33年net諸兄姉どの(2021.06.27)
これは、「世界」7月号SEKAI Review of Books アメリカ白人社会と病、ジャーナリストの会田弘嗣(1951年~)のディートン夫妻『絶望死のアメリカ 資本主義がめざすべきもの』(2020年 邦訳 みすず書房)と社会学者ドナルド・ウォーレンの著書『ラディカル-センター』(1976年 未訳)の紹介記事である。
先日、フジPrime NEWSで伊吹文明が、次第に片隅に追いやられる清教徒の末裔の不満のパンドラの箱をトランプが開けてしまったと説明したが、この解説を読めば、そんな生易しいものではないことを知るであろう。
さらに、最近の100万部を超えるベストセラーになっているマイケル・サンデルの「実力も運のうち 能力主義は正義か?」の問題にも触れている。
彼は一定の基準を超えたら「くじ引きで大学の入学先を決めるべき」と提案している。
6月19日に朝日書評で荻上(おぎうえ)チキ(1981年生 東京大学大学院修士 評論家)マイケル・サンデルの本を批評して「共通善」とは何かを問うている。なぜか西田幾多郎なみの用語「善」が出てくるが、これをお読みいただければ、お分かりいただけるだろう。
我が国が緩やかであるが、アメリカの後を追っているのは確かだろう。
◎増加する白人中年層の死
ディートン夫妻はアメリカ人の死亡率や疾病率を調べる中で、偶然、異様なデー夕にぶつかった。働き盛りである45歳から54歳の白人中年層の死亡率が1990年代末期から上昇している。あり得ないことだった。医療・衛生の発達で、スペイン風邪流行など特殊状況を除き、20世紀には一貫して、アメリカ人全体の死亡率は下がってきた。その流れは今世紀に入っても続いていたが、分け入ってみると白人中年層だけ死亡率が上がりだしている。黒人やヒスパニック系など他の人種集団には見られない。他の先進国でも起きていない。さらに死因を調べると、心臓病などでの死亡は減っているのに、自殺、薬物中毒、アルコール性肝疾患による死者数が増えている。主として学歴が高卒以下(含む大学中退以下同じ))の白人中年層において、特に薬物中毒の死亡者が急上昇している。短い論議が示したのは、これらの事実だけであったが、衝撃だった『ディートン夫妻』はこうし白人中年層の死を「絶望死」とか名付けた。やがて多くの識者が、これこそが『トランプ現象』の奥底で起きている本質的問題に関わるのではないかと考えるようになった。 そうした問題意識に基づき、4年後に著書をまとめ、『絶望死』を生み出すアメリカ社会の病を仔細に描き出した。アメリカはもはや努力すれば報われる社会ではない。「アメリカン・ドリーム」は消滅した。いま眼前にあるのは信じられないような格差社会だ。『21世紀の資本』著者トマ・ピケテイらがつくる「世界格差データベース」(WID)よれぱ、近年でもっとも個人資産の格差が開いたのはオバマ政権時代の2014年には、上位10%の富裕層が総個人資産の73%を占有、下位50%はたったの1%だけだった。ディートンらはさらに、アメリカン・ドリームを支えていた「世代間移動性」が失われていることも指摘する。『絶望死のアメリカ』にも引用される、ハーバード大学のラジ・チェティ教授らの調査らによれば、1940年生まれのアメリカ人は30歳になれば、9割以上の人が親の所得を超えていったが、今30台で親の所得を超えているものは5割程度だ。親より豊かになることがアメリカン・ドリームの核心だとすれば、それを遂げる者は半数しかいない。いまの潮流が続けば、その数はますます減っていくであろう。仮に親を超えても、大多数にとって目の前に立ち塞がるのは絶望的なほどの格差の壁だ。
さらに、絶望死の背景にある問題は学歴格差であることにディートンらは気付く。白人中年層の絶望死の急上昇は高卒以下が引き起こしていた。大卒以上にはほとんど見られない。高卒以下の場合、世代が下がるほど絶望的に急増しており、中年に限らず若い年齢でも高い率を示している。 絶望死の死者数は2017年で15万8000人。これは「ボーイング737MAX機が毎日三機墜落して、乗員乗客が全員死亡するのとおなじだ。アフガニスタン、イラク戦争の18年間の米兵戦死者に相当する数の人々が、絶望死によりたった2週間でなくなっている計算になる。まさに見えない戦場だ。
