アゼルバイジャン

コーカサス地方の3カ国、アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア は元々はソビエト連邦の支配地域。1991年に独立したが、課題を抱えている。アゼルバイジャンとグルジア(現ジョージア)は西側、アルメニアは東側の影響下にあり、民族問題や資源、宗教問題で争うことが多い。

グルジアは2015年、国名をジョージアと改めた。

 石油の国

アゼルバイジャンは石油櫓(ヤグラ)が村の数より多いと言われている。
 首都バクー 

国の至る所で天然ガスが燃えている

ガスと石油の菅が各家庭に配管されている。

首都バクー の景観

フレムタワーはガスの炎を表している。

  戦争で亡くなった人々のお墓。写真とお花が印象的

    ビスタチオ(ナッツ)の樹

 ノーベル兄弟

    ノーベル兄弟の家

 ノーベル兄弟

 ノーベルと言えば「ダイナマイトの発明」「ノーベル基金の設立」、そして「バクー油田の開発と石油産業の近代化を進めたバクーの石油王」であることで知られている。そして、その石油産業が共産主義を育んだことを・・・。

 カスピ海の沿岸都市バクーは石油掘削ヤグラが乱立している。カスピ海には原油が流れ込み悪臭ガ立ち込め環境は悪かったという。しかし、小規模鉱区が多く、約415の手掘り油井があったといわれている。1873年に最初の油井が噴出したことからノーベル家の活躍が始まる。

 1873年スエーデンの発明家イマヌエル・ノーベルの息子ロバート・ノーベル(長男)がバクーを訪れる。イマヌエルには3人の息子がいた。次男のルドブィッヒは父の仕事を受け継ぎ軍事産業を営んでいた。そのころ、バクーは既に規模は小さいものの石油産業が芽ばえ街は栄えていた。長男は弟達からの資金援助もありバクーでも強力な精製業者となりつつあった。

 彼らは掘削業者、包装業者、輸送業者を傘下にいれ一大石油産業を確立。さらに、油井と製油所との間にパイプラインを敷設し、『ロバート・ノーベル製油所』を設立し国際石油会社としての地位を築く。

 一方、末弟のアルフレッドはダイナマイトの発明者(1867年)であり、ノーベル基金の設立者となる。
 そして世界の大富豪でユダヤ系ドイツ人のロスチャイルド家が、ノーベルの成功に刺激され1886年に莫大な資金を投入し『カスピ海・黒海会社』を設立した

 その頃、バクーの石油