コンゴ民主共和国

  コンゴ川を挟んで両国

   両国の首都は船で10分

治安の安定した隣国コンゴ共和国から、要注意な「コンゴ民主共和国」へ船で行くが船内では緊張がつのる。

対岸にはキンシャサが見える。4kmを舟で10分

港に上陸、入国管理事務所で2時間も待たされる

 凄い国があったもんだ! 

 コンゴ共和国から、目の先のコンゴ民主共和国の首都キンシャサに行く以前から、コンゴ民主共和国のただならぬ緊張感を、ツアーの旅行メンバーの全員が感じていた。

 日本の添乗員と、こちらの国コンゴ共和国のガイドが、超真面目にキンシャサに行ってからの注意事項を並べ立てた。既にこちらの港からピリピリしている。我々はそうなのかな~程度しか認識していない。

 舟に乗った。たった10分だ。港の桟橋を歩く。すごい人だまりの中を歩く。何だ!この異様な雰囲気は・・・

 入国管理事務所なる貧弱な部屋に通された。押し合いへしあい、すごい混雑だ。思わず貴重品に手を添えて構える。円い石の椅子に腰を下ろすが、次から次とくる体格のよい黒人老人、黒人女に椅子を明け渡さざるを得ない。我々日本人は全員立たざるを得なかった。

 やむなく狭い事務所から隣の駐車場の広場に出て、待機した。警察と軍隊らしきメンバーが10人づつとぐろを巻いてお喋りをしている。表向きは港の警護なのだろうが、無頓着でタバコをふかし、ふざけ合っている。仕事をしたがらない国民の様だ。

 既に舟を降りてから1時間半、日本人だけが残されている。添乗員とこちら側「コンゴ民主共和国」の新しいガイドだけが気を揉んで右往左往している。やがてまだ若い30代の日本の添乗員がついに切れたのだろう。事務所に行くや机に無造作に積んであった皆のパスポートをつかむや否や、「タイム・オーバー!」と言って出て来たという。そこには管理事務所の担当者たちが無駄話をしながらアボガドの果物を食べて遊んでいたらしい(添乗員談)。

 後でこの国のガイドに聞くと、「この国は民族が20位あり、何をするにも意見対立、議論もかみ合わず、時間だけが過ぎるのです。観光客の事など全然考えてくれません。本当に申し訳ありません。お許し下さい。」と詫びを言う。ガイドはヨーロッパでの留学もし、エリートなのだ。行く末を案じての詫びで、丁重に頭を下げる。

 旅の仲間が後でささやいていた。どこの後進国にもあることだよ。こういう時は相手はチップを要求しているんだよ。エリートのガイドと若い添乗員も理解しているが、そのような事で秩序を壊したくないだけだよ。我々はその犠牲者でもあるがね。

 考えると、コンゴの辛い歴史が今日を生んでいるのかもしれない。「コンゴ王国」のポルトガルからのだまし討ち、奴隷として多くの黒人がアメリカへ、ベルギー王による虐待、ベルギー国の植民地時代、「コンゴ動乱」の東西冷戦の巻き添え、独立後の独裁大統領の圧政はアメリカの援助今は中国の介入他国からの支配は続いている。全て利権。

 理想を持って乗り込んできたキューバのゲバラでさえ、コンゴ兵士たちの士気の低さに失望してあきらめたという。その時のゲバラ評は「コンゴでは呪術を信じるなど(未開)の迷信が根強かった。」と。

 確かに教育も受けられず、奴隷として人間として扱われない長い時期、戦争、飢餓が300年も続いたのである。

  やや二時間後に開放されて、港のフェンスから港の広場に歩き出した。

 そこで全員が身の硬直を覚えた。異様な目、目、目が我々の体に電気を走らせた。騒然としているが、浮浪者のような老若男女が鋭い目で我々を追う。顔はただ黒いだけではなく、汚れ、疲れて、黒さが倍加しているようだ。

 男のメンバーでさえ、その目線に耐えきらず早く通過したい。まして女性はじっと下を向いたまま顔を伏せている。待ちうけるバスまで10分程度。女性は半べそをかいている。

 それを察したガイドは帰りは港の事務所まで車をつけてくれたが、降りる時がまた大変、物を買え、何かくれ、ただ文句を言う酔っ払い風の男、いやはや恐ろしい国だ。

 首都キンシャサ

バスに乗る。浮浪者のような老若男女の厳しい目線からようやく逃れられた。全員安堵感。

   首都キンシャサの景観

      842万人の首都。国民は厳しい生活、貧困削減戦略が国の目下の方針だが・・・

 アフリカの多くは埃も汚れも気にしない

   パン一切れで過ごす多くの国民

      カルチャーセンタの木工品

信号機をつけたが、何故か何度も壊された。お巡りさんが手でさばく。

  ランチタイム

ネコもランチタイム

 コンゴ王国

  コンゴ王国の国王

   ポルトガルにより奴隷となる

 14世紀末から1914年までの間、中部アフリカ大西洋岸にあった王国である。現在のコンゴ共和国コンゴ民主共和国・北アンゴラガボンに相当する地域を支配していた。
 当時の王国、コンゴ王国は、ポルトガル王国に騙され奴隷貿易とキリスト教の布教で巧妙に王国は廃絶され、ポルトガルの植民地として統治となる。 

