ロシア
【MAP】
ロシアの面積は世界一
観光は広すぎて一部のみ
ワンポイント情報
・面積 日本の45倍,米国の2倍近
く、世界最大の面積
・人口 1億4700万人
・首都 モスクワ(人口1268万人)
・主要産業 石油,天然ガス、石炭,
金,ダイヤモンド等
【 首都 モスクワ 】
モスクワ川
新都心「モスクワ・シティ」
聖ワシリイ大聖堂
赤の広場はモスクワの中心
モスクワとモスクワ川
宮殿のようなモスクワ地下鉄
シベリアはロシアの21%
ロシア連邦の首都。植生的には北の針葉樹林帯と南の混合樹林帯との接点に位置する。 2016年、アメリカの経済誌『フォーブス』が公表した統計によると、10億ドル以上の個人資産をもつ大富豪は60人で、ニューヨーク、香港に次いで3番目に多い都市となった。
モスクワは、中央にあるクレムリンから同心円状に広がっている町であり、クレムリンからはすべての
方角に放射状に幹線道路が延びている。
市内には地下鉄が15の路線網を張りめぐらしており、世界でもっとも利用客の多い地下鉄の一つとなって
いる。
モスクワ川からモスクワの町の由来がある。かって 「戦争と平和」 の作者である、トルストイは「ロシア人なら誰でも、モスクワを母だと感じる」と表現している。ロシアを訪れるまでのロシアの印象は、暗い、重い、怖い、シベリヤ抑留、北方領土、頑固、ニエット(NO)、非文化・・・であった。 テレビから見るロシアは、冷戦、敵国の首都、クレムリンにひるがえる赤旗、赤の広場のパレード、そして貧しい国民が行列を作りパンを買う姿、そんな印象しかなかった。
先入観念とは恐ろしいものだ。日本人の観光客の殆どがロシアを訪ねて考えを変えるらしい。ロシアは世界の国でもトップクラスの素晴らしい国であると言うらしい。街並みは綺麗、高級マンションが建ち並ぶ、高級車も多い、チャイコフスキーの音色が聞こえてきそうな文化的な町並み。何よりもロシア全土に立つ「ロシア正教会」のキリスト教の教会がどこの国の教会よりも美しい事である。
しかし、中国と同様に市民の笑顔が足りない。じっとこらえて耐えているような感じがする。中国は未だに50年も共産党時代が続き、言論の自由がない。ロシアも70年も圧制が続いたのだからいたし方がないのだ。それよりもその前の「帝政ロシア」の430年に及ぶ皇帝時代、更にその前の「モンゴル」による250年の支配時代。 ロシア人は忍耐と我慢強さを強いられてきたのだから、手放しで明るくなれないのであろうか。
近代都市に変わりつつあるモスクワには、超高層の高級マンションが建とうとしているが、一般庶民の年金は月に2〜3万円。何時までも働かなければ生活が出来ない現在らしい。政治体制が変わりすぎるのだろうか?
