P大島昌二:「3・11大津波の対策を邪魔した男たち」島崎邦彦著23年3月31日青志社発行 2023.10.9 16:58   Home

 

「3・11大津波の対策を邪魔した男たち」 島崎邦彦著 23年3月31日青志社発行

 

「想定内」だった「想定外」

3・11の原発事故のもたらした被害は広く深い。それは人命を奪い、財産を奪い、土地を不毛に化したばかりではない。政治の方向を転換させ、経済を沈下させ、人々の生活の現在と未来を暗いものにした。もちろん表面的には事故が何故起ったのか、その原因はどこにあったのかについての論議は交された。その結果は、事故の原因は人知をもっては計りがたい「想定外」のものとされ、今や忘れ去られようとしている。罪は存在しないか、薄められて海中に放出され近隣諸国のブーイングを招いている。政府も電力会社も罰せられることはなく、国民だけがその負担を負い続けている。

地震学の専門家である著者の島崎邦彦氏は「(福島県沖の)大津波の警告は、2002年の夏、すでに発表されていた。この警告に従って対策していれば災いは防げたのだ。3.11大津波の被害も原発事故も防ぐことができたのである」という。著者は政府の地震調査推進本部の長期評価部会長であり2002年7月の「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」という報告をまとめて、「日本海溝沿いの三陸沖~房総沖のどこでも津波地震が起る可能性がある」とし、その可能性を「30年以内に20%」という数字も添えていた。

この「長期評価」の予測を受けて経産省の外局である保安院(現在は原子力規制委員会)は各電力会社に予想される津波の高さを計算することを要求し、計算された津波の高さに応じた対策を取ることを促した。ところが東京電力は「福島県沖には津波地震は起らない」という嘘を混じえた報告書によって保安院を騙し、その後も折あるごとに騙し続けたという。福島原発の津波に対する原発の脆弱性を知るが故の虚偽だったという。これが3・11の惨事にいたる事件の筋書きである。

後の祭と言いたくなる。惨事が起った後に公私にわたる無数のレポートが書かれたがその多くは津波による事故の発生以降の対処に関心を集中し、そこに至る過程については知られるところは乏しいままであった。原発事故は「想定外」、言うなれば人知をもってしては如何ともしがたいものとして暗黙の領域に押しやられたのである。ただどこからか「原子力村」という得体のしれない実態のあることが取りざたされ、風評として存在し続けた。

本書は風評に留まりかねない「原子力村」のヴェールをはぎ取る突破口として大いに歓迎すべき報告である。島崎氏は東電の抗弁に力を貸した多数の学者、専門家の名前を挙げて、東電はどのようにして自らを奈落に落とし込む虚偽を積み重ねたかを明らかにしている。多くの学者の事なかれ主義の言説が実名をもって指弾されている。その代表格と見られるのは要職を占め続けて学者の意見を取りまとめた阿部勝征東大地震研究所教授である。島崎氏自身も幾つもの審議会に名を連ねた要職者の1人である。従って本書は事情を知悉したインサイダーによる内部告発の一面を持っている。これに関しては、島崎氏は氏の知らないところで持たれた多くの秘密会議があったことを繰り返し述べている。彼はその見解を疎まれていつも蚊帳の外に置かれたかのようである。学者とはそういうものかと思わせるが、それにしても人を疑うことを知らない迂闊な人であるという感想を禁じ得ない。阿部教授はどのような抗弁をもっているだろうか。

大學や研究者にとっては文科省が配分する研究資金が欠かせないことは広く知られている。そこで本音を述べて自分ばかりでなく大学に害が及ぶ可能性を考慮しなければならない。それならば良心に忠実であるために学外の委員などは辞めれば良いと思うがそこまでの覚悟はないらしい。全体像を見ることが出来ないままに保身に走り、僅かの妥協と思いなして巨大な惨事に手を貸してしまっている。

