メキシコ
【MAP】
ワンポイント情報
・面積 日本の約5倍
・人口 1億2,600万人(日本1億2,500万人)
・首都 メキシコシテイ(人口2000万人)
・言語 スペイン語
・産業 製造業(自動車)や鉱業、商業
・スペイン語圏においてはもっとも人口の
多い国
【メキシコを2度の不幸が襲う!】
1.スペインの植民地化 2.米墨戦争 で国土の半分を失う
【1.スペインの植民地化】「太陽の没することなき帝国」
ヨーロッパの西のはずれ、日本の約1.3倍 の国土しかないスペインが全世界に植民地を有していた。
「太陽の没することなき帝国」とまで言われた国。
それがスペインである。
アフリカは2国を除いて全てがヨーロッパの国々の植民地となる。スペインも2国を従えた。
スペインは北アメリカ、南アメリカ、カリブ海諸国、アフリカ、フィリピンなどが植民地化された。
↓ やがてスペインはメキシコを植民地とす。
1519年:マゼランがスペインを出発、南アメリカ大陸の南端をまわって太平洋へ。
ハプスブルク家のカール 5 世が、神聖ローマ皇帝スペイン国王として即位する
国王の命令で、1519年マゼランが5隻265人の探検隊でスペインを出発。
アステカ帝国を征服したスペインのエルナン・コルテス
【メキシコは当時「アステカ帝国」の隆盛であった】
アステカ帝国
アステカの若き君主
宗主国スペインとメキシコ
・スペインの面積は、日本の約1.3倍
・植民地政策の苛烈な統治によってメキシコのインディオ人口は激減し、約2500万人いた人口が約100万人ほどに落ち込んだと推測されている。
・スペインの人口 現在約4,700万人
・現在のスペインの産業 自動車、食料品、化学品、観光業
・スペインは後進国を従わせて世界を植民地化した最初の国。
711年、イベリア半島(スペイン、ポルトガルの一部)の大部分がイスラム治下に置かれ、イスラムに征服された。この後レコンキスタ(キリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動の総称)によって、1492年にグラナダが陥落し、これによって、実に781年に亘ったイスラム支配が終了し、キリスト教支配国となる。16世紀、スペイン帝国の援助で多くの探検家がアメリカ、メキシコ、南アメリカの原住民を従わせて、多くの金銀をスペイン本国に持ち帰り隆盛を築いた。
スペイン帝国はその最盛期には南アメリカ、中央アメリカの大半、メキシコ、北アメリカの南部と西部、フィリピン、グアム、マリアナ諸島、北イタリアの一部、南イタリア、シチリア島、北アフリカのいくつかの都市、現代のフランスとドイツの一部、ベルギー、ルクセンブルク、オランダを領有していた。植民地からもたらされた富によってスペインは16世紀から17世紀のヨーロッパにおける覇権国的地位を得た。「太陽の没することなき帝国」となった。18世紀、イギリス、フランス、ポルトガルと戦争状態で国力は落ちてきて、かってのアメリカ、南アメリカでも独立戦争で敗退を余儀なくされ、国内は内戦が続き、やがて栄光のスペインは没落していく。
【スペインはメキシコの首都メキシコシティを廃墟とす】
テンプロ・マヨールは元首都
魔除けであろうか、地下に埋められていた
アステカ帝国の街を埋めてスペイン風の街をつくった
テンプロ・マヨール 頭蓋骨発見される
テンプロ・マヨール 蛇の彫刻
アステカ帝国 死のフラグ
テンプロ・マヨール「大神殿」 は現在も発掘中
アステカ王国の戦士
コルテスが強大なアステカ帝国をどのように倒したか
当時のメキシコとスペインの時代背景
スペインが侵入
1519 年、オーストリアのハプスブルク家のカール 5 世が、神聖ローマ皇帝スペイン国王として即位する。カール 5 世は、大航海時代のスペインを版図に収め、「太陽の沈まない国」としてハプスブルク家の絶頂期に君臨した。スペインが最も繁栄した時期である。
1519年にスペインのエルナン・コルテスを長とするスペイン人500人の兵、馬16頭、帆船11隻を率いてメキシコ湾岸沿いに進み、やがてスペインを制覇する。