なぜ、白人低学年層が絶望死に至るのか。1979~2017年の賃金の動きを見ると、白人労働者全体では毎年、年平均0.4%伸びているが、高卒以下の白人男性では年平均0.2%ずつ下がっている。この間に米経済は年平均2.5%成長している。つまり、高卒以ドの白人はまったく成長の恩恵にあずかれないばかりか貧しくなっている。大卒以上との賃金の差がどんどんと広がっている。
ディートンらは、絶望死の原因を単純に経済格差に帰してはいない。経済格差をもたらしたものは、1970年以降進む産業構造の変化(サービス産業化・金融化・IT化)だ。製造業全盛時代のアメリカには、何代にもわたり大工場で労働組合に守られ中流生活を謳歌した「高級ブルーカラー階級」が数多くいた。腕一本で大家族を養い、自分は受けられなかった大学教育を何人もの子に与えることができた。人々は次々とその階層にはい上っていった。
そうした製造業雇用は1979年からリーマン危機前の2007年までに500万以上失われ、同危機以降にも200万が一挙に失せた。労働組合も崩壊した。現在、民間部門の組合組織率は6%台にすぎない。労働者は流通・運輸などサービス産業で福利厚生も無く低賃金の非正規就業者となって浮遊し、やり場のなさに絶望し求職さえしなくなる。失業率にも反映されなくなる。
製造業と労働組合の崩壊は、職業への誇り組合を軸に形成されたさまざまな社交やコミュニティ活動も失う。派遣の非正規雇用では仕事先との一体感も形成されず、低賃金で家庭生活も崩壊していく。高学歴層世界と低学歴層世界に分かれる「階級仕会」が形成され、後者から前者に移動する希望は持てない。従来の社会は崩壊した。これを「封建化(feudalization)」と呼ぶ社会学者もいる。
★オピオイド禍・・・人の死で儲けた企業犯罪
ディートンらが著書で厳しく断罪するのは、そうして絶望の淵に沈んだ人々を食い物にするように薬物中毒に誘い込み莫大な利益を手にした大手製薬会社の「企業犯罪」と、他の先進諸国に比べて圧倒的に高い医療費を国民に強いながら、平均余命を始め国民の健康レベルは最低というアメリカの医療制度だ。
低学歴白人の絶望死のうち最も数が多く、急増傾向を見せたのは薬物中毒死であり、その原因となった代表的な薬物はオピオイドである。2017年の薬物中毒死70,237人(ベトナム戦争での米兵死者数を上回る)のうち四分の一は医師が鎮痛剤として処方したオビオイドに起因する。このオピオイドをもたらしたのは、1995年の製薬会社パデュー・ファーマによるオピオイドの商品化であり、食品医薬品局(FDA)の安易な承認だ。さらに医師による意図的な過剰処方を取り締まりしにくくした製薬業界ロビストと連邦議会議員らの責任もある。「企業がここまで直接的に人の死で儲けることなど滅多にない」とディートンらは断罪する。パデュー社に対しては多くの訴訟が起こされて同社は敗訴し、2019年に破産申請して、1兆3000億円相当の依存症対策費を支払うことになる。1990年代からのオピオイドの売り上げは3兆8500億円、その三分の一、約40万人の死者と400万人の依存症患者を考えれば、罰は見合わない。オピオイド禍を描く地方紙記者のノンフイクション『DoPEs―cK』(光文社、2020年)の翻訳にあたったジャーナリストの神保哲夫は、同書の解説でその不条理を突いている。(以下略)
この間、労働者は逆に貧しくなっている。進んだのは極端な富の集中だけだ。裕福になったのは上位10%だけ、下位90%はみな下降に転じている状況であり、「ジェフ・ベソス(アマゾンの共同設立者)、ビルゲイツ、ウォーレン・バフェット(世界最大の投資持株会社であるバークシャ・ハサウェイの筆頭株主であり、同社の会長兼CEOを務める。)、たった三人のアメリカ人の資産額の合計が、国民の下位50%の合計資産額に並ぶ」という。
(以下50万人を超えるホームレスの存在、収容者140万人を超える刑務所国家に関する著述は略)
