アルバニア
【MAP】
ワンポイント情報
・面積 四国の約1.5倍
・人口 290万人
・首都 ティラナ(約61万人)
・産業 農林水産業18.6%、
商業、飲食・宿泊業13.5%
【トーチカ】
町の公園に突如現れるこちらのドーム。「トーチカ」という、敵から身を守り射撃できるシェルター。中に入ると小さな覗き窓があり、外にいる人々の足元が見えるようになっている。
アルバニア国内に100万あるというトーチカは仮想敵国を相手に作られた負の遺産。頑丈な作りのため、取り壊すこともできず、町中でも見かけることができる。
アルバニアは過去12回もの大国による支配を受けてきたのでそのための防御なのだろうか。
鎖国時代、ソ連を仮想敵国として作られたという。
【侵略される事12回】
アルバニアは過去12回もの大国による支配を受けてきた。
ギリシャ、ローマ、東ローマ帝国、ビザンツ帝国、スラヴ人、ブルガリア帝国、セルビア王国、オスマン朝(400年間)、イタリア、ドイツ、そして社会主義国のソ連、中国と続いた。
また、その度にキリスト教、正教徒、イスラム教が導入され、最後のソ連、中国からは宗教禁止令となり、国民は右往左往。
国の指導者はそんな大国の支配から逃れるべく「鎖国政策」、そして国の政策として「ネズミ講」が導入され、国民の半数が破綻に追い込まれた。国民が鎖国で情報が入らず、無知であったからとは一概には言えない。
先進国日本でも未だネズミ講的な仕組みで被害を受ける人々が絶えない。人の業なのだろうか。
バルカン半島の大半6カ国が「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」解体で、争いした経緯があるが、鎖国をしたこの国も国民は苦労を強いられたのだ。
この国の若いガイドが、博物館にある年表の前の昔の指導者の前で、この人たちのエゴイズムと間違った政策でこの国は遅れをとったのです、とポツリと言った事が忘れられない。
【鎖国】
日本は212年の鎖国
アルバニアは23年間の鎖国
幸せの国ブータンも100年近く鎖国
アルバニアの鎖国、日本とブータンも鎖国をしていた。
米ソ冷戦終了時まで鎖国政策が続いた。
1912年オスマントルコから独立、1939年イタリア軍に占領、1943年ドイツ軍に占領。1944年よりソ連の監視下、1961年に「ソ連」と断交し、1968年にはワルシャワ条約機構を脱退して、鎖国状態に突入。1978年頃から完全な鎖国状態になり、そのために経済が低迷しており、長年に渡って、ヨーロッパの中でも最も貧しい国という位置づけである。1991年鎖国解除。実に23年間の鎖国であった。
当時、ホッジャを首班とする独裁政権下では、国民は 同じヨーロッパに属する隣国イタリアの名物であるピザや、バナナといった果物を初めて知ったという国民もいた。
世界で鎖国をした国は3カ国。
日本の徳川時代の 鎖国は 1641年から1853年まで212年間である。一方アジアの「幸せの国ブータン」も100年間もの間鎖国をしていた。
【ねずみ講】
アルバニアねずみ講
冷戦終結後の1992年、民主化を選択したアルバニア共和国では経済の自由化を推し進めていた。だが急速な自由経済の導入は混乱と経済犯罪の発生を招き、無限連鎖講(ネズミ講)が急速に広まって社会問題と化していた。1997年1月、数十万名を数える破産者の集団は総額12億ドルに上る投資金の返還を求めて暴動を起こした。国連軍が編成され、国連軍が首都ティラナなどを監視下に置き、漸く騒動終結に向けた動きが前進した。5年間の悪夢であった。
3分の1もの国民が全財産を失ってしまい、「アルバニア共和国」の経済は破綻した。
政府は集めた資金で武器を仕入れ、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の紛争当事者へ売り払うことによって収入を得、配当を行っていた。国民の半分がはまったと言われるまでにねずみ講が蔓延した理由としては、社会主義国家で鎖国状態であったために、国民に市場経済の金融・経済についての教育が行われず、国民が「投資とはこんなものだ」と思い、ねずみ講の危険性に気づかなかったことも挙げられる。
【“千の窓の町” 】
正式には、1001個の窓らしい
世界遺産「千の窓の街」
上から要塞、教会、「千の窓の街」
要塞の中の家、600人が住む
要塞の中の教会
要塞から眺めるベラートの街並
左下に「千の窓の町」
下が「千の窓の町」、前方に旧市街
ヨーロッパの美しい村30選に選ばれた世界遺産「ベラット」
“千の窓の町”“浮かぶ町”と呼ばれる街がある。それはベラートという。
首都ティラナから車で約2時間半の所に位置する世界遺産都市ベラート。ベラートは何世紀もにわたり様々な宗教・文化を持つ人々が共存してきた平和の象徴のような町。
ベラート城の多くの部分は13世紀に建てられてはいるが、その基礎は紀元前4世紀、アルバニア人の祖先であるイリリア人によって築かれているし、要塞部分には42ものビザンチン時代の教会(その多くが13世紀建設)や、1417年から始まったオスマン帝国支配下に建てられたいくつかの教会も見られる。
また“千の窓の町”“浮かぶ町”と呼ばれ、オスマン帝国時代の町並みが特に美しく残るマンガレム地区とゴリッツァ地区はオスミ川を挟み対面するように位置する。
【 首都 ティラナ 】
首都ティラナの街並み
今は平和な街で学ぶ学生たち
【カラフルな建物】
アルバニア共和国の首都「ティラナ」の市長は元建築家。共産主義時代の暗い街並みを変えるため、それらの建物をカラフルにペイントした。
カラフル過ぎる建物
明るい感じだが・・・
センスが良くなってきた建物群
【政府の指導者】
ラマ アルバニア首相 1964年生 57才 政治家。
・画家、作家、元教育者、元バスケットボール選手と多彩な能力を有している。
・父親は有名な彫刻家、母親は医学の卒業生。
アルバニア編 終わり