齋藤百竹の詠んだ猩々軕

「大垣城隍祭史」(明治8年)に、猩々軕に関する以下の様な記述が見られる。

この内容は齋藤百竹によって書かれたもので、当時の文化人に軕がどう映ったか、また、当時の軕と現在の軕の違いを知ることができる。

江風陣陣月妍妍

吹起笛声蘆荻辺

酔舞酣歌不知飽

海中仙学酒中仙

壺変牡丹猩変獅

一時游戯十分奇

年々枉費機関線

只有郭郎鮑老知

猩猩山車属宮街。

曲芸用散楽、車上設一層勾欄、中置幔亭、前出大板床上置大酒壺、猩猩屢舞屢歩、倚壺顔、火速口之鯨飲。

竟為玉山頽之状。既而壺化為牡丹、猩猩変作獅獅、狂舞蹁躚良久而罷也。

幔用紺色文錦、幕用紅羅紗。

帳用黄羅紗、繍白沢避怪図。

黄帝内伝云白沢者神獣名。

其上題五言古風短篇云、黄帝東巡国、白沢克玄論、賢君明俊徳、天祥降子孫。用小篆文。

これを書き下すと、

江風陣陣として、月妍妍たり。

吹き起こる笛声、蘆荻の辺。

酔舞酣歌飽くを知らず。

海中の仙、酒中の仙を学ぶ。

壺、牡丹に変じ、猩、獅に変ず。

一時の游戯十分奇なり。

年々枉げて機関の線を費す。

只有り、郭郎・鮑老の知。

猩猩山車、宮街に属す。

曲芸は散楽を用ゐ、車の上に一層の勾欄を設へ、中に幔亭を置き、前へ出づる大板床の上に大酒壺を置き、猩猩屢舞ひ屢歩み、壺に顔を倚せ、火速にして之を口にし鯨飲す。

竟に玉山頽るるの状と為す。

既にして壺化けて牡丹と為し、猩猩変じて獅獅と作し、狂ひて舞ふこと蹁躚として、良や久しくして罷むるなり。

幔は紺色の文錦を用ゐ、幕は紅羅紗を用ゐる。

帳は黄羅紗を用ゐ、繍は白沢怪を避くる図なり。

黄帝内伝云はく、白沢は神獣の名なりと。

其の上に「五言古風短篇」と題して云はく、「黄帝国を東巡す、白沢玄論を克くし、賢君俊徳を明らかにし、天祥子孫に降る」と。小篆文を用ゐる。

となる。これに従って現代語訳すると通り。

潯陽江の風は盛んに吹き、月は美しく艶かしい。

吹き起こる笛の声、芦や荻の生える河畔。

酔って舞い、酒を嗜んで歌うことは飽きることを知らない。

海中の仙が酒中の仙を学ぶ。

壺は牡丹に変化し、猩々は獅子に変化する。

ひとときの戯れだが十分に素晴らしい。

毎年毎年絡繰りの糸を多く費やす。

郭郎と鮑老の知があるばかりである。

猩々軕は宮町に属する。

曲芸には散楽を用い、軕の上に一層の勾欄を設け、中に幔亭を置き、前に突き出る樋の上に大酒壺を置き、猩々は何度も舞い、何歩も歩み、壺に顔を伏せて、一気にこれを口にして鯨飲する。

とうとう美しい猩々も酔いつぶれた様子になる。

そうこうしている内に壺は牡丹に変化し、猩々は獅子に変化して、狂ってくるくると舞い、しばらくして酔いが覚める。

水引には紺色の文錦を用い、幕には紅羅紗を用いる。

見送り幕には黄羅紗を用い、刺繍は白沢怪を避くる図である。

黄帝内伝に曰く、白沢は神獣の名である。

その上に「五言古風短篇」と題して言うには、「黄帝が国を東巡した。白沢には非常に優れた見解を述べる能力があり、それによって賢明な君主は高い徳を顕し、天からの吉祥が子孫に降った」と。小篆を用いている。

七言律詩は全体として猩々軕の絡繰り芸を詠んでいる。

以下、それについて解説と考察を加える。

《首聯》

謡曲「猩々」で、高風が潯陽江の河畔で猩々に会ったときの状況を元にした表現が多い。

第一句の「江風陣陣」は「秋風の吹けども吹けども」と「浦風の秋の調めや」から、

「月妍妍」は「月星は隈もなし」からと考えられる。

第二句は「笛の音が風のように芦や萩の生えた河畔を渡っていく」と解釈でき、

これは謡曲の「芦の葉の笛を吹き 浪の鼓どうど打ち 声すみ渡る浦風の」を踏まえたものだろう。

《頷聯》

第三句は謡曲「猩々」における酒宴の様子を、からくり芸に重ねて詠んだものと思われる。

第四句の「海中仙」は、海(潯陽江)に棲む猩々のことだろう。

「酒中仙」は、杜甫の『飲中八仙歌』のうち、李白を詠んだ一節にある表現である。

李白一斗詩百篇 (李白は一斗、詩百篇)=李白は酒を一斗飲む間に百篇の詩を作る。

長安市上酒家眠 (長安の市上 酒家に眠り)=長安の町なかにある酒場で眠ってしまい、

天子呼来不上船 (天子呼び来れども船に上らず)=君主が呼びに来たのに、泥酔していてその船にうまく乗り込めない。

自称臣是酒中仙 (自ら称す、臣は是れ酒中の仙と)=そこで李白が自分を称して言うには「私は酒に溺れた仙人であります」と。

しかし、「海中仙学酒中仙」の意味するところはよく分からない。

《頸聯》

第五句では芸の流れを端的に詠み、第六句ではそれを評価している。

《尾聯》

第七句は頸聯に続き、芸について詠んでいる。

第八句に登場する「郭郎」「鮑老」とは、宋の時代に中国で流行した人形劇の登場人物で、楊億(楊大年)が「傀儡詩」に詠んだことで有名である。

鮑老当筵笑郭郎 (鮑老、筵に当たりて郭郎を笑ふ)=鮑老が酒席で郭郎を笑った。

笑他舞袖太郎当 (他を笑ふは舞ふ袖太だ郎当たればなり)=彼(郭郎)を笑ったのは、(郭郎の)舞う袖が非常にだぶだぶだったからである。

若教鮑老当筵舞 (若し鮑老をして筵に当たりて舞はしめば)=もし鮑老を酒席で舞わせたならば、

転更郎当舞袖長 (転た更に郎当として舞ふ袖長からむ)=鮑老の舞う袖こそますます更にだぶだぶで長いだろうに。

しかし、第四句と同様に、「只有郭郎鮑老知」の意味するところはよく分からない。

郭郎と鮑老、あるいは傀儡詩のような漢詩が後軕袖板に書いてあったということも考えられるが、やはり憶測の域を出ない。

※左側面の後軕袖板には漢文が書かれていたという、古老の話がある。