世界の国々・感動編 


海外旅行をしていて、どこが良かったですか?どこの国の何が良かったですか? と、よく聞かれる。

 そこで国毎の印象を思い出してまとめてみた。国の印象、人々、食べ物、環境、建築物、宗教、飲み物、政治家、独裁者、景色、ショッピング、歴史、世界遺産等々。
 世界旅行144ヵ国、国毎の感動シーンを綴ってみた。

 作成する途中でふと気づいた。以前作成した「世界百カ国紀行」と同じく資料、CD,DVD,動画が中心であるが、今回は更に旅のプロである「国盗り」(世界の国を全て回ることを目標としている人)の人達のお話や情報、そして現地ガイドの生々しい情報を思い出しながら作ることにした。

            2021年現在の状況

ヨーロッパ先進国による植民地支配図

左図は17世紀頃のアフリカにおける植民地図である。
黒人奴隷の歴史がここから始まった。
 黒人奴隷貿易は、16世紀以降、ポルトガルスペイン・イギリス・フランスなどの国家的事業として行われ、アフリカ大陸各地から、多くの黒人(アフリカ人)が南北アメリカ大陸・西インド諸島に送られた。黒人奴隷は安上がりな奴隷労働力として鉱山、砂糖・綿花・ゴム・コーヒーなどのプランテーション(大農園)で酷使された。彼らの人権は認められず、奴隷商人によって商品として売買された。その背景には、スペイン・ポルトガルの新大陸植民地で現地人のインディオを酷使したため人口が減少し、労働力が不足したことがあげられる。

 17世紀から19世紀にかけて、およそ1,200万人のアフリカ黒人がアメリカ大陸に渡った。

アフリカ特有の指導者による「国家の私物化」の典型とは。


 天然資源の輸出収益など国有財産の横領。国際社会の非難を全く意に介さない苛烈な人権弾圧。酒、女、薬物などに溺れる堕落した私生活。彼らは国民生活の向上に一切の関心を持たず、当然の帰結として経済は麻痺し、国家は完全に崩壊する。

 根本原因の一つには、イギリスとフランスに代表されたアフリカの植民地化の時、国土の境界を簡単に線引きしたため、アフリカの数ある民族が無理にその枠に収められ、まとまりも協調性もなく、独裁指導者の思うままになったのが要因。
 二つ目は、宗主国が植民地の国民に教育を受けさせなかった事。教育と知恵が芽生えると独立を叫ぶのを嫌ってのことである。

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