ポルトガル
【MAP】
【植民地】
ポルトガルの日本攻略と深謀遠慮
ポルトガルは大航海政策で世界に植民地を作り、本国に財を送り込むのが目的であった。
そこで活躍したのが、次の3人。マゼラン、ヴァスコ・ダ・ガマが世界航路をして寄港地を作る。そのあとで、ザビエルがキリスト教を広めて人心の心をつかみ、多くの信者を作り、植民地化するという図式である。
ポルトガルは布教と貿易を同軸にしていた。すでにこの時期、スペインはフィリピンをキリスト教会が侵略の先兵として果たしており、ポルトガルもザビエル以下修道士が日本征服論を漏らしており、その後豊臣太閤によってキリスト教禁止令が出され、宣教師は国外追放となる。
古今東西、宗教は人心の不安等を救うためのものであっただろうが、世界の先進国のどの国も目的は違っていた。多くの後進国が植民地として支配される時、まず宗教で人心をつかまれ(あえて表現をきつくするならば惑わされ)、財は没収、略奪、南アメリカのインカ帝国の様にスペインによって民族が滅ぼされる悲劇さえ生まれている。
宗教の目的は崇高であろうが、それを利用する時の権力者がうまく利用するのが歴史上の結末といえよう。
「発見のモニュメント」 大航海を記念したモニュメント
1:エンリケ航海王子
ジョアン1世の3男。自らの航海経験はないが、パトロンとして海洋探検家達を援助し指導した。アフリカ西岸到達を達成するなど、大航海時代初期を牽引した人物。2:アフォンソ5世エンリケ航海王子の甥。モロッコを拠点にアフリカ、ポルトガル帝国形成した。別名、アフリカ王。
3:ヴァスコ・ダ・ガマ
ヨーロッパからアフリカ西岸を経てインドへ至る航海を最初に成功させた海洋探検家。この航路開拓により、ポルトガルは海洋帝国の基礎を築いた。
4:アフォンソ・バルダイア
海洋探検家。
5:ペドロ・アルヴァレス・カブラル
ヴァスコ・ダ・ガマに続き2回インド遠征隊長を務めた、マヌエル1世の顧問官にして、海洋探検家。ブラジル到達を果たした。
6:フェルナン・デ・マガリャインス (マゼラン)
ヨーロッパから西回りで太平洋到達を果たした海洋探検家。フィリピンで戦死するが、残された彼の艦隊が歴史上初の世界一周達成という偉業を成し遂げた。
ポルトガル航海船
フェルディナンド・マゼラン
ヴァスコ・ダ・ガマ
フランシスコ・ザビエル
【ポルトガル語】
ポルトガル語が日本語に
ボタン、カルタ、パン、タバコ、コップ、カステラ、ジュバン、ジョウロ、バッテラ、ガンモドキ、コンペイトウ、テンプラ オルガン、カボチャ これらの言葉は、元はポルトガル語が起源だったのです。
【首都リスボン】
5世紀からの街並み。レトロな市電が趣を増す
坂が多いリスボンの街
電車は坂を上る
【檀一雄が住んでいたサンタクルス】
サンタクルスは海辺の田舎街
檀一雄は料理家でもある。子供の頃、両親が離婚したので幼い兄弟のためにも止む無く料理を作らねばならず、その結果料理に埋没していき、最後には料理の本まで出している。ポルトガルに住んでいた所が海辺、現地の人達の作る料理を見よう見まねで作り上げ、多分毎夜親しい村人たちと宴会?
【騎士団】
騎士団の団長エンリケ航海王子の時代、かって騎士たちは、すぐ戦いに行けるように、堂内を馬で回りながらミサに参加したと言う。
ミモザの黄色い花が満開
【コルク】
ポルトガルはコルク生産世界一、コルクの帽子
コルク製品、コルクの背広もある。財布や名刺入れは飛ぶように売れる。
【グルメ】
ポルトガルで一度は出てくるイワシ、日本ではその昔猫もそっぽを向いていた?
ランチは豚とアサリの炒め物
ポルトガル名物「バカリャウ」
【政府の指導者】
ポルトガル編 終わり