宿泊した「コスモス・ホテル」はフランス人の設計で前庭にはドゴール元大統領の銅像が。3,600名収容。
高級マンションが建つモスクワ
モスクワ:ノヴォデヴィッチ修道院・・・・・チャイコフスキーは、この湖の周囲を散策しながら、バレー曲「白鳥の湖」の構想を練ったという
【サンクトペテルブルグ 】
「水の都」サンクトペテルブルグには65の運河と365の橋がある。
スェーデンから奪った街
かって帝政ロシアの首都、サンクトペテルブルクは、ヨーロッパで最も美しい町のひとつに数えられている。皇帝や貴族の豪奢な宮殿が建ち並び、水路には観光客を乗せた小船が行き交わる。格式ある劇場もあり、バレーやオペラの本格的な演奏が毎夜行われている。チャイコフスキーはロシアが誇る一人でもある。
この地は300年前は何もない一面の沼沢地であった。1700年代、ピョートル大帝がロシア近代化の要として、バルト海に開かれた港と要塞を築いた事に始まる。だからフインランド湾に面し、北欧フインランドは目の前だ。
イタリヤ「ベニス」と同様、「水の都」と呼ばれるとおり、市内には65の運河が流れ、365もの橋が架かっている。この地を築くために使役された捕虜のスウェーデン兵や農奴ら4万人以上が、疫病や飢えなどから命を落としたと言う。ソビエト、ロシアはシベリヤ抑留でも多くの日本人捕虜も犠牲にしている。その事を思う時、手放しで美しさに感動はできない。
ロマノフ王朝(帝政ロシア)の栄華と終焉時まで、その名はサンクトペテルブルグ、第一次大戦のドイツによる包囲線の悲劇の時はペトログラードと名前を変えられ、レーニンによる革命の時はレーニンの名前からレニングラードと名を変えている。そして近世は元のサンクトペテルブルグと数奇な運命の都市である。
現在のサンクトペテルブルグは開放的、ヨーロッパ的、文化芸術の町だ。保守的でロシア的、政治経済の街であるモスクワとは対照的だ。
【エルミタージュ美術館】
エルミタージュ美術館
世界四大美術館(他にフランスのルーヴル、ニューヨークのメトロポリタン、イギリスの大英博物館)の一つ。エカテリーナ二世(女帝)のコレクションが美術館となった。美術館は1000室以上の部屋があり、その内400室に美術品を展示している。
大使の階段:無数の外国施設を迎えた正面階段は絢爛豪華
マティスの絵は有名
【ペテルゴーフ 】
ペテルゴーフ宮殿
ペテルゴフ宮殿
ニコライ1世の別荘
サンクトペテルブルク中心部から西に約29km離れた、フィンランド湾の南岸に位置している。ペテルゴーフ宮殿やサンクトペテルブルク大学の2つのキャンパスのうち1つがある。
サンクトペテルブルクのベッドタウンとなっており人口が増加しているが、歴史的景観を保護するため開発が制限された地区。町は1705年にピョートル1世によって開かれた。フィンランド湾に面した景勝地でロシアの歴代皇帝の宮殿や別荘が建てられた。
ペテルゴーフ宮殿、ニコライ1世の別荘、「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」として世界遺産に登録されている。
【セルギェフ・ポサード 】
セルギェフ・ポサードの街並み
至聖三者セルギイ大修道院
【ウラジーミル】
ロシアの鉄道乗車体験
ウラジーミル
ウスペンスキー大聖堂
モスクワの東200kmに位置し、モスクワからは電車で3時間ほどである。人口は34万人。ロシアの古都の一つで、ウラジーミル・スーズダリ大公国の首都として栄えた。要塞として建設された。
モンゴル帝国の襲撃を受け街は焦土と化したが、奇跡的にいくつかの中世ロシアの宗教建築が破壊を免れた。
【ツァールスコエ・セロー 】
ピョートル1世
エカテリーナ1世
【スズダリ】
スズダリの街
ポクロフスキー修道院
【崩壊前のソビエト共和国】
崩壊前のソビエトの共和国
ソビエトは15の共和国で構成されていた。 現在の国でいうと1ロシア 2エストニア 3ラトビア 4リトアニア 5ベラルーシ 6ウクライナ 7モルドバ 8ジョージア 9アルメニア 10アゼルバイジャン 11カザフスタン 12ウズベキスタン 13トルクメニスタン 14キルギス 15タジキスタン。
〇なぜ、ソビエトは崩壊した?
世界で初めての社会主義国家、人類初の有人宇宙飛行の実現など、その名をとどろかせながら、30年前になぜ崩壊したのか?