このようにして本書は東電の隠蔽、虚偽に名前と力を貸した学者、専門家の責任を問うものであるが原子力村の住人はもちろん彼らだけではない。村の奥の院、鎮守の森には政治権力が居座っており、東電はそれと蜜月状態にあった。地震や津波の危険が周知の知識として広がれば、原発の稼働や建設が困難になり日本のエネルギー政策を揺るがしかねないのだ。

島崎氏は重ねていう。「30年以内に20%」という確率は「2011年の東日本大震災の発生によってリセットされたわけではない。依然として20%の確率で日本海溝沿いの三陸沖から房総沖にかけて津波地震の起る確率があるのだ。」

本書は自らと同じ道を歩んだ同僚たちの責任を問うだけでなく、依然として「30年以内に20%」の確率を持つ惨事から日本を守るための警告の書である。本書の出版社が広く知られた大出版社ではなく名の知れない弱小の出版社の手にゆだねられていることは大いに気になるところである。

 

事故調報告書を俎上に載せる

3・11原発事故にかかる調査報告書について塩谷喜雄著『原発事故報告書』を読んで私は以下のような書評をまとめていました。13年3月のことで、上に示した評との関連記事として以下に添付しました。

 

著者は、出そろった4つの事故調報告書を前にして「なんで事故調が4つもあるんだよ」と怒りを抑えられなかったという。読者とても同じ心境である。原発事故を個別に追う記事や報道は掃いて捨てるほどあるが、多額の税金を使って折角まとめられた事故調の報告書を冷めた目で比較検討して国民に提示したメディアはない。著者はその役目を引き受けてくれた。そして見事な成果を上げた。
 「同時多発の原発過酷事故」は3.11の日付を歴史に残した。しかし、その原因はもとより、その全容が明らかになるまでに、まだどれだけの時間がかかるかは誰にもわからない。現にすべての事故調報告書が出そろった今になっても議論の渦は収まる気配がない。つとにその存在が知られ公開が望まれていた東電のテレビ会議の録画ヴィデオの一部がようやく公開されたのは「すべての報告書が出そろったのを見計らった後」のことだった。「プライヴァシーにかかわる」という屁理屈がまかり通る不思議な国なのだ。
能天気な東電の報告書は論外とする。しかし残りの3つの事故調の報告書にしても、それぞれ重点の置き所が違い、重要な結論においても行き違いがあり、詰めの甘さは歴然としている。多数の委員を抱え、政府や国会といった権威と権限を背にした事故調が、事件後わずか1年4か月ほどの間に(発足した時点からはさらに短い)整合性を備えた満足のいく仕事ができるわけがない。当然、これらの報告書への批判も浮かび上がってくる。世界への発信を目指したという民間事故調の場合は東電の協力を得られないというハンディキャップも負っていた。
私は事故の発生直後から「イラ菅」こと、菅直人首相(当時)の吊し上げに没頭したマスメディアに不信の念を抱き続けた。「まさしく、事故は官邸で誰かがボタンを押し違えて起きたわけではない。官邸に事故の情報がもたらされた時点で、既にメルトダウンへの道は始まっており、首相の現地視察の10時間も前に、1号機はメルトダウンを起こしている。」メディアは安全神話の片棒を担いだだけでなく、ことここにいたっても罪を重ねていた。「同時多発の過酷事故」を安直な官邸ドラマに変換したのである。それこそが「今回の事故の核心部分だと受け取った読者、視聴者も多かったに違いない」。
これを一つの例として、著者の論旨は明快であり、その明快さが全編を貫いている。すでに3・11から2年の月日が経過しており、あらゆる人が「事故を風化させてはならない」という。「風化」とは何だろうか。この言葉によって人々は同じことを指しているだろうか。風化させないとは、事故の真の原因をきわめること、そしてそれを後世に伝え続けることではないだろうか。事故調の報告書をもって一応のケリがついたとすることは風化に肩を貸すことにほかならない。

 


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