コロナの季節の拾い読み
(付録1)

P大島昌二:2020.10.23

 久しぶりに大学通りへ出て増田書店を覗いて見た。われわれの学生時代からあった書店である。一時は駅前に東西書店があったが今ではほかに富士見通りにブック・オフが一軒あるだけである。ここで気がついてさっそく訂正しなければない。増田書店は北口に同名の姉妹店を開いており、JRのビル中店舗のNONOWAの中にも小ぶりのしゃれた店がある。しかし昔ながらの本屋らしい本屋の体裁を維持している増田書店には希少価値があると思う。

 ITが活用されて出版の手数もコストも省かれたせいであろう、活字離れの世評にもかかわらず出版は相変わらず盛んである。昔ならば困難であったと思われる書物もよく出版されるようになっていると思う。

 店内に入ってさっそく目に着いたのは『憂鬱な愛人』という松岡譲の本である。彼は夏目漱石の弟子のひとりで漱石の娘である筆子の夫である。松岡のライバルとされた久米正雄はその失恋の経緯を著書『破船』に綴ったことは知っていたがこの本は知らなかった。漱石の取り巻きの間で松岡はなぜか評判が悪く、久米に同情が集まったらしいが作家である松岡の話も読んでみたい。とかく世間では一方の言い分を衆をなして担ぎ上げて「事実」としてしまう傾向が強い。悲しいことに、そういう「事実」を眉に唾をつけて検討するのが私の読書スタイルになってから久しい。

 松岡の本は大部であり、それも上下二巻になる。漱石の作品ももちろんであるが、漱石が日本で最も愛好されている作家であるからには当然興味が湧くがとりあえずはパスすることにした。それで買ったのは以下の4冊、消費税込みで計7,370円である。

小松由佳『人間の土地へ』

広瀬陽一『日本の中の朝鮮 金達寿』

遠藤耕太郎『万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜』

幸田文『男』

幸田文を除いてはあまり知られてない人ばかりと思うが私はこのうち小松由佳だけは知っていてこの4冊の中でも最初に目星をつけていた。彼女は2006年8月に世界第2の高峰K2の頂上をきわめた初の日本女性である。雪の山頂から目のくらむような眼下の谷を見下ろしている写真を私は切り取って保存していた。K2は登攀が「世界で最も困難な山」といわれる。2019年までの登頂者数は500人に満たず、うち4人に1人は下山途中に死亡している。女性の登頂者は2006年までに6人、うち3人は生きてキャンプに戻れなかった。これをエベレストの累計登頂者総数1万人超と比較すればその難易さは想像できる。

私はぜひ彼女の登頂記を読みたいと思っていたが日本での関心はあまり高まらなかったようで、彼女が参加した東海大学K2登山隊が出版した『K2苦難の道程(みちのり)』を読んでとりあえずの満足を得た。それは8,000メートル級の高峰登山のロジスティックスの問題を含む配慮の行き届いたドキュメンタリーで、高峰登山には必ず起り得る緊急事態を含めて十分に読み応えのあるものだった。要所に引用されている小松由佳の手記も迫力を添えていた。小松は当時24歳であったが一緒に頂上をきわめた青木達也は21歳で世界最年少の栄誉を担った。なぜか登山隊のレポートに青木の手記はないのは物足らなかった。

帰国した後に小松があるスポーツショップに勤務していることを知って私は三木会に呼んで話を聞きたいと思ったがすでに彼女はそこにはいなかった。

『日本の中の朝鮮 金達寿伝』にも思い出すことがあった。Pクラスではかつて『多摩湖線』という旧クラス雑誌を引きついだ雑誌を毎年出しておりその私はその11号(2002年号)に「金達寿のライフワークから」という一文を掲載していた。金達寿は『日本の中の朝鮮文化』と題するライフワークを講談社から出版していた。それは好評だったと見えて私が気づいた時は講談社文庫で再刊されていた時だった。最初の一冊は「相模・武蔵・上野・房総ほか」だったらしいが次第に興味が広がって「山城・摂津・和泉・河内」などと地域を広げていって全国に及んだらしい。

