アイアン・ロードと日本

U市畑進:2020.7.26

コロナも中々終息に向かわないですね。

社会的免疫が確立するまでは仕方がないというスタンスが見え見えです。

超長期高齢者は神に祈り、ただ自衛するばかりです。

NHKスペシャル「知られざる文明への道 アイアンロード」(ナビゲーター江口洋介、語り;守本奈美)と鉄の日本上陸の状況を書いてみました。

お楽しみください。イチハタ

33年ネット諸兄姉どの

我々の若き時代、「は国家なり」という時代だった。新日本製鉄に対する融資稟議も融資額欄に長期100億と入れ、以下省略で通った時代である.

最近、西はカスピ海の北からから東はモンゴル迄4000㎞のスキタイ大帝国があったことがはっきりしてきた。NHKスペシャル知られざる文明の道;アイアンロードを柱に鉄を日本迄追ってみる。なお、文中で引用する「日本の誕生;1997年;吉田孝著、岩波新書」畏友安田悠君のすすめで買った本で、今では僕の愛読書の一つである。

人類の最初の鉄は隕石であった。世界最古の鉄BC24,BC2年頃に作られた。現在のトルコにデミリという村、デミリとはトルコ語で鉄を意味する。

★BC17頃ヒッタイト帝国がハットゥシャを首都(アンカラより東へ145km)として勃興する。鉄の量産を行う。楔文字を粘土に残し、王族の贈り物は鉄であった。当時鉄は銀の40倍、金の8倍の価値があった。エジプト・ラムセス二世がBC1286年頃2万の大軍を率いて、ヒッタイトに侵攻、世に知られたガデッシュの戦いである。ヒッタイトは同盟軍の支援を得て、三人乗りの戦車と鉄武器でエジプトを撃退した。今も残る世界最古の平和条約が結ばれた、戦いが終われば対等の立場を宣言している。

BC12頃ヒッタイト帝国は忽然と姿を消す。

★宇宙考古学の発展により人工衛星から見た遺跡でみつかる鉄を追う

スキタイ王国(BC9~BC4)の登場、このヒッタイトの鉄製造技術をいち早く引き継いだスキタイ王国)、鉄によりカスピ海の北からモンゴルまでの広大な地域の覇権を握った。一時は鉄は金よりも貴重だったという。スキタイはBC8首都バガスールのプレート城に大規模な製鉄工場を起こした。スキタイ国のアルタイ山脈から出土したミイラは金髪であった。シルクロードよりも古く、人影もない辺境に王家の谷と言われた50以上の墓、50以上のミイラユーラシアの僻地に起こった文明があった。アイアンナイフの出土品、さらに、精巧な金細工も出土した。スキタイ人は、文字なく、記録なく、なぞの人々、いったい何者なのか? まだわからない。

スキタイの最大の発明は乗った馬をコントロールする鉄製の「銜(ハミ)」である。これによって人類の移動革命が起きる。次いで人類初めての騎馬軍団を生み出した。パラダイムの大変革だった。

日ロ戦争に登場するコサック騎兵隊、秋山好古の騎兵隊も、西部劇も競馬も「銜(ハミ)」のお陰だ。

鉄の道は天山路の北を東進し、二つ別れ、一つは当時青銅文化だった漢に入り、もう一方は匈奴に引き継がれた。モンゴル、オーステン・ボクラ遺跡の発掘によれば地下式の製鉄方法はスキタイから匈奴に引き継がれ、巨大な王のプレート城宮殿跡からは宮殿を囲み、鉄の武器を製造する12基の炉が見つかった。世界史上、類を見ない鉄の軍事国家が誕生していた。

の始皇帝は匈奴の侵入に悩まされ、万里の長城を作った。秦帝国は、わずか16年滅亡する。BC202年劉邦は、垓下の戦いで項羽に勝ち、漢を樹立する。しかし、建国間もない漢の矢じりは青銅製であった。秦に続き漢も匈奴の侵攻に悩まされた。匈奴の矢じりは10種類以上にもなり、二段歯構えの鉄製矢じりは鎧を破り、肉を切るという武器だった。白登山の戦い(はくとさん)で敗れた劉邦は、匈奴へ貢納物を献上するという屈辱的な和平を結んだ。漢は匈奴に属国扱いをうけることになる。しかし、漢では鉄のイノベーションが進み4mの高さの高炉を作り、炒鋼炉(精製炉)を作り純度を上げたと愛知大学の村上恭通は云っている。70年後、BC3、漢の7代武帝は、鉄製の新武器 「戟(ゲキ)(日本の鉾に似ている)」を作り、匈奴との戦いに挑んだ。匈奴も抵抗激しく戦闘のを激化を招いたが、属国からは脱した。一方では鉄製の「犂鏵(リカ)(草の根を切り、掘り起こす鉄製農機具、日本の鋤に当たる)」を生み出し、農地に恵まれない人に農地を与え、漢の時代、農産物の生産は2倍になったという。鉄が農業革命を起こした。鉄は弥生時代(BC400~AC260年)に初期に日本列島に達して斧や鑿を生み出し、大きな建造物や大型船を作り出し交易を始めている。以上NHKスペシャル知られざる文明の道;大略アイアンロードより)

★鉄の時代の到来

「このような卑弥呼(AC生年不明 242年~248年、弥生後期)を中心とする政治連合が、一体何を契機に形成されることになったのかということが、大きな問題として浮かび上かってきますが、これに対しては、鉄資源の入手ルートの支配権をめぐる問題と関係するのではないかと考える研究者が多くなっています。『三国志』の『魏書』の『東夷伝』に、「弁辰の条」があります。弁辰は弁韓のことで、朝鮮半島の東南部、今の釜山を中心とする地域です。弁辰は、鉄を産出する。「韓、滅(わい)、(日本の漢語名)みな従いてこれを取る」とあります。韓は朝鮮半島南部の諸国、減は朝鮮半島の東海岸の北寄りにいた種族です。倭は日本列島の人です。韓、濃、倭はみな弁辰の鉄を手に入れている。「諸々の市貰(しこ)みな鉄を用い」。各地の市における売買には、みんなこの鉄が用いられて、鉄が貨幣的な役割も果たしていた。弥生時代の終わりころ、倭国も本格的な鉄の時代になるのです。」(2020.3月第101期一橋フォーラム21;白石太一郎p9、1997年岩波新書「日本の誕生;吉田孝p40」にも同文の記述がある、ただし卑弥呼を中心とする政治連合の記述はなく、鉄が統一の速さの原因ではないかと書いているー「日本の誕生」とは23年の時差がある。その間に研究も進んでいる。)

そして、多くの研究者が一致して指摘しているように、交易品の中心はおそらく朝鮮半島の鉄資源であろう。鉄こそは倭が未開から文明へ賤躍する原動力であった。卑弥呼は鉄の流通機構を確保するために、魏(その出先の帯方郡;現在のソウルの南にあった郡、魏の支配下にあった。)、に依存しようとしたのではなかろうか(日本の誕生;吉田孝p40)。卑弥呼は魏の支配が及ぶとすぐに貢物を贈っている。

鉄の輸入確保とその分配が権力の源泉になっていた。と同時に鉄が貨幣として使われたというのは、初めて知った。

行田の稲荷山古墳―小生は2回訪れて居ますー鉄剣銘(471)で有名な雄略天皇(ワカタケル、418年~479年)の時代でも、日本列島には鉄、金、銀、銅が出なかった。

イチハタ