ディートン夫妻が絶望死現象に気づいていた最初の小論文を公表してから三ケ月で、2016年大統領選挙の.二大政党候補者選びの州ごとの予備選挙や党員大会が始まった。
一部のジャーナリストが注目したのは、絶望死とトランプ支持率の関連であった。白人中年層の死亡率データなどを手掛かりに分析していくと、明らかに関連が見えた。高卒以下の白人は圧倒的にトランプ支持で、その割合は三分の二に及ぶ。ワシントンーポスト紙は2016年3月段階で予備選における郡レベルでのトランプ票の動向と白人中年層(四十歳から六四歳)の死亡率をグラフ化し、明らかに関連性があることを見つけた(同年3月4日付同紙)。ディートンらの著書が掲げる白人中年層の死亡率の郡別地図と人統領選の結果の郡別投票動向地図を重ねても、同様の傾向に気付く。
彼らを死に迫いやり、そうならずともトランプの元に走らせるのは絶望的な格差や貧困、家庭と社会の崩壊……だけなのか。もっと厳しい状況にもある黒人やヒスパニックらは死には向かっていない。
そのことを考えるうえで重要なことを早くに示唆したのが、冒頭に紹介したウォレンの『ラディカル-センター』だ。ウォレンは1970年代に(サイレント・マジョリティー声なき多数派)」と呼ばれ、ニクソン大統領や第三党候補として南部から大統領選挙に挑んだジョージ・ウォレス候補を支持した白人労働者階級について徹底的なフィールド調査を行なった。そこに描かれる二大政党の仕組みでは 、政治から疎外された人々こそ、トランプ支持者の前身であった。ウォレンは90年代に亡くなったが、その代表作は「トランプ現象」の最中に鋭敏な知識人らによって再発見されていった。
『ラディカル-センター』の冒頭、前書きの代わりにウォレンは一通の手紙を掲げた。フィ―ルド調査に参加した研究者からの悩みの告白の手紙だ。そこで表明されているのは、政治哲学者マイケル・サンデルがいま、差別問題の最後の課題として突き付けている能力主義・学歴差別の問題である。ウォレン宛ての手紙で研究者はこう述べた。
「成果(学歴)」と道義性(善)を関連づけている限り、高い学歴を得たアメリカ人は他者との関係において、自己より学歴の低い者を道義性が低いと見てしまう・・・この溝を 乗り越えて、研究者は白人労働者階級の抱く深い苦悩を読み解き、伝えていかねばならない」
この問題は能力主義・学歴偏重主義がますますはびこるアメリカ文化の核心にかかわる。研究者のいうように、アメリカ人は成果の高い者は道義的にも高いと考える。1950年代末の能力主義(メリトクラシー)という用語をつくったイギリスの社会学者マイケルーヤングは、能力主義を否定した。成果を生んだ勝者の驕りと、敗者の怒りを必ず生むからだという。怒りは勝者が敗者を見下すことへの反発だ。いまアメリカで起きているトランプ現象と絶望死は、この勝者の『見下し』への反動である。ディートンらによる絶望死に関する最初の小報告が出た直後、保守派論客口スー・ダウサットは「エリート-ネグレクト(elite neglect)」が根底にあると指摘した。学歴の高い社会のエリートたちに見下され、蔑しろにされているという感覚だ。トランプ支持者らを「人種差別主義者」とくくって見下げるような視点が戻りつつあるが、そこに陥穿はないか。
「絶望死」をタイトルとするこの2書は、そのことをあらためて問い掛けている。(終わり)
tomatsu@mx9.tiki.ne.jp
2021/06/27 19:15
少々長い論文で我ら年寄りが完読するには少なからず抵抗もあろうが、是非全文読んで欲しい力作である。
この問題を取り扱った最新の内外の著書が幾つか紹介されており、市畑君がそれらすべてを読んだとは思われないが、彼が米国白人層の「絶望死」問題に取り組みしっかり勉強されたことには脱帽である。僕は最後の勤務地米国から戻って以来20数年間、恥ずかしながら不勉強で、激しく変化している米国社会の深層に首を突っ込むことがなかっただけに、本文を読ませて頂き、この病が始まっていた頃の米国が「ああそうだったのか」と今にしてよくわかったという感じである。 戸松