スイス

【MAP】

・面積 九州と同じくらい

・人口 861万人(外国人約25%

・首都 ベルン(人口14万人)

・言語 独語(62.6%)、仏語(22.9%)、伊

 語(8.2%) スイス国鉄の車掌は3か国語と

 英語も堪能である。

ワンポイント情報
・産業 時計産業 世界の時計全生産高の5割。従事者3万人

永世中立国

バチカン市国衛兵スイス傭兵

・国内には多くの国際機関の本部が置かれている。

通貨スイスフランCHF)は「地金)よりも堅い」と言われるほど、世界でもっとも安定した通貨である。

スイス銀行は、顧客の情報の守秘義務に関して国際的に有名で、「独裁者の金庫番」「犯罪者の金庫番」と揶揄されている。

首都 ベルン】

          世界遺産のベルン旧市街

ユングフラウ三山

ミューレンの丘(右側)から、谷底シュテヘルベルクは高低差800m、左側上はユングフラウ三山

        ユングフラウ三山

ユングフラウ三山の伝説が面白い。名前の通りアイガーは現地語で男、メンヒは牧師、ユングフラウは乙女、処女の意味

アイガー北壁は、高さ1,800mの岩壁

【メンバー】

山と温泉をこよなく愛するティチャー

今回の企画者の一人、教授は語学堪能

紅一点の妙さんは画家、水彩画でユングフラウ三山をたった10分で仕上げる

夜はCOOPで、酒のつまみとビール、ワイン、ウイスキー

この日もワインだけでも6本。そう、際限が・・・スイスのワインは旨い

   ワインは売るほど有ります

こちらの棚にも。 毎日ワインを選ぶ目は、時間をかけて真剣。しかし飲むのは一瞬

【散策】

朝はしっかり栄養を、昼はサンドイッチ1個、夜はオ・サ・ケなので!

    花と山が競っているような!

 街の背後に巨大な滝が流れ落ちる

クライネ・シャイデックに向かう登山電車と滝

【 ワンちゃん

 スイスの 犬は幸せそう

スイスは犬と山に入るのがポピュラー、躾は驚くほどされている

ワンちゃんは列車に乗るとすかさず御主人の足の下に。観光客にはモテモテ

【 ニャンも幸せ

スイスはネコにとっても最高の国、ニャンとも言えない幸せ者(猫)

   スイスはネコ用の階段がある

【新田次郎】

クライネ・シャイデック駅前の三角テントの後ろには、新田次郎の墓が

 花畑の真ん中の白い部分が墓

ユングフラウをこよなく愛した作家 新田次郎、故人の希望による

【温泉】

本日は休養日、ロイカーバート (温泉)へ

    男女混浴、水着着用でした

風呂上がりビールで乾杯!隣の女の子と目があった。お互い意識する、そして目で会話

だんだん近付いて来た、別れの時悲しい顔が忘れられない。スイス愛情物語より。

【アレッチ氷河】

   アルプス山脈最大の氷河、世界遺産

氷河の長さは23.6kmその中心部は年180~200mのスピードで前進している 

氷河見学後、下界までトレッキング。1,950mの小さな集落(手前)と、更に1,000m下に町がかすかに見える、絶景!

放牧中の牛、必ず首には大きな鈴が動く度にガラン、ゴロン

    立派な鈴

 マーモットは女性がお好き!

   白い妖精たち

 人生、派手が良いねェ〜

   昼下がりの美人!