第2次世界大戦後、主にヨーロッパ東部の社会主義諸国を影響下に置いて東側陣営を率いたソビエトは、資本主義国の西側陣営の中心となったアメリカと激しく対立し「東西冷戦」と呼ばれた。
ソビエトは富を国民に平等に分配し、格差のない社会をつくるという理想を掲げていた。集団農場や国営農場で多くの労働者が働き、農産物の生産量や価格は計画経済のもとで統制されていて、教育や医療のサービスも手厚く整備されていた。
一方、政治体制は共産党による一党独裁。これがうまく機能しなかった。
批判を封じて体制を維持するため、国民の行動は監視され、厳しい検閲により、事実上、言論の自由はなかった。外国との自由な往来はできず、西側陣営からは「鉄のカーテンに包まれている」と表現された。
政治体制は硬直化し、経済も低迷、「超大国」の威信をかけた軍拡競争の影響で、日用品など生活物資の不足も深刻となり、オイルショックで価格の下落は疲弊した経済に追い打ちをかけた。
ソビエトは当時共産主義政党であったアフガニスタンに侵攻。激しい抵抗にあって戦況は泥沼化した。ゴルバチョフ氏は、ペレストロイカ=立て直しと、グラスノスチ=情報公開を柱とする政策を掲げ、改革に着手。しかしこれが裏目に出た。
しかし、情報統制で隠されてきたアフガニスタン侵攻の悲惨な実態が伝えられるようになったり、物質的に豊かな西側の資本主義社会の情報がもたらされるようになったりして、人々の不満がうっせき。その時チェルノブイリ原発事故発覚。この事件を機に一党支配を続けたソビエト共産党の権威は失墜し、社会を監視してきたKGB(国家保安委員会)の創設者の像も引き倒された。
しかし、国が長期計画を立てて経済を管理、運営してきた計画経済がソビエト崩壊に伴って、突然、市場経済に移行。急激な自由化や国有企業の民営化は大きな混乱を引き起こし、15の国が独立し崩壊した
【ロシア正教会】
ウラジーミル聖公が国教と定める
ロシア正教会で最も重要な修道院の一つ、至聖三者聖セルギイ大修道院の全景
ロシア正教会主教
古代、もともと東スラヴ(現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシアの地域)の人々は、雷や樹木などを信仰する自然崇拝多神教の宗教を持っていたが、キエフ・ルーシー国家の基盤強化の必要に迫られたウラジーミル聖公により、988年、当時全盛を極めたビザンチン(現在のトルコ・イスタンプール)の東方正教会(キリスト教の三大分流の一。ロシア・中東・東欧を中心とする15の自立教会の連合体。)が国教に定められた。
国教を定める際、ウラジーミルは当時の4つの主要宗教を比較し、選択を行ったという。
イスラーム教・・・・・・ 飲酒と豚肉食を禁ずる宗教はロシアにはなじまない。なぜなら「飲酒
はロシア人の喜びである」という理由。
ユダヤ教・・・・・・・・ 聖地エルサレム(現在のイスラエル地区)を失ったユダヤ教は、神に
見捨てられた斜陽宗教として除外。
ローマ・カトリック・・・ 何ら興味を覚えなかったとして却下。
東方正教会・・・・・・・ 典礼の美しさに惹かれて採用。
ロシア正教会も順風漫歩ではなかった。レーニン・スターリンによる、ソビエト社会主義共和国連邦時代は無神論を唱えて、弾圧した。教会数5万が爆破され数百に、そして聖職者が3〜4万人が銃殺・殺害されている。
社会主義国家のソビエトも中国も同じ事を宗教に対して行っている。何故であろう?
