ウガンダ

【MAP】

面積はほぼ本州と同じ、人口 4300万人   

国土の18%がヴィクトリア湖などの湖が占めている

首都カンパラ】

    首都カンパラの人口は142万人

     首都カンパラの高層ビル群

・独立 1962年宗主国イギリス

・政権 20年間内乱でクーデターが続いたが1996年から落ち着いている。

・外交 アフリカ諸国との連携を図る一方、直接投資の誘致の観点から米国・EU等の先進諸国、インド、中国等アジア諸国との関係強化に努めている

・民族 ウガンダには57民族がありこの民族対立が国情不安定の主な原因とされていた。

        田舎と都会

        素朴

 イスラム教は12%、キリスト教78%

    ウガンダの成人識字率は73% 

           北ウガンダのお祭り

【ウガンダ鉄道】

アフリカ分割時代に、植民地政策の一環としてイギリスによって造られた植民地鉄道。 

イギリスの統治時代、象牙と奴隷 の運搬で使われた。

【ナイル川】

白ナイルの源流を目指して

「ソース・オブ・ナイル(白ナイルの源流)」ここから地中海まで6,650kmにも及ぶナイル川が始まる

ここがソース・オブ・ナイル(白ナイルの源流) 

源流の側の土産物店、床は水に浸かっている

 民芸品店、ナイルの土産物

  源流は水がブクブク

【青ナイル】

   エチオピアの青ナイル源流

やがて大河となりタナ湖へ、そして白ナイルと合流し地中海へ

【ナイル川合流】

青ナイルと白ナイルの合流点(スーダン)

合流地点。手前が流れの速いエチオピアからの青ナイル、奥の白く見えるのがヴィクトリア湖からの白ナイル

【ナイル川は地中海へ】

ナイル川はエジプトを流れやがて地中海へ

エジプトのナイル川最終地点、前方はエジプト市街、左へ曲がると地中海

ナイル川は、今回ウガンダの白ナイルの源流を見て、エチオピアでは青ナイルの源流を見て、スーダンの旅では白ナイルと青ナイルの合流地点も見た。またナイル川が地中海に流れる最終地点もエジプトで見たので、ひとまずナイルの追っかけは終了した。 

ビクトリア湖の悲劇

ビクトリア湖のナイルパーチ

ビクトリア湖のナイルパーチ 「ビクトリア湖の悲劇」


ビクトリア湖の広さは九州の2倍、琵琶湖の何と100倍もの広さをもつ。

 1954年、湖に生息する淡水魚の乱獲によって漁獲量が激減したため、窮余の策としてナイルパーチという外来魚が放流された。

 この魚は、体長2m、重さ100キロ、捕獲された最大は何と400キロという巨大な肉食魚である

 スズキに似ていることから日本には「スズキ(ナイルパーチ)」として輸入されている。

 この魚が、日本のファミリーレストランフライをにぎわし、学校給食や弁当の材料に使われていることはあまり知られていないと言う。

 ビクトリア湖では、ナイルパーチの移入によって、一時、漁獲量は飛躍的に伸び、海外へ輸出するなど、大成功したかに見えた。ところが地元の人は、高価なために、ほとんど口にすることができず、輸出に回されているのだ。

 もともとビクトリア湖に生息していた魚の殆どが草食性だった。そこに、肉食性のナイルパーチを移入したことによって、もともといた固有種400種は200種まで激減、湖の生態系は壊滅的な状態になってしまった。ビクトリア湖の魚たちは、沿岸の藻類を食べていたが、在来種が激減すると、湖には藻がはびこるようになった。藻類が湖に増えすぎると、湖が酸欠状態になる。さらに多くの在来種が絶滅の危機に瀕しているいう。


 世界的に最も価値ある湖の一つ・ビクトリア湖だったが、ナイルパーチの商業的開発は、地域の伝統的な漁業や水産物の加工を衰退させ、湖に依存している地域社会をも荒廃させてしまった。まさに「ビクトリア湖の悲劇」と言える。

【マウンテンゴリラ】

 ウガンダのブウィンディ原生国立公園は標高1,200m~2,600mの高地にあり、多様で豊かな種類の樹木が見られ、アフリカ原生林の姿を留めている。そこでは、トラッカーと呼ばれるレンジャー達が1日中ゴリラ達を観察し、密猟者から守っている。トレッキング中はこのレンジャーと無線で連絡をとり、ゴリラ達の場所を把握して歩くため、95%以上の確率でゴリラ達と出会うことができる。
 近年はこの 野生のマウンテンゴリラに出会う ツアーが人気である。
 ウガンダ・ルワンダに野生のゴリラに会いに行こう「ゴリラトレッキングツアー特集」野生のマウンテンゴリラの推定個体数が、880頭と発表。

【赤道】

赤道を示す黄色い線は向こうの民芸店へ 

赤道の真ん中に置かれた入れ物 

水を入れ、花を浮かばせる。花の動きで北と南が分かる 

 赤道

 ガンダは赤道が走る国、南半球と北半球では水に浮く花弁が右回り、左回りという現象も見れる。手品を見るようで何とも摩訶不思議である。理論的に理解していても現実に見ると世の中には不思議な事が多い。

 実験

 動画・・・南半球側では花が右回り  https://www.youtube.com/watch?v=AKupGsQjfrA  ←(クリック)

 動画・・・北半球側では花が左回り  https://www.youtube.com/watch?v=Lz8aUpDFElA  ←(クリック)

【政府の指導者】

ムセベニ ウガンダ大統領 1944年生 76


「虐殺した政敵の肉を食べた」などの噂を立てられたアミン政権の転覆や、オボテ政権への反乱に関与し1986カンパラを制圧、政権を掌握し129日に大統領に就任、以来35年もの間、大統領を務めている。

・内戦と腐敗の続いたウガンダで安定した政治と経済成長をもたらした。

タンザニアダルエスサラーム大学に進み経済学政治学などを学んだ。

・短期間北タンザニアのモシで大学講師をつとめた。同年、元秘書でスチュワーデスのジャネット・カタハと結婚し後4人の子を儲けた。

・ムセベニは国家的な女性差別是正措置計画でも賞賛され、約10年間副大統領に女性のスペシオーザ・カジブウェを据え、女性の大学進学を助成した。

1990年代半ばムセベニはアフリカの新しい指導者の例と思われた。1997年の『ニューヨーク・タイムズ』の記事の一節はムセベニが西側のメディア、政府、学者から高い評価を受けていたことを示している。

・現在彼をアフリカで尊敬されている南アフリカ大統領、ネルソン・マンデラ以外には引けを取らない「別の政治家」と看做す者もいる。

ウガンダ編   終わり