エチオピア
(エチオピアは見どころ満載)
シバの女王
シバの女王の神殿跡
ソロモンとシバの女王
「シバの女王の神殿跡」は「アクスム」にある。「紀元前10世紀」に建てられた「3階建て」で「50もの部屋」があったとされている広大な「シバの女王の宮殿」があったとされる「遺跡」。
エチオピアはコーヒー発祥の地
コーヒー豆を食べて踊りだしたヤギと少年
ヤギのイラスト入りコーヒー
エチオピアの山奥のコーヒー園
エチオピアではコーヒー産業に携わる人が25%
アジスアベバで一番人気の「トモカコーヒー」
レストランでもコーヒーはフライパンで焙煎
コーヒータイムには乳香を焚く
コーヒーセレモニー
一般家庭(中流家庭)の家にお邪魔して、最初から見せてもらう。先ずは生豆を煎る、香りが充満して部屋中が甘い匂いで包まれる
子供がパンを配る
ようやく出来上がり
とっても濃厚、サトウを入れるとまろやか、さすが感動!
コーヒーセレモニー
コーヒー・セレモニーとは、エチオピアとエリトリアの伝統的な習慣であり、コーヒーを飲むことを儀式化した作法の一つである。エチオピアではカリオモンと言い、「カリ」とはコーヒーノキの葉、「オモン」は「一緒に」という意味である。
日本の茶道と同様、コーヒーを飲むという行為に精神的な要素や教養などが含まれる文化的な習慣であり、他者に対する感謝ともてなしの精神を表すものである。
女性が執り行うものであり、エチオピアでは結婚前の女性が身につけるべき作法の一つとされている。冠婚葬祭の際や、大切な客を迎える際などに行われる。使われるポットやカップなどの茶器は女性が実母からや嫁ぎ先で代々受け継がれてきたものであることもある。
客の前でコーヒーの生豆を煎るところから始め、3杯飲むことが正式であることから、1時間半から2時間以上かかる場合もある。その間は香を焚き、客はパンやポップコーン(ファンディシャ)などを食べながら待つ。
大地講帯と植民地
エチオピアの大地は落差100mの崖が多い
四角や三角の山が連なる
アフリカ大陸は平均の標高が600mだが、アジスアベバは2400mと高い
エチオピアは大地溝帯が走り、落差100mの崖が随所にあるため。植民地化にならなかった
大地溝帯
大地溝帯(だいちこうたい)は、主にアフリカ大陸を南北に縦断する巨大な谷で、プレート境界の一つである。大地溝帯の谷は、幅35km~100 km、総延長は7,000 kmにのぼる。正断層で地面が割れ、落差100 mを超える急な崖が随所にある。
狭義の大地溝帯は、エチオピアを南北に走る高原地帯を云う。これがエチオピアが植民地から救ったと言える。
植民地
アフリカ大陸で植民地にならなかった国はエチオピアとリベリアの2ヵ国のみである。
その理由は、リベリアはアメリカ合衆国で解放された黒人奴隷がリベリアに戻って建国されたためである。
エチオピアは大地溝帯が走り、落差100mの崖が随所にあるため。植民地化にならなかった。ヨーロッパ諸国は一時考慮したが、交通網などのインフラが進められず、飛行場さえ建設されない状況で断念した。
花
国中に黄色いマスカルの花が咲き乱れる。
濃いマスカルの花
うすい色のマスカル
移動
旅はトヨタのマイクロバス、殆どが日本車
エチオピアの産業の代表は「畜産業」、国道や街の中や野山にも多くの動物が。
国道を行くラクダのご一行様
羊と山羊は道路わきの草を食べてくれるので、町も田舎も草刈不要
この群れは山羊さん、必ず群れには見張り役がいる
こちらは羊の群れ、車は慎重によけて通過する。事故で亡くなると弁償
ロバは忠実な運送手段
一輪車で運搬
タクシーは三輪車
靴磨きもミシンも男性が多い
この国は何故かビリヤードをする人が多い
エチオピアの建築資材、足場は木を使用。東南アジアは竹を使用する
エチオピアの宗教はキリスト教信者が多い。男女とも白を基調としたもの。
青ナイルの源流「タナ湖」
タナ湖
タナ湖(青ナイルの源流)
淡水湖。エチオピア最大の湖で青ナイル川の源流である。深さは最大15 m、面積は約3000 km2(琵琶湖の五倍)で、海抜1800 m。この湖の特徴として、37の小さな島が点在していること。島に計29の修道院が散在していることが挙げられる。
この島に何故29もの修道院が作られたかと言うと、イスラムの攻勢から逃げたためという。
青ナイルの源流目指して
珍商売!島につくと大勢の長靴レンタル屋が、前日の雨で道がドロドロ、商売繁盛だ!