【ロシア文学】
ロシア文学の代表者にはプーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ゴンチャローフ、トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフがいる。
一般的にロシア文学は暗く、長く、辛気臭く、説教臭く、重いと言うのが特徴だと言われる。何故かと言うと、ロシアでは文学は神学、哲学、政治学、社会学まで要求されていたと言う。文学は社会問題に解答を与え、人々に進むべき道を示すべきものであった。だから、文学に課せられたこの重い責任にゴーゴリは発狂し、トルストイですら、一時文学を放棄しているそうだ。
ロシアの旅に出かける前に、昔読んだドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を再度読んだが、上記の特徴が頷ける。
【資源依存の経済 】
【ロシアの過去と現在】
民主主義指数 と世界報道重度ランキング
・世界134位と後順位で「独裁政治体制」に分類されている(2019年度)
・国境なき記者団による世界報道自由度ランキング 149位と後順位である(2020年度)
【世界で一番女性が美しい国といえば?】
独身のロシア美人
結婚後の熟女
変身 →
変身 →
「世界で一番女性が美しい国といえば?」
そんな質問をすると、必ずその名が挙がるのがロシア。均整のとれた顔とスタイル、白い肌は他の追随を許さないと言われている。
しかし、世界の離婚率は、人口千人あたりの離婚率が
1位が ロシア 5.30、 2位 アメリカ 4.19・・・・・・22位 日本 2.30
何故、ロシアが離婚率が高いかは、難しく言うと
「マルクス的女性解放論」 という事によるらしい。
だが、一般的な見方で言うと・・・・・・あるコラムによると。
「ロシア人男性が浮気性というのも一因らしいが、女性は男性が荷物を持ったり、コートを脱ぐのを手伝うのは当たり前だと思っている国民性によるらしい。家事を一緒にやるのもロシア女性にとっては常識で、むしろ男性のほうが家事を多くこなす傾向にある。これだけ男性に負担をかけさせておきながら、褒め言葉は滅多にナシ。これではロシア男児が浮気に走るのも無理はないらしい。
それに、ロシア人女性は20代までの美貌が嘘のように、30代を過ぎると急激に劣化していく。でも性格は相変わらずお姫様気分でいるので、男性も何のためらいもなく見切りをつけてしまうという。」
ロシアにおける主な離婚原因として、①貧困、②浮気や嫉妬心③妥協を許さないような価値観の違い④自己中心的態度や互いの理解の欠如などが挙げられている。
また、これらの原因に加えて、⑤アルコール依存⑥経済力のなさ⑦家の狭さ⑧社会主義国だからといったことを離婚原因として加えている学者もいるという。
【政府の指導者】
プーチン ロシア大統領 1952年生 69才
・レニングラードで誕生。父は鉄道車両工場で働らき、母は工場で働く。
・祖父はプロの料理人であり、スターリンの別荘の1つにて給仕しており、それ以前はレーニンに仕えていた。
・子供のころは記憶力は抜群で頭の回転も速かったが、問題児で悪ふざけを繰り返していたと証言している。
・1990年より政界進出。1999年エリツィンから首相に任命される。
・当時の大統領エリツィンはプーチンを自身の後継者とすることを表明していた。
・2000年大統領。大統領代行となったプーチンが最初に行ったのは、大統領経験者とその一族の生活を保障するという大統領令に署名することだった。これは、エリツィンに不逮捕・不起訴特権を与え、エリツィン一族による汚職やマネーロンダリングの追及をさせず、引退後のエリツィンの安全を確保するものであるとともに、 プーチン自身が大統領職を退いた後の、政敵からの「保身」を見据えたものと思われる。
・ロシア経済は原油価格の高騰に伴い2期目も順調に推移。貧困は半分以下に減った。
・非民主的(反民主的)で、非合法な(謀略的な)手法で支配力を行使し政治を行っていることも様々な調査で明らかになり、また、プーチン政権を批判していた人物が次々と不審な死を遂げ、ロシア政府による暗殺説が浮上したことも、欧米諸国にマイナスイメージを持たれる一因になった。
・ロシア連邦大統領は連続3選が憲法により禁止されているため、大統領退任後の去就が注目されていたが、窮余の策としてメドベージェフを大統領に就かせ自身は首相となり、傀儡政権とした。
・2012年大統領再登板、権限強化により事実上終身大統領となる事が可能になるため、国内では野党から懸念が示されている。独裁政治は中国やアフリカなどの後進国と同様で、世界からは見放されている。
・人物像:
〇ソ連崩壊後しばらくの間は生活苦から無認可タクシーの運転手のアルバイトを行って糊口をしのいでいた。
〇幾度と無く大切な会談に遅刻をする人物として知られる。プーチンの遅刻癖は「国際政治の場面で皇帝になりたい」という野心の表れだと専門家は指摘する。
〇一度の離婚、現在独身ながら複数の愛人が指摘されている。
釣りを趣味とし、競馬のファンでもある。煙草は吸わず、酒もほとんど飲まない。
〇プーチンに対しては明らかになっているだけで過去5度暗殺が試みられたが、いずれも未然に阻止されている。
ロシア編 終わり