P大島昌二:歩いて見た世界 ブルース・チャトウインの足跡 2022.7.21 Home

このところ半ば運動と心得て、外出を厭わなくなりました。とは言っても出かける先

はせいぜい美術館、映画館です。6月以来映画は「オフィサー・アンド・スパイ(ド

レフュス事件)」、「ナワルヌイ(ロシアの暗殺未遂事件)」それに以下にご紹介す

るブルース・チャトウインの生涯をめぐるドキュメンタリーです。いずれも力作で堪

能しました。コロナのお陰で映画を見直したと言えるかもしれません。


映画「歩いて見た世界 ブルース・チャトウインの足跡」を見てきました。チャトウ

インはデビュー作『パタゴニア』(1977年)で読書界に躍り出た作家で、私はこれに

よってパタゴニアという地名を知りました。それ以来一度は行って見たいと思ってい

たのですが日本からは北米経由で35時間かかる僻遠の地です。それをある旅行社が

チャーター機を雇ってタヒチ島(パペーテ)経由で25時間で連れてゆくという企画を

発表したので飛びつきました。出発は20年3月2日の予定で申し込んだのはその数か月

前です。やがてコロナ(Covid-19)の影響で各地で旅行制限が始まりましたがパタ

ゴニア(チリー/アルゼンチンの南端部)は警戒圏外のようでした。懸念はありまし

たが旅費は払い込んであるしリスクは想定内(calculated risk)と思うことにして

荷物も成田まで送りました。ところがフランス領であるタヒチで最後の段階でダメが

出て出発の前日にすべてご破算になりました。こんな事情がありましたから私にとっ

てこの映画は当然必見の作でした。


監督はドイツの巨匠ウエルナー・ヘルツォークでチャトウインとはオーストラリアの

アボリジナル社会を探訪している際に知り合ったといい、2人は既知で親密な間柄で

す。チャトウインはすでに故人でしたが、チャトウインと息を合わせたヘルツォーク

が多彩な映像を編集して1時間26分の映画に2時間を超える大作の重みを与えていま

す。ヘルツォークが語り手を勤め、画面には在りし日のチャトウインも登場します。

英語の原題は“NOMAD In the footsteps of Bruce Chatwin”とあるようにチャトウ

インの生涯をめぐるドキュメンタリーですがヘルツォークもヘルツォークの輝かしい

映画のシーンもスクリーンを賑わせています。言うなればヘルツォークはもう一人の

主役です。言い切ってしまえばこの2人の主人公は彼らが生きている文明に失望して

いる。そしてその点でこの2人は共鳴し合い、遊牧民のように「足で歩く旅」を続

け、画面の最後では彼らが最初に出会ったオーストラリアのアボリジニィの秘密に魅

せられています。


チャトウインは弱冠49歳で1989年に亡くなり、最初は風土病と伝えられましたが実際

はHIV ヴィールスに侵されていました。映画はチャトウインの死後に企画されたもの

でヘルツォークは作品の意図を次のように述べています。「この映画は世界観との出

会いであり、野生や本能との出会い、人間の本質や存在という大きな概念を探求して

います。」万人向きとは言えないかもしれませんが一見をお勧めします。


岩波ホールは名作に限定した映画の上映館として運営されてきましたがこの7月末に

閉館されます。従ってこの映画はその掉尾を飾るものということになります。19日火

曜日、200ほどある座席は6~7割の入りでした。前売りもせず、座席指定もしないの

で行きづらい映画館でしたので映画と疎遠な時期の続いた私とはさほど縁がありませ

んでした。それでも54年の間には7~8回は通ったかもしれません。


写真を4点添付しました。左から順に入口のポスター、待合室のコロナ警告とプログ

ラム、チャトウイン作品の邦訳の展示(作品の一部でもこれだの翻訳がある)、終焉

を告げるように過去の上映作品のポスターが展示してあった。そして最後におまけの

フィッツロイ山(3405m)。映画はパタゴニアの美観を紹介するものではなかった。

ヘリコプターで送り込まれた探険隊は吹雪で閉じ込められ天候が回復し救援のへりが

くるまで氷点下の岩穴に55時間(?)閉じ込められた。この方が快晴のフィッツロイ

を見るよりもはるかに臨場感があった。

大島昌二

入口のポスター

待合室のコロナ警告とプログラム

チャトウイン作品の邦訳の展示(作品の一部でもこれだの翻訳がある)

終焉を告げるように過去の上映作品のポスター

フィッツロイ山(3405m)。映画はパタゴニアの美観を紹介するものではなかった。ヘリコプターで送り込まれた探険隊は吹雪で閉じ込められ天候が回復し救援のへりがくるまで氷点下の岩穴に55時間(?)閉じ込められた。この方が快晴のフィッツロイを見るよりもはるかに臨場感があった。