エリトリア

【MAP】

・面積 北海道と九州とを併せた広さとほぼ同じ ・人口 550万人・首都 アスマラ(人口40万人)

略史:イタリアの植民地~英の保護領~エチオピアへの併合~1993年、エチオピアより独立。 

国民全てが公務員

行進する女性兵士

「アフリカのシンガポールというスローガンを掲げて、同国を手本にした国作りを進めているが、「アフリカの北朝鮮と批判・揶揄されることが多い。国民全てが公務員であり国民皆兵徴兵制度を有する。徴集兵は軍務の他に、国が運営する農園や土木工事や鉱山作業に動員される。

 
   「“アフリカの北朝鮮”では全国民が奴隷だ」と言われている。

【人権がない!】

国外逃亡者多数

周辺諸国との紛争や兵役、抑圧的な政治体制により大量の国民が国外に脱出して国際的な難民問題になっている。 

地中海を渡る難民のエリトリア人。

人権問題

・政府に対する抗議やデモ活動は、平和的でも一切許可されない。

・政府は国内に厳格な監視制度を設け、国民は生活のあらゆる面に干渉され、常時監視されている

・エリトリア国民は男女とも全員、無期限の徴兵制度による兵役義務がある。

・「ナショナルサービス」と呼ばれる、政府の計画する事業での勤労奉仕活動(事実上の強制労働)に従事させられる。

・突然の徴兵や低賃金の長期間労働は貧困層がより増える原因になっており、徴兵を忌避して国外に脱出する者が絶えない。

・国外への渡航は厳しく制限され、国内での移動にも事前の許可が必要である。

・政府はカトリック教会やイスラム教スンニ派など4つの宗教だけを公認し、他の宗教は全て非合法化された。

・宗教的な書物は押収され、信者が姿を消したケースも少なくない。

・国民は裁判所の令状なく突然拘束されたり、拷問を受けたりする。

・裁判手続きなしの処刑が横行しており、死者や行方不明者も後を絶たない。

・同国は外国人記者の入国を認めず、独立したメディアは存在しない。

2014年半ばまでに約357000人余りが国外へ脱出し、現在も毎月5000人近くの国民が脱出している。

ジャーナリスト保護委員会2012年、エリトリアを報道の自由が少ない「検閲国家ワースト10」の第1位に選んだと発表した。

国境なき記者団による「世界報道自由度ランキング」でも180ヶ国中178位にランク付けされている。

【国民の生活】

経済 人口の80%第一次産業農業に従事している。 

教育 小学から大学までの学費は無料である。 

医療  医療費は無料である。 

国民は貧しい生活

ラクダやロバが運送手段

首都アスマラ

一戸建て

貧民住宅

裕福住宅

キリスト教修道院

首都アスマラの遠景

ジャカランタの花

山岳部を走るイタリア時代に建設されたエリトリア鉄道

【世界の評判】

エリトリアは最下位!

【戦車の墓地】

市街中心部から2kmほど離れた米軍カニュー通信基地跡地のすぐそばに、通称“戦車の墓地”と呼ばれる一角があり、廃棄された大量の戦車や軍用車両などが積み重ねられている。

 これらは、エリトリア軍によって捕獲されたものや、エチオピア軍が撤退する際に残していったもの。

旧ソ連製・アメリカ製などの戦車や軍用車両、対空砲などが、文字通り山積みされており、あたりには何の標識も説明もないものの、圧倒的な廃棄兵器の量が30年にわたる独立戦争の苛烈さを物語っている。

エチオピアから独立する際の戦争で、エチオピアを支持するアメリカが多くの兵器を持ちこみ、次にソ連がエリトリアに味方するため、アメリカに対抗して兵器を持ちこんでの文字通りの代理戦争

 この戦争で、米ソはどちらも勝負はつかなく、終了したと言う。跡に残ったのは多くの兵器ばかり。二度と繰り返さないための展示の様だ。

 しかし、その後にお出ましの中国。エリトリアは、国家設立当時から中国との関係が深く、早い時機から中国はこの国の豊富な未知の資源開発に食い込み、同時に武器などを含む輸出に動いている。現在のエリトリア大統領は、エチオピア出身で1967年に中国へ留学した経験がある。

 歴史は繰り返される。武器や兵器が揺り籠になるか、兵器の墓地になるか、果たして・・・

【すがるべきは宗教か?】

 エリトリアとヨーロッパが見事に融合した建築。聖母マリアを祭ったテワフド(エリトリア正教)の教会で、正面の壁画が特に有名である。

 教会建築は、左右の塔と中心部からなり、塔の白い頂上部には、鐘が設置されている。中央の印象的なモザイク画は、1950年代に、イタリア人画家Nenne Sanguineti Poggiが描いた宗教画である。

 教会内部には、キリストの人生と新旧聖書の場面からとられた十二使徒たちの壁画がある。また、教会正面には、大きな石でできた伝統的な鐘があり、今も神秘的な音色を奏でている。

【政府の指導者】

イサイアス エリトリア初代大統領 1946年生 75

1993年就任

・エチオピアの大学卒、1966年より反政府組織にて活動。

1967年より中国へ留学、毛沢東思想や軍事知識を学ぶ。

1987年よりエリトリア独立戦争を戦い、19936月から独立したエリトリアの初代大統領に就任。

国内で紛争の是非や政治姿勢に批判が高まり始めると独裁化、メディア統制や野党勢力弾圧を行った。

・大統領・議会選挙は事実上無期延期の形となり、一党独裁制が敷かれている。

・国民は男女を問わず全員無期限の徴兵制度徴農制度などで兵役と労役が義務付けられている。

・事実上の強制労働であり、圧政から逃れるため、毎月2000人近くのエリトリア人が国外に脱出している。

・イサイアスは外国人記者のエリトリア入国を認めず、国境なき記者団による「世界報道自由ランキング」でも最下位にランク付けされた。

2018年、エチオピアのアビィ・アハメド首相と20年ぶりの首脳会談を行い、長年にわたる戦争状態の終結や経済・外交関係の再開、国境に係る決定の履行を内容とする共同宣言に署名した。

エリトリア編  終わり