俗アルカを使った作品に関する個人的見解
小説資料は本当に必要か
アルカを存続するには、様々な形での活動を継続的に行っていく必要があり、
小説を始めとする文学的資料も十分に必要性があると言える。
素人が執筆したものは資料足り得るか
素人のものであれ玄人のものであれ、
その作品は現在のアルカの在り方を示すものと言える。
よって、素人の執筆した作品でも第一級の資料たりえる。
小説を書くにあたってどうしても比喩表現が発生したりするが、俗幻語として追加しても良いのか
比喩表現等の修辞技法は、その文化に依存するところが大きく、
本来の世界観と矛盾が発生しないよう、できるだけ検討する必要がある。
検討の結果、カルディアの文化と整合性があるもののみを使用するとし、
又、辞書に記載する必要があると認められた場合のみ、俗アルカ辞典に追加するものとしたい。
データはどのような形で公開し、残すべきか
できるだけ多くの環境で見られるような形式でインターネット上に公開し、
自由に閲覧やダウンロードが可能な形が良い。
残すという点では、オンラインとオフラインのどちらにもデータを置いておくのが良いだろう。
形式は既存のアルカの小説を踏襲すべきか
我々がいま読むことのできるアルカの小説は、
それ自体がアルバザードにおける小説の一般的な形とは考えにくく、
よって、必ずしもそれらを踏襲する必要はない。
日本語対訳は必要か
ある方が良い。
後々まで残すことを考えるならば、アルカ以外の最低でも一つの言語で対訳したものが必要だろう。
語法や単語の変化で読めない箇所があっても対訳があれば補えるし、それによってアルカの変遷をよりよく把握できる。
アルバザードを舞台にしても良いのか
問題ない。
設定等は全て著者の一存で決めて構わないだろう。
但し、アルバザードには既にある程度の設定がなされているので、
多少それに足すことは良いだろうが、矛盾することがあってはならない。
既存アルカ小説での固有名詞は、個人名でなく組織や建物は、(おそらく読者の便宜を図るため)幻日に登録されていたりするが、俗幻ではどうすべきか
直ぐに登録するのは避けるべきだろう。
比喩表現などと同様、検討が必要である。