 私は文庫版が4冊ほど出たところまで買っていたが読むには至らないままいつ終わるとも知れない本を買うのを止めてしまった。やがて勤めを辞めてからそれを読むに至って面白さに引き込まれてしまった。人によっては、金達寿は古いものは何でもかんでも朝鮮に結び付けてしまうというが私が読む限りでは結びついてしまうのだから仕方がない。もちろんすべてが朝鮮文化ではないまでもほとんどが朝鮮経由ではある。金氏は日本各地を行脚して寺僧の話を聞き、日本人が顧みない遺物、遺跡をつぶさに調べている。

 手持ちの本を読み終わるころ私は国立市の公民館付属の図書館(市立図書館とは別)に講談社文庫(全12冊か)が置いてあることに気づいてそれを借り出して第6巻ぐらいまでは読んだと思う。ところがその後に行くとお目当ての『日本の中の朝鮮文化』は影も形もなかった。廃棄処分にされてしまったらしい。講談社にはほかに学術文庫というのがあってやがてそこから復刊される気配があったが内容に厚みのある2~3の地域だけで終わってしまった。いずれにしてもかなりの読者層があることを思わせる現象である。

金達寿は自伝を書いているがこの広瀬陽一のものは金氏の生涯に仮託して「(現代)日本のなかの朝鮮」を深く掘り下げたもののようである。私は日本人が嫌われているという国にあえて行くまでもないと思って韓国への旅行は大分時間が経ってからにしたがそれも30年ぐらい前のことになった。その時、立ち寄った慶州には奈良に似た印象を持ったし、そこの博物館の数多くの古代朝鮮の宝物を見て三種の神器とはこれだったのかと驚嘆したのだった。

金氏とは別に朴炳植(パクピョングシク)という米国在住の古代史研究家の『ヤマト渡来王朝の秘密』にも大分引き込まれた。朴氏はもう一冊の『日本語の発見 万葉集が読めてきた』の中で坂本太郎(歴史学者)、大野晋(言語学者)との交流について書いている。朴氏は大野晋の紹介で坂本太郎に会い、記紀、万葉の読み直しの必要性を力説し、老齢の坂本から「いよいよ、『日本書紀』や『万葉集』などを読み直さなくてはならない時が来た」と言われたと大野に報告している。記紀、万葉の謎解きには際限がなく、いまだに迷路をさ迷う感があり、前途は遼遠である。翻って大野は大野で、国語学に多大の貢献をした後に、日本語の源流を南インドのタミル語にさかのぼる新しい学問を切り開いていた。

『万葉集の起源』はこのような模索の延長線上にあるように見えるがそれは偶然で私の関心は別のところから来ていた。同書の「はじめに」にドナルド・キーンの次のような言葉が引用されている。「ところが日本人は何かに感動するとそれを俳句や短歌に込めようとしたがる。この伝統は失ってほしくない。」そして著者は「それから20年がたった今、この伝統は忘れられるどころか、ますます強くなっているようだ」と書いている。これは日本だけの「伝統」かもしれないがその発端は日本に限られていなかったことが知られている。

日本文学史の初めのあたりには「歌書」(ウタガキ。カガイとも読む)への言及があり「上代、男女が山や市などに集まって互いに歌を詠みかわし舞踏して遊んだ行事」であることが説明される。私はある時、韓国で人々が山林に集まって飲食と歌を楽しむ様子をテレビの番組で見て、これは歌垣ではないだろうかと思ったことがあった。その後で思い出したのは日本の盆踊りである。夜祭みたいなもので私が友達に誘われて出ていくのを見ると父は良い顔をしなかった。「あれは若い男女の交際の場だから、遅くまでいないで早く帰ってこい」というのである。夜が更けるにつれて踊りの輪が広がり、時に掛け合いのセリフが歌になって飛び出す。私は「前の姉さに惚れてもよいが…」という男のセリフや「夜遊びなぁさぁる…」という女性の歌声を覚えている。私は野道で前を歩いていた年頃の若い娘にこの男のセリフを歌って彼女に逃げられたことがあった。後ろを振り返ってみると声の主はまだ小学生ぐらいの子供なので彼女はもんぺの後ろ姿を振って笑いながら走り去ったのであった。

