パラグアイ
【MAP】
ワンポイント情報
・面積 日本の約1.1倍
・人口 713万人
・首都 アスンシオン(9人口53万人)
・民族 混血(白人と先住民)95%
・経済 日本人移住者が導入し急成長した大豆の輸出量は世
界第3位。世界第9位の牛肉輸出国。
【歴史】
【パラグアイとは・・・】
丘陵と平原
東と北東をブラジル、西と北西をボリビア、南と南西をアルゼンチンに囲まれている内陸国である。首都はアスンシオン。
20世紀前半には背後にイギリス資本を抱えたアルゼンチンの、20世紀後半からは背後にアメリカ資本を抱えたブラジルの影響を強く受けてきた。いわゆる大国に翻弄されてきた。
三国同盟戦争で負け、人口が半数に減り、移民でしのいでいる。
移民としてはドイツ人、イタリア人、スペイン人、日本人、中国人、アラブ人などがいるが、日系パラグアイ人7,000人の貢献が高く評価されて伝統的に友好関係が続き、日本は非常に高い評価を受けている。
東部は国土の40%、人口の97%近くを有し、丘陵と平原が交錯する地形で、森林と肥沃な大地からなる。
パラグアイは経済的に不平等で貧しい国家であり、約4割の国民が貧困に喘いでいると見積もられている。隣国のブラジルやアルゼンチンへ出稼ぎに行く人も少なくない。
田舎の裕福な個人住宅
田舎の個人住宅
国道沿いの果物売り場
【 首都 アスンシオン 】
人口は51万人、市の中心付近には高層建築が見られるがそれ以外には10階以上の建築物は少ない。
5年連続で世界一物価の安い都市となっている。当初は砦であり、1541年に先住民の攻撃のため放棄されたブエノスアイレスからの避難者を迎え、市としての体裁が整えられた。
市は南米の都市の中でも歴史の古い部類に属し、スペイン人やクリオーリョたちに大陸中南部の征服と植民地建設の足掛かりを提供した。
三国同盟戦争(1865年-1870年)中の1869年、市はブラジルの軍隊に占領された。
戦後、ロペス政権によって国外に追放されたりヨーロッパに留学したりしていた人々が帰国し、ブラジルの傀儡政権を立てた。国の成人男性が戦死・病死・無差別な殺戮によって著しく減少していたからである。ブラジル軍の占領は1876年まで続いた。
【三国戦争(対ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ連合軍)で人口激減 】
1864年 - 1870年)は、パラグアイと、アルゼンチン・ブラジル帝国・ウルグアイの三国同盟軍との間で行なわれた戦争である。ラテンアメリカの歴史の中で最も凄惨な武力衝突となった。
開戦の直接のきっかけは、当時ブラジル・アルゼンチンの緩衝国であったウルグアイの内乱に、パラグアイの独裁者フランシスコ・ソラーノ・ロペスが介入したことによる。
戦争および戦争中の疫病により、開戦前にいた525,000人ほどのパラグアイ人のうち、211,009人しか生き残らなかったと言われている。国民の半数以上が戦死したのである。
戦争に敗れ、ブラジル・アルゼンチンに領土を奪われ領土は戦前の四分の三になった。
この戦争で最も利益を得たのはイギリスだった。イギリスは戦争当事国となった全ての国に借款を与え、アルゼンチンとブラジル、そしてその操り人形に支配されていたウルグアイを通して、自らは全く手を下さずに南米大陸の奥地で唯一孤立を続けていたパラグアイを降した。こうしてイギリスは第一次世界大戦後にアメリカ合衆国が台頭するまで、この地域における完全な経済的覇権を確立した。
【日本食レストラン】
日本食レストラン
屏風
テーブルクロスには桜の花
野菜の炒め物、味付けが抜群
チリから取り寄せたサーモンが新鮮
肉じゃが
お客さんで、ここを愛用すると云う沖縄から移住の2世家族、日本人が懐かしいという
【移住】
パラグアイへの日本人の移住は、1936年にアスンシオン市南東約130kmの原野に設定されたラ・コルメナ移住地への入植に始まり、戦後、1954年のチャベス移住地への入植で再開し、1950年代後半以降、JICA直営の移住地であるラ・パス移住地、ピラポ移住地、イグアス移住地が建設され、現在約7000人の日系人が在住している。
入植当初の移住者は、原生林を斧で倒して焼き、仮小屋に住まい、広大な赤土の大地を開拓した。
多くは農業に従事し、野菜栽培を行い、元来肉ばかりで野菜を食べる習慣のなかったパラグアイ人の食卓に多くの野菜・果物を供給したり、また現在パラグアイの重要な輸出農産物の一つとなっている大豆を導入したりと、多くの努力を重ね、パラグアイの農業を発展させてきた。
移住の苦労
ラパス移住地
ピラポ移住地
ピラポ移住地
ラ コルメナ移住地
パラグアイ 日本人村
パラグアイ 日本人村
民宿
パラグアイ 日本人村
【南米は牛肉】
南米人はこれが大好き、牛、豚、マトン、チキン・・・
ワンピース? もっと食え、とハッパがかかる
【『トリニダー遺跡』 】
『トリニダー遺跡』とは・・・
18世紀にイエズス会により宣教の目的で他に例を見ない規模で原住民グアラニー族に定住および共同生活の場として、1609年よりパラグアイとアルゼンチンのイグアスの滝周辺に数多くの「ミッション」村が造られた。
なかでもこのトリニダー遺跡は1706年より建築され、ミッション集落としては規模、保存状態ともすばらしいもので、1993年にはユネスコの世界文化遺産として登録されている。
イエズス会はそれまで森林で遊牧生活を行なってきたグアラニー族に対し、宗教的な教えだけでなく、政治、文化、社会、教育などについても統制を行ない、また農業、畜産、工芸品の製造などを行なわせていた。
当時このミッションでは約5000人ものグアラニー族が生活していた。
村全体は大きく分けて大聖堂、学校、工房、住居、墓地、広 場などに別れている。
お巡りさんと貧しい人たち
街を警備する女性のお巡りさん
貧しい生活のグアラニー人
【政府の指導者】
アブド・ベニテス大統領 1971年生 51才
・アメリカの大学を卒業。
・1989年にパラグアイ軍に入隊。
・2005年、共和国再建国民運動に参加し、政界に足を踏み入れる。
・2015年6月には、パラグアイの上院議長に選出。
・父がアルフレド・ストロエスネル(1954年から1989年まで通算8期35年間に渡りパラグアイ大統領を務め、独裁者として君臨した)の個人秘書であった。
・2018年大統領就任。
パラグアイ編 終わり