観光客相手にヘルプが一人づつ、転んで泥だらけになるので助かる。女性は恋人気分。当然チップ必要。
これが教会、隣にも似たような建物で修道院。37の島に29もの修道院。質素な造り。
この一滴がタナ湖へ、そしてナイル川へ
タナ湖へ流れる(青ナイルの源流)
シミエン国立公園(標高3190m)
シミエン国立公園(標高3190m)
今夜のコテージ
アイベックス
ヒヒの群れ
ヒヒ
ハイエナもジャッカルもいる
ミシエン国立公園
タナ湖の北東約110kmの一帯に広がるシミエン山地を対象とする220km2に及ぶ国立公園。 シミエン山地にはエチオピア最高峰(アフリカ大陸第4位)のラス・ダシェン山(標高4620m)をはじめとする高山が続き、「アフリカの天井」とも呼ばれている。この厳しい自然環境のなかで、独特の動植物たちが生息している。
アイベックス、ゲラダヒヒ、アビシニアジャッカル、ブチハイエナ、サバンナダイカー、チョウゲンボウ(猛禽類)などが生息している。
野生動物が多いので、バスには銃を持った警備員が警護のために乗り込んできた。
主食
エチオピアで主食として食べられている食品がテフ
テフはイネ科の穀物
主食がインジェラと言い、テフをクレープにしてその上に煮込みや野菜、肉類をのせて食べる
結婚式
エチオピアの結婚式は昔の城郭や教会で行われる。他に式場がないからだ。
エチオピアの女性は美人が多く、しかもナイスバディ。
新郎新婦
スッチー
エチオピア機の客室乗務員は美人が多い
教会は一枚岩の地下にある・・・
最も有名な教会、一枚岩でできているギョルギス教会は、縦横12m、十字架の形に掘られ、高さも12mあり、屋根が地表と同じ高さにある。誰がどのようにして作り上げたのか謎であると言う。
一説には、異教徒の襲撃から逃れるためにこんな地下に造ったと言われる。
何十年も敷かれた絨毯には「ダニ」が寄生?清潔な日本人は靴下の上からレジ袋をかぶせてダニ対策。そこまでやるか!と欧米人。
各教会には聖職者が待機、多くの聖職者は観光客によるところの収入で生活が成り立つ
聖職者の卵たち、小学生から20才までは青空学校で学ぶ。
先生はラリベラ王の絵を羊の皮に描いて売り、子供達の面倒を見る。一枚500円程度。
・ラリベラの岩窟教会
エチオピア中心部の山地にあるキリスト教の教会群。
12世紀、第2のエルサレムをと考えた、サグウェ朝のラリベラ王によって、ヨルダン川の両岸に一枚岩をくり抜いて造られた。イスラム教国に囲まれたエチオピアのキリスト教信者は、異教徒の襲撃を避けるために、このような教会を造ったという。ラリベラはエチオピアのキリスト教にとって崇高な場所であり、現在も巡礼と信仰の場として崇められている。しかし観光客は興味津々。特に信仰心にとぼしい日本人は何を思う?
靴を脱いで、レジ袋をかぶせて中を見学。
教会群の中には天国への道がある。
こちらは地獄の道、20mほどの道は真っ暗闇、左手を壁に右手は天井に触りながら歩く。
ルーシー(人類初の二足歩行者)
ルーシーはエチオピア東北部のハダール村で発見
ルーシーに会えると言う、アジスアベバの国立博物館を訪れる
化石を組み立てたらこのように
現代科学で復元すると、やはり女性
ルーシー (Lucy) とはエチオピア北東部ハダール村付近で1974年に発見された318万年前の化石人骨。全身の約40%にあたる骨がまとまって見つかっている。1980年にユネスコの世界遺産リストに登録された。
この猿人の発見は、類人猿に近い脳容量と人類に近い直立二足歩行を行なっていた痕跡を示す人骨という点が注目されている。完全に復元できた骨盤と仙骨から骨盤の開き具合を判断し、これが女性の人骨であると考えた。ルーシーは身長 1.1 m、 体重29 kgで、一般的なチンパンジーに近いようにも見える。しかし、この小さな脳、骨盤、足の骨を持つ存在は、機能的には現代人と一致しており、確かに直立歩行していたことを示している。
マスカル祭 (日本のお正月版)
エチオピアのマスカル祭は、宗教的・文化的なフェスティバル。2013年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されたフェスティバルでもある。
人々は白地に刺繍の入ったエチオピアの伝統衣装を着ていることが多く、大変美しい。マスカル祭は、もともとキリスト教の宗教的なお祭りなのだが、この時期は、仕事の都合などで普段は離れている家族が集う時期ともされている。マスカル祭では、女性はエチオピアの伝統的な食事を作り、男性は牛を屠殺する。このようなエチオピアの伝統が、親から子へと受け継がれるタイミングともなっている。また、マスカル祭までに人々の間の紛争は、長老によって解決される。マスカル祭に合わせて結婚式を行ったり、マスカル祭に伴う舞踊で将来の結婚相手を見つけたりするそうだ。このように、マスカル祭は宗教的な側面のみならず、文化的な側面も持っている。
エチオピアの国内移動はジェットコースターの様。
旅を終えて・・・
やはりアフリカが一番印象に残る。
理由は簡単だ。素朴で、原始的で、科学や近代化とは縁がない国が多い。アフリカの国の飛行場に一歩踏み出すと、空気も景色も当然人も違う。目が点になることが多い。
今回は標高の一番高いシミエン国立公園が3200m、そこから一気に1000mの村まで中型の20人乗りバスで下りてくる。トヨタ車だから安心だが、道路が狭く悪路が多い。2000mを下るのだからエチオピア特有の大地溝帯を通過するのは命がけである。日本で言うならば日光のイロハ坂の連続である。
まるで毎日ジェットコースターに乗っている気分、緊張の連続。
こんな特殊な国土ゆえ、その昔ヨーロッパ諸国はどの国も植民地になどしなかったのがうなづけた。それが幸か不幸か現代でも不便は続いている。
子供たちはお菓子や飴玉などとは無縁なのだ。子供も大人さえもガイドでさえ日本のボールペンを欲しがる。
だが今、中国が現代版植民地化を目指している。インフラや畜産業に力を入れているようだ。国内に畜産の屠殺場を多数作り、肉類を中国に持ち帰るようだ。中国も15億の国民を養うのに必死なのであろう。
当初の目的である観光地はほぼ見終えた。コーヒーも飲んだ、買った。大満足で帰途についた。
【政府の指導者】
エチオピア編 終わり