閑話休題。短歌の五・七・五・七・七の七五調も日本独特のものではない。アジアの他の言語でも見られ、大野晋はそれがタミル語にもあることを発見している(『大野晋の日本語相談』の座談会)。大野の説では、タミル文学が七五調だから日本文学は七五調なのだということになる。それもタミル語にたくさんある形式の中で、初等教育でいろいろなことを教えるいちばん易しいパターンが和歌の基本になったというのである。『万葉集の起源』の第一章は「歌垣とはなにか」で始まっている。読まないではいられない。

最後の幸田文の『男』を選んだのは私自身が男だからであるが、幸田露伴の娘である文女史の名文に日ごろ感服しているから迷いはなかった。第1回文化勲章受勲者の娘である彼女は昔風の父親に昔風にしつけられ、長じては苦難の生活を送った。作品はその苦難を苦難と思わせない明晰な筆致で終始している。講談社文芸文庫に収められたこの「男をめぐる初の随筆選」の表紙カバーには「男は黙ってよく働いている。だいじにしなければなあと思う」というおそらく幸田の文からの引用がある。男たるものこれを読んだら身が引き締まる思いをするのではないかと思う。

以上の4冊はいずれもこれから読もうと思う本である。何かの拍子で読めないままに積ん読(つんどく)になる可能性も否定できない。ただ『人間の土地へ』の小松由佳さんについては一言付け加えておきたい。彼女はその後カメラマンとして世界をめぐり、イスラム教に改宗してシリア人と結婚した。これから読むのはそこにいたるドラマである。

積ん読の山を見ると多少の罪悪感に襲われるが、私はそれを振り切ることに成功した。そもそも積ん読とは、いずれ読むつもりで購入した本を積み上げることである。その志は了とすべきである。私は昨年、書庫らしきものを作って本の整理をした。そこでいろいろの積ん読書を一覧することができ、手に取って何冊かは感心しながら読んだ。

その一冊に増田義郎著『日本人が世界史と衝突したとき』(1997年6月刊)がある。私は「歴史はつまらない」という孫殿に進呈して彼らを教化するつもりであったがページを開いて引き込まれるままに読了してしまった。この文化人類学者の書いた、日本人論でもある日本史は、日本を国際場裏において、その歴史を政治ばかりでなく文化面でも概観したものである。彼の指摘するところでは、日本はすでに縄文時代から国際的な影響下にあって大小の波はあってもその状況は絶えることがなかった。文化がいかに歴史を左右するものかについても改めて目を開かれた。増田の言によれば「日本史研究者たちは…厳格で不寛容な基本的概念に固執し…日本史の内的発展論理のごときものを信じ込んで、外的な影響や生態学的な条件を無視し、ひろい文明史の枠の中で日本史を見る包容力に欠けている…。」

森正之編集長からは、MMTについて一言ないかというメールを頂戴した。お前はその世界の禄を食んでいたではないかという言外の意味を読み取るのに吝かではないがいささか手に余る気がする。実は2009年5月の三木会で「討論、世界大不況」という題目を掲げて講演会を討論会に代えて開催したことがあった。すでに現場を離れて久しかったが、その時は金融派生商品、とりわけ一通りではない再証券化商品(ABS/CDO)の定義をめぐって議論が錯綜し、司会者は混乱を防ぐことができなかった。それを埋め合わせる意図を込めて私は2回にわたって『多摩湖線』(19号、20号)に「『2008年金融恐慌』覚え書き」を寄稿したのであったが、今では忘れ去られたことを蘇らせることができるので書いておいてよかったと思う。

東海大学K2登山隊 小松由佳氏(登山当時24歳・1982年生まれ)

メール添書き:コロナの季節の拾い読み(付録1)「息抜き編」をお送りします。写真一葉も添付してあります。大島昌二

👇小松由佳氏 拡大写真が頁最下部にあります。小松由佳wiki