受身と使役と打消

受身

受身には自発被動の二種類がある。

自発自然とそうなるときや、状態の変化に着目するときに使われ、

被動動作主から恩恵または被害を受けたことに着目するときや、動きそのものに意識が向けられるときに使われる。

一般に、自発は主語が無生であるとき、被動は主語が有生であるときに使われやすい。

どちらの場合も、被動者は主格か原形で、動作主は奪格で表される。

間接受身や持主受身、自動詞の受身、副主語の受身も可能である。

なお、受身の文では動詞の語幹に特徴母音の付けられたものが使われるが、これを動詞の特徴形と呼ぶ。

自発

動詞の特徴形に動詞tureを続けることで表す。

yibut hay hiqov luyli turas.

この建物は彼によって建てられた。(luyle:建てる)

被動

動詞の特徴形に動詞sukleを続けることで表す。

kaya hiqov kūt xiba sukli.

私は彼に腕を掴まれた。(kūteh:腕、xibe:掴む)

厳密には「luyliture」「xibasukle」という受身動詞が形成されているのだが、慣例として上記のように解釈および表記する。

したがって、アクセントは「特徴形+ture/sukle」で一語とみなして「luylíture」「xibásukle」となる。

また、いかなる語も、特徴形とture/sukleとの間には置くことができない。

使役

例えば「私は臣下にこれを書かせる」を淵薫で言うときは、

まず、「臣下はこれを書く」という文を作る。

sepray yibut wēta.

臣下はこれを書く。(seprayur:臣下、wēte:書く)

これに助動詞bureを付けると使役の文となる。

sepray yibut wēte bura.

臣下にこれを書かせる。

使役者は省略可だが、省略しない場合、bureの副主語としてbureの直前に特徴形で置く。

sepray yibut wēte kūnu bura.

私は臣下にこれを書かせる。

また、放任は助動詞sopreを使って同様に表される。

himuv nuh hūte sopre sukle!

彼を行かせるな。

なお、使役受身は存在しない。

※そもそも淵薫の使役文は被使役者が主語となっており、使役受身的である。先の「sepray yibut wēte bura.」は「臣下はこれを書かされる」とも訳せる。

打消

打消は、否定の一種である。

動詞の特徴形に、否定助動詞nepleを続けることによって表す。

主語は否定文と同様、主格か分格をとる。

通常の否定文は、「ある動作が行われない」「ある状態ではない」ということを単に述べるものであるが、

打消文は必ず、「否定」自体を焦点とする。

つまり、「(肯定ではなく)否定である」ということを主張・強調するときに用いられるのが、打消文である。

kaya hūtu n(epl)a. / kūni hūtu n(epl)a.

私は行かない(行きやしない/行きはしない/行くことはない)。

なお、特徴形の動詞とnepleの間には、いかなる語も挿入できない。