P戸松孝夫:P大島昌二「フィリピン日系人の戦中戦後」を読んで2019.6.8

大東亜戦争の悲惨な犠牲になった民間人として朝鮮、満州、支那からの引揚者の物語は日本人の誰もが知るところであり、僕たち家族も朝鮮から引き揚げた時の地獄体験を今でも鮮明に覚えているし、全財産を没収された後遺症はその後何十年かにわたり我が家の生活を苦しめた。しかし今回報告文にあるフィリピンへの移住者の家族のことは一般には殆ど知られてないようだし、僕も大島論文で初めて知った残酷な事実である。未だその後遺症が続いているとか、何とかhelpの手を差し伸べたい気持ちである。

それとは関係ないが、基本的な教養に欠ける僕は本文にあるrubber neck※なる語の意味を知らないので教えてほしい。

本文最後にスンガリー(松花江)の地名が出ているが、この名前のロシア料理店が新宿西口にあり、僕は現役時代よく出入りしていた。ここは歌手の加藤登紀子さんのご両親がやっておられた店だが、加藤さんご家族も満州からの引揚者で、戦前に住んでおられた松花江に因んだ店名である。僕がこの店に出入りしたのは登紀子さんの実兄(幹雄氏、36年種瀬ゼミ、元住友金属副社長)が僕の仕事仲間だったことが切っ掛けだが、幹雄氏は今は奥方様及び愛娘さんと、京都でキエフ(ウクライナの首府)という名のロシア料理店を営んでおり、時々登紀子さんも顔を出しておられるようだ。如水会仲間が関西に来られた時は、僕はキエフにご案内することにしているが、店主加藤幹雄さんは来客の如水会先輩にはいつも礼儀正しく、厚くおもてなしをしてくれるから僕の面子がたつ。

次回大阪京都方面に来られる折には事前に戸松へ連絡してください。

戸松孝夫

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