自己採点では秀優良可に分けた採点で良ぐらいか。1970年代からあまり映画を見ないで来てしまった。ファスビンダー、ヴェンダース、ヘルツオークの西ドイツの三羽烏は名前を知っているだけだから何とか穴を埋めたい。
これとは別につい先ごろFT紙で50年間映画評論を担当してきたナイジェル・アンドリュース氏が退任するにあったって長文の回顧談を書いていた。彼はその50年間のベスト映画を列挙している。驚くこともないがスコセッシ氏と重複するものはない。判断の基準もあるが映画の世界も個人の趣向も多彩なのだ。日本映画では黒沢明の「影武者」が入っている。この記事も面白いが長くなるので割愛せざるを得ない。ただ一点、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」〈英語題名:Spirited Away 〉ナンバーワンを占めていることだ。私は漫画は小学校で卒業したつもりでいた。そのために今はここでも世の後塵を拝することになってしまった。
『メトロポリス』 フリッツ・ラング (1926年) ドイツ
『吸血鬼ノスフェラトゥ』 F・W・ムルナウ (1922年) ドイツ
『ドクトル・マブゼ』 フリッツ・ラング (1922年) ドイツ
『ナポレオン』 アベル・ガンス (1934年) フランス
『大いなる幻影』 ジャン・ルノワール (1937年) フランス
『ゲームの規則』 ジャン・ルノワール (1939年) フランス
『天井桟敷の人々』 マルセル・カルネ (1945年) フランス
『無防備都市』 ロベール・ロッセリーニ (1945年) イタリア
『戦火のかなた』 ロベール・ロッセリーニ (1946年) イタリア
『揺れる大地』 ルキノ・ヴィスコンティ (1948年) イタリア
『自転車泥棒』 ヴィットリオ・デ・シーカ (1948年) イタリア
『ウンベルトD』 ヴィットリオ・デ・シーカ (1951年) イタリア
『美女と野獣』 ジャン・コクトー (1946年) フランス
『東京物語』 小津安二郎 (1953年) 日本
『生きる』 黒澤明 (1952年) 日本
『七人の侍』 黒澤明 (1954年) 日本
『雨月物語』 溝口健二 (1953年) 日本
『山椒大夫』 溝口健二 (1954年) 日本
『天国と地獄』 黒澤明 (1963年) 日本
『いつもの見知らぬ男たち』 マリオ・モニチェリ (1958年) イタリア
『若者のすべて』 ルキノ・ヴィスコンティ (1960年) イタリア
『大人は判ってくれない』 フランソワ・トリュフォー (1959年) フランス
『ピアニストを撃て』 フランソワ・トリュフォー (1960年) フランス
『勝手にしやがれ』 ジャン=リュック・ゴダール (1959年) フランス
『はなればなれに』 ジャン=リュック・ゴダール (1964年) フランス
『追い越し野郎』 ディノ・リージ (1963年) イタリア
『情事』 ミケランジェロ・アントニオーニ (1960年) イタリア
『欲望』 ミケランジェロ・アントニオーニ (1966年) イギリス・イタリア
『革命前夜』 ベルナルド・ベルトルッチ (1964年) イギリス
『肉屋』 クロード・シャブロル (1969年) フランス
『ウイークエンド』 ジャン=リュック・ゴダール (1967年) フランス・イタリア
『絞死刑』 大島渚 (1968年) 日本
『四季を売る男』 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー (1971年) 西ドイツ
『不安と魂』 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー (1974年) 西ドイツ
『マリア・ブラウンの結婚』 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー (1979年) 西ドイツ
『さすらい』 ヴィム・ヴェンダース (1976年) 西ドイツ
『アメリカの友人』 ヴィム・ヴェンダース (1977年) 西ドイツ・フランス
『カスパー・ハウザーの謎』 ヴェルナー・ヘルツォーク (1974年) 西ドイツ
『アギーレ/神の怒り』 ヴェルナー・ヘルツォーク (1972年) 西ドイツ
参照:Martin Scorsese's List of 39 Foreign Films Every Filmmaker Should See Martin Scorsese's List — Colin Levy | Writer / Director