【マッターホルン】

  人気の山と、人気の観光ルート図

登山口のツェルマットの広場には観光用馬車も待機

誰もが一度は訪れたいツェルマット。人口は6,000人程度、住民の40%が外国人

ツェルマット名物、羊の行進。行進の後のお土産は黒豆があちこちに

 ネズミ返しのある古い家並み

   スイス名物アルプホルン

 

スイス、窓辺の花

 スイスの街は、何処へ行っても窓辺に飾られた花が美しい。

 これらの花と庭の手入れは、市や町によっては条例で決められているそうだ。

 ある農家の主人は、牛小屋一つ直すにも形、大きさ、色合いがすべて決められており、許可を取らねばならないと言う。

 また、庭の手入れを行わなかったために、町当局から警告を受けた人もいると言う。役場から来た手紙には、「貴殿の庭は街の景観を著しく損ねているので、いついつまでに手入れを実施するように。行わない場合は町から庭師を派遣し、罰金およびその費用を請求する」と書かれていたという。

朝陽に輝くマッターホルンとツェルマットの街

    ホテルのテラスから見るマッターホルン

本日は快晴、ヘルンリ小屋までの登山予定。しかし雪が多い

シュヴァルツゼーからは標高差600mほど、夏は2時間半程度

ヘルンリ小屋のテラス  3,260m

  ハイキングをするとエーデルワイスは見放題

 スイスと言えばエーデルワイス、テラスにも沢山

     リンドウかな?

 メンバーはこの日もオ・サ・ケ!

【スイスと時計】

スイスと時計産業

スイスは世界最大の時計生産国である。

現在、スイスの時計生産高は世界の時計全生産高の5割を占めていると言われている。

高級時計は300以上の部品で作られている。繊細さを必要とする時計製造にはスイス人の才能と根気が結集されている。時計の販売価格のうち材料費が占める割合はごく一部でほとんどが人件費である。

スイス人の勤勉さと正確さが高品質な時計製造の鍵を握っている。高級時計を1つ作るのに手作業で150時間、有名な時計職人による名作は完成までに2,000時間を要すると言われている。


「スイス人の完璧さ」はスイスのあらゆるところに見受けられる。古い建築物はきれいに修復され、荒れ果てた家など殆ど見当たらない。車は磨き上げられ錆ひとつない。スイスを訪れた人はごみひとつ落ちていないその清潔さに感心する。

そして、列車発着の2分の誤差も遅れとみなす「スイス人の正確さ」は、時計作りと大いに関係があるように思われる。 

スイスの時計産業が発展した要因

16世紀、宗教革命でヨーロッパの優秀な時計職人がスイスに逃れてきた。

・立地条件が良かった(涼しく空気と水が澄んでいた)。

 精密機械は埃っぽい所は良くない。洗浄にも綺麗な水が求められる。当時はエアコンも無く、職人が汗をかかない涼しい所が求められた。(日本の精密機器製造の長野県岡谷・諏訪地方と同様)

・輸送手段としてライン川があり水運が良かった。また時計は小さく原料を運ぶにもコストが少な 

かった。

1518世紀、スイスは産業が乏しく世界に傭兵を送り「血の輸出」するしか方法がなかったが、 

それが見直され時計産業に重点を置くようになる。スイス人が特別手先が器用だったわけではな

い。それしかスイスの風土に合った職種がなかったと言えよう。何故ならば、傭兵はかなわず、

農業も山や谷が多くかなわず、出稼ぎも無くスイス人の堅実・根気・真面目さ等が精密産業にマ

ッチしたといえよう。

【スイス傭兵】

スイス傭兵

スイス傭兵は、主にスイス人によって構成される傭兵部隊で、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパ各国の様々な戦争に参加した歴史がある。特にフランス王家とローマ教皇に雇われ、特にスイス歩兵の精強さがヨーロッパで認められるようになったのである。

 国土の大半が山地で農作物があまりとれず、めぼしい産業が無かったスイスにおいて、傭兵稼業は重要な産業となった。また傭兵稼業によってスイスは強大な軍事力を保有する事となり、隣接する他国にとっては、侵略が極めて困難であり、侵略してもそれに見合った利益が得られない国と看做されるようになり、スイスの安全保障に貢献し、「血の輸出」と呼ばれた。