 コンゴ自由国

  当時のベルギー国王

手を切り落とされたコンゴ人たち

手を切り落とされるコンゴ人を尻目にコンゴで儲けるレオポルド2世を批判した風刺画

レオポルド2世に締めあげられるコンゴ人を風刺した『パンチ誌』の絵

ベルギー国王レオポルド2世の私領地であったコンゴ自由国では耕作地も全てが国王の所有となり住民は象牙や特にゴムの採集を強制された規定の量に到達できない手足を切断するという残虐な刑罰が情け容赦なく科され、前代未聞の圧制と搾取が行われていた。800万人のコンゴ人が搾取と病気により死亡とまで言われている。 国際社会の非難の声は高まり国王の恣意的な暴政にベルギー政府も黙っていられなくなった1908年コンゴ自由国はベルギー政府の直轄植民地ベルギー領コンゴになった1960年独立。 先進国であるベルギーの負の遺産とも言われる。

 資源がありすぎる不幸な国

コンゴ民主共和国を巡る利権争いは昔から現代も続く

コバルトダイヤモンドカドミウム亜鉛マンガン(世界1位)、スズゲルマニウムウランラジウムボーキサイト鉄鉱石石炭プラチナ(世界1位)などを産する世界トップクラスの鉱産資源国であり、輸出の約9割を鉱産資源が占める。 これらは国民の生活には殆ど寄与していない。

 現在は中国が資源を求めて・・・

 中国の企業が目白押し

 サッカー場、これもメイドイン・チャイナ

 中国の看板が至る所。ここは中国か?

 場違いのような国会議事堂、これも中国のプレゼント

 事件!


 街の四つ角で、ツアー仲間の女性が写真を撮っていた。人を映さなければいいですよ、とガイドが言っていたが、トロトロ写真を構えていた所へ、いかつい若い男がつかつかとその女性の前に現れ、何やらすごい剣幕で迫っている。言葉も分からず女性はオロオロ。

 そこガイドが来て、その若い男に現地の言葉でまくしたてて言っていた。通訳すると、

 「お前、誰の許しを受けて俺の写真を撮るのだ。撮ったのだから金を払え!」するとガイドは「お前のような恥知らずがいるから国が発展しないのだ。失せろッ!」 「売るせぃ!」 「うせないと警察をよぶぞっ!」と、まあこんなやり取りでしょう。

 帰国の飛行機で、国連の事務員をしているキンシャサ住まいの、日本の若い男性が隣り合わせたので聞いてみた。

 キンシャラの人々は港や街で外国人と会うと因縁をつけて金を要求するのが多いのです。それだけ困窮しているのですよ。だから、少し握らせると危害は加えませんよ。気の毒な国なのです。何とかしたいと私もこの国で努力しています。 頭が下がりました。

   港の前の通りはゴミだらけ

港の前の広場は愚連隊の集まりの雰囲気。緊張と恐怖心が高まる。

殆どが仕事にあぶれ、ブラブラ、通行客を目で追う。

 

喧嘩!----------------

 キンシャサの港の広場で喧嘩が絶えない。ゴミだらけの広場である。掃除する人はいないのだろう。

男も女も生活に疲れた顔つきだ。写真など撮るとこれはカモだ、と言わんばかりに因縁をつけてくる。

 男同士があちこちで喧嘩をしている。最初は大声で怒鳴り合う、次に二人とも両手を目の高さに挙げて、相手の目に向けて人差し指で交互に突き合うのだ。離れているから目には入らないが一歩前に出ると危険だ。

 罵声を浴びせながら23分言いあう。不思議な事にその後仲裁が必ず入り、ののしり合いながら引き分け~。  あちこちでショー?は起こる。

対岸にはキンシャサが見える。4kmを舟で10分。ツアー客は云う。もういい~早く帰ろう。世界でもトップクラスの危険な国だとの感想であった。

【大統領】



 右側が2019年1月に選挙で選ばれた新大統領。父親も政治家であった。58才。

 前任のカピラはまだ50才、父親の元大統領の暗殺を受け引き継いで16年間大統領を務めたが多選で批判を受け交代したが、今後の情勢が問われよう。