様々な表現

時制表現

淵薫に文法範疇としての時制は存在しない。

必要に応じて、回想助動詞sure(≒過去)や推量副詞qar(≒未来)を用いる。

yibut zārihatu hūte preba.

彼は学校に行くと思う。

yibut zārihatu hūte prebi.

彼は学校に行ったと思う。

yibut zārihatu hūte prebe sura.

彼は学校に行くと思った。

yibut zārihatu hūte prebe suri.

彼は学校に行ったと思った。

yibut qēwa zārihatu hūte sure preba.

彼はあの時に学校に行ったと思う。(qēwa:あの時に)

yibut qēwa zārihatu hūte sure prebi.

彼はあの時に学校に行こうとしていたと思う。

相については、定述語の語尾によって常に完了と未完了とを区別する。

完了相や未完了相であることを明示するには、副詞krayiを用いる。

krayi krīxe hepra. 今向かいます。(krīxe:行く)

krayi kīre hepri. 今到着しました。(kīre:着く)

継続相は完了形で、進行相は未完了形で表されるが、

これらの相を完了相や未完了相と区別して明示するには、副詞krewを用いる。

krew krīxe hepra. 今向かっています。

krew kīre hepri. 既に到着しております。

習慣や反復については既に述べた通り、未完了複数の形を用いて表す。

なお、恒常的、普遍的な事柄についても未完了形で表すことができるが、この場合は複数でなくてもよい。

動作全体(=動作の一部始終)を言いたい場合には、一般に未完了形を用いる。

ただし、基準時において完了しているならば、完了形を用いることもある。

※基準時とは、主文ならば発話時点、副文(従属節)ならば主節の時点を意味する。

可能と不可能

可能表現では、副詞のsuhとsukruが用いられる。

状況可能はsuhで表され、状況可能はその否定文で表される。

能力可能はsukreで表され、能力可能はその否定文か、suhで表される。

※suhが状況可能か能力可能かを問わずに使える点に注意。

kaya klūm sukru wēmi.

私は絵が描けない。(klūmeh:絵、wēme:描く)

hīma klūm suh wēmi. = hīma klūm sukru wēme nepli.

彼は絵が描ける。

部分否定

部分否定は、否定の対象となる要素の前に副詞hūzuを置くことで示す。

ただし、否定の対象が名詞であるときはhūzuが形容詞として使われ、語尾変化もする。この場合には名詞の後ろに置くこともできる。

同格

同格関係にある名詞AとBを並べるときには、Aがまず原形で置かれ、その後ろにBだけが格語尾を伴って置かれる。

(3つ以上並べる場合でも、最後の名詞だけが格語尾を伴う。)

kūyay kālay 我々人類が(kūyay(原形):我々、kālayur:人類)

※呼格の同格は、AとBの両方に呼格語尾が付いていてもよい。

※特徴形は格を持たないので、同格表現を作ることができない。

埋め込み

文を従属節として埋め込むとき、kreという補助動詞を用いることがある。

qayle nekla kālō kre suh ayre nepla. ①

以前どうやって生活していたのか思い出せない。

このように、kreは埋め込み句の末尾に置かれる。

埋め込み句は、平叙文であっても疑問文であってもよい。

また、kreは原則として活用しない。

qayle nekla kāle suh ayre neplō. ②

②はkreを使わず、動詞kāleの接続形と助動詞ayreで①と同じ内容を表した文である。

①ではkāleとayreがそれぞれ相(ここでは両方とも未完了相)に応じて活用しているのに対し、

②ではkāleの相しか表されていない。

このように、kreを使った埋め込みは、接続形を用いるよりも従属節の独立度が高いという特徴がある。

なお、母音で終わる語の直後にkreが置かれると、kreが縮約されて-cとなることがある。

qayle nekla kālōc suh ayre nepla.