クロアチア
【MAP】
【景観】
「アドリア海の真珠」と言われるドブロヴニクの城壁と旧市街(世界遺産)
「アドリア海の真珠」と呼ばれるドブロヴニクと豪華客船
全長294m、92,600トン、世界一周100泊クルーズ、1,050名収容、 果たして料金は?
【412mの高さから見る城壁】
スルジ山へのロープウェイ
登山道を1時間で登る
登山道で花々が疲れを癒してくれる
スルジ山展望台からの絶景
この城壁の上を、天気が良いので下山して歩く計画
要塞
糸杉・・・
スルジ山から下山途中、高山植物やまっ直ぐ伸びる糸杉が目を引く。
イエス・キリストが磔にされた十字架は、この木で作られたという伝説がある。 花言葉は死・哀悼・絶望。
枝はあまり広がらずに幹が高く成長し、非常に細く高い独特の樹冠を形成し、世界中で公園樹や造園樹、街路樹として重用される。 ゴッホが好んで絵画の題材に使った。
イギリスの邸宅ではドアがイトスギで作られる。腐敗しにくいため、建築材、彫刻、棺などに幅広く使用されてきた。
【城壁と要塞】
城壁は、全長1940m、高さ最高25m、一回り1~2時間。
城壁への入門は3か所、ピレ門から入る
総督邸(文化歴史博物館)
旧市街から急坂を登る出口
大聖堂
城壁の上から見る絶壁、これならば敵が来ても安心
城壁の上から見るレンガの屋根、これが美しい
☆クロアチア観光のハイライトドブロヴニク
高度な自冶と悲惨な破壊
ドブロヴニクの歴史は自国の発展を通商によって図ってきた。さほど広くないアドリア海の小都市は高度な自冶で生き延びていたのである。外交的には大国の宗主権を認め、貢納金を支払うことであった。
建国当初の支配国はビザンツ帝国(ローマ帝国の後)、次いでヴェネツィア共和国(現イタリア)、ハンガリー王国、オスマン朝(現トルコ)、そしてナポレオン率いるフランス帝国に服従したことで消滅する。この間、1667年の大地震で町のほとんどが崩壊、その後復興している。
最後の支配国はオーストリアに移り、第一次大戦後はユーゴスラビアの領土となる。しかしクロアチアの独立時の1991年、ユーゴスラヴィア連邦軍による攻撃で、悲劇的な破壊がされたが、1994年精力的な修復がされて今日の景観を取り戻している。
今や「アドリア海の真珠」と呼ばれ、オレンジ色で統一された屋根や高く重厚な城壁など、その見事な景観は他に類を見ない。(世界遺産)
【旧ユーゴスラビア】
元は「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」の1国
(旧)ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の当時の6つの構成共和国はそれぞれ独立し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアとなっている。
第二次世界大戦中の1943年から、解体される1992年まで存続した、ユーゴスラビアの社会主義国家。ヨシップ・ブロズ・ティトーの指導の下、ユーゴスラビアは冷戦下において中立政策を維持し、第1回非同盟諸国首脳会議の開催国となるなど、非同盟諸国のなかで中核的な役割を果たした。
その後には、ユーゴスラビア連邦は解体へと進み、ユーゴスラビアからの離脱や新しい国の枠組みをめぐって異民族に対する憎悪が噴出し、大規模な暴力を伴う一連のユーゴスラビア紛争へと発展し、1992年解体した。
【世界で一番美しい滝】
クロアチアにある「プリトヴィツェ湖群国立公園」は世界で最も美しい滝と呼ばれてい る。
クロアチアにある「プリトヴィツェ湖群国立公園」は世界で最も美しい滝と呼ばれている (世界遺産)
1990年の戦争時、この一帯も破壊された。
大小16の湖と92か所の滝を持つ国立公園は総面積200平方km。まさしく滝と湖の棚田である。
花崗岩の中から水がほとばしっている。
段々畑のような湖
花崗岩から吹きあがる水
標高が高い所は1280m、最低点で380m。
豪快な滝
11月でも緑が多い。
【ランチ・タイム】
地場のワインとビール
地場でとれたマス料理
街の中の「BAR] へ酔っ払いは走る
気の合った仲間で二次会はBAR(バール)でまた盛り上がる。
【政府の指導者】
クロアチア編 終わり