モザンピーク

【MAP】

【街並み】

国の殆どは道路網が劣悪。穴ぼこで速度20km。

観光客バスが停車すると近くの住民が集まる。ボックス弁当のおこぼれを期待しているそうだ。

              以上「JICA関連職員の生まれ出ずる悩み」でした

  10代の女性は早くも子供が3~4人

子供の遊び道具は何もない。棒や葉っぱばかり

        木炭は燃料源

      モザンピーク靴流通センター

首都 マプト】

     人口 約3000万人 

   国土面積 日本のおよそ2倍 

  かってはポルトガルの植民地

    首都マプト(人口100万人) 

アフリカのカラスは御洒落、ファッショナブルでした

  カラスはツートン・カラー

ポルトガルの旧植民地であり、1975に独立を達成した。その後も政情は不安定で、1977年か

1992年(15年間)までモザンビーク内戦が続いた。

ヨーロッパ大航海時代を迎えていた1498ポルトガル人ヴァスコ・ダ・ガマ喜望峰

越えてこの地に到達した。

・モザンビークからは遥か遠くのブラジルにまで黒人奴隷が連行された。

2007年時点では1,500人から12,000人に達する規模の中国系コミュニティが存在するとも推定されている。

・多くのモザンビークの児童は家族の生活のために農場で働かなければならないため、初等学校に通っていない。

【大統領選挙】

学校の校舎の壁は大統領選挙のポスターで一杯。日本では考えられない光景。

公共の建物に大統領選挙のポスターがビッシリ。

   現職、汚職しそう~

挑戦者、俺も負けずに袖の下~

飛行機事故で亡くなった、初代大統領のサモラ・マシェル。

【政府の指導者】

ニュシ モザンビーク大統領 1959年生 62才 

・2015年大統領就任 

両親はどちらもモザンビーク解放運動の古参兵であった。

14才の時、タンザニアで政治学と軍事訓練を受ける。

チェコスロバキアのブルノ技術大学で機械工学の学位を修得、その後イングランドのヴィクトリア大学の大学院で経営学を学んでいる。またインド南アフリカスワジランドアメリカで更なる経営学の勉強もしている。

モザンビーク編  終わり