コルテスらは征服先で黄金を略奪し、インディオの大量虐殺を行った。そして多くのインディオ女性を強姦し、さらには征服が一段落したのちは征服者としての政治的経済的な力でこれまた多くのインディオ女性を妾として所有した。
スペインによる支配は300年続いた。
スペインがメキシコのアステカ王国を滅ぼした時代は、日本では室町時代で、金閣寺・銀閣寺で栄華を誇っていた
スペインはアステカ帝国住民から金銀財宝を略奪し徹底的に首都・テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を破壊しつくして、遺構の上に植民地ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)の首都(メキシコシティ)を建設した。
多くの人々が旧大陸から伝わった疫病に感染して、そのため地域の人口が激減した。
首都マドリードのクアトロ・トーレス・ビジネス・エリア
現在のメキシコシティ
【2.米墨戦争 で国土の半分を失う】
白〇が、アメリカがメキシコから没収した州
「史上最高の大統領」と親しまれるリンカーンはメキシコの領土没収に反対していた。
メキシコ・アメリカ戦争により、国土の半分近いカリフォルニア他をアメリカ合衆国に奪われた
人類は争いを続ける生き物である
戦争とは泥棒なり
戦争は勝った方が正しいと歴史に残るようだ
アメリカ優位の写真
アラモ砦事件 のアメリカ製作映画
米墨戦争【べいぼくせんそう】
メキシコ領であったテキサスにはアメリカ人が入植して、1836年に一方的にテキサス共和国の独立を宣言、さらに1845年、アメリカはテキサス共和国を併合した。メキシコが抗議すると、アメリカ合衆国はメキシコを挑発し、メキシコ側が先に領土を侵犯したと口実をもうけてメキシコ本土への侵攻を開始し、1846年5月、アメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)となった。
1846年―1848年の米国・メキシコ間の戦争。 米国は国境紛争を利用し,メキシコを挑発して開戦。 米国の軍事的勝利によりメキシコはテキサスを放棄,ニューメキシコとカリフォルニアを格安の1500万ドルで譲渡した。更にネバダ、ユタと、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドも失うことになった。
このアメリカ=メキシコ戦争で、多くのアメリカ国民は勝利に喝采を送り、国中が勝利で沸き返ったが、このようなやり方を「防衛と言いながら実は侵略で、憲法違反だ」と議会で指摘した人物がいた。この勇気ある下院議員が若き日のリンカーンであった。
現在でも、メキシコ国民がアメリカ合衆国に対して、一種独特の嫌米感情を抱く背景には、この時期の両国の戦争とその結果として生じた領土喪失が尾を引いている。
【世界の悲哀】
プーチンの独裁は第三次世界大戦となるやも
ウクライナは焦土となりつつある
現代の戦争においても、例えばアメリカのベトナム戦争、イラク戦争、日本の満州事変など、またアフガン戦争、ロシアによるウクライナ侵攻など、事実が曖昧のまま、あるいは隠されたまま、戦争に突入している。そして戦争だけでなく、様々な政治の場面でも為政者が「事実」をごまかし、あるいはねじまげて「議論」し、「大義」や「正論」をかざして反対論をおさえ、多数で物事を決めていくことがおこなわれている。
アメリカのキューバ危機、中国内部の香港問題やチベット問題なども独裁者や先進国の都合による政治が問題視されている。
18世紀からのヨーロッパで、当時の先進国はこぞってアフリカに植民地化を進めた。それらは侵略、侵攻、人民の奴隷、略奪などとても常識や良識で理解など出来ない。
今まさにロシアのプーチン大統領もウクライナで同じことをしている。他国は批判しているが過去に同じことをしているのである。キリスト教やイスラム教はこれらの行為に無力である。歴史は繰り返される。無常なり。
【政府の指導者】
20210年メキシコ旅行の時のホームページ → こちら
メキシコ編 終わり