 しかし、1874年にスイス憲法が改正され傭兵の輸出を禁じるようになり、1927年には自国民の外国軍への参加を禁止したため、スイスの傭兵輸出産業は完全に終了することになった。

 スイス傭兵が優秀で合った要因はつぎのとおりである。

 険しい山岳地帯の貧しい暮らしに耐え抜く強い意志、雪の絶壁や氷の断崖の危険も恐れぬ胆力、粗食、欠乏、寒気に馴れた生活態度。1本の鋼鉄の棒で動物をしとめる能力、十数時間も休まずに山登りする体力、苦痛に対しての忍耐力、どれひとつとっても、戦士としての要件を満たしているのがスイス兵であると言われた。

 だが、とくに律儀なスイス人は、派遣された国の意思に忠実で、スイス兵同士が戦う場合もあった。一家の兄弟で、兄はプロテスタント・オランダの兵として、弟はハプスブル家のカトリックの兵士として殺しあうといった悲劇も珍しくはなかったと言う。

 やがて、こうした悲劇がスイス国内の傭兵反対世論となって、派兵をやめるきっかけとなったのである。

 こうした傭兵派遣はネパールが有名である。ネパール山岳民族から構成される戦闘集団の呼称でグルカ兵と呼ばれており、今も世界に形を変えて民間軍事会社として派遣されている。

何故、バチカン市国の衛兵は イタリア国民でなくスイス国民がしているのか?

 16世紀初め、スイス人傭兵の能力(勇猛さ、雇い主に対する忠誠等々)の評価が高く特別信頼が寄せられた。

 1527年にバチカンが神聖ローマ帝国に攻撃された際、教皇を守る為に、189名中42名しか生き残らなかった。それ以降、バチカンはその恩義に報いるということでスイス傭兵を雇い続けている。

ODEON BAR

   創業1911年 の「ODEON  BAR]

  109年もの歴史

どうしても行きたかったODEON・・・

チューリヒに来ると、どうしても「ODEON」と口癖になっていた。山と温泉の師匠は20年前にここに訪れ、その懐かしさからどうしても行きたいという。 私も興味は募る。

 スイス暮らしの作家、長坂道子さんの「ODEON」評は次の通りである。(抜粋)

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 「創業1911年のこの伝説的なカフェは、かなり古くさいが雰囲気に満ちあふれた店である。チューリッヒにあってここオデオンは、薄暗い照明、ベッチンのカーテン、バーのしつらえから床のモザイク模様にいたるまで、すべて昔そっくり元のまま、という、その点でもなかなか希少価値のある、したがって味のある店である。

 この店に足しげく通い、何時間でも居座り続けた文化人の中には、ジェイムズ・ジョイスシュテファン・ツヴァイクサマセット・モームなどの文学系、

アインシュタインをはじめとする学者系、ヴィルヘルム・フルトヴェングラートスカニーニアルバン・ベルグなどの音楽系、そしてレーニンベニート・ムッソリーニなどの政治系など、そうそうたる名が知られている。レーニンはオデオンのテーブルに何時間も陣取って、来るべきロシア革命の構想を練ったともいわれている。」

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 4人で探す事1時間半、そろそろあきらめようかと思ったその時 「あつた!」 感度の一瞬。

 どうしてもアインシュタインやレーニンがこよなく愛したカフェで酒を飲み、旅の最後の夜にふさわしく、互いのこれからの人生を語り合いたかった。

そう、レーニンの革命前夜の情熱のごとく。

我らが教授、革命の夢語る。師匠も思い出にふける

夜も更けていく。午前3時までは、まだまだ・・・

【政府の指導者】

パルムラン スイス連邦大統領 1959年生 61

 

2021年就任

・もともとワイン農家で、2003年に国民議会議員に初当選した

スイスの大統領は、慣例的に閣僚7人のうち1人が1年ごとに交替で務める輪番制となっている。


 これでは汚職や独裁は出来ないであろう。

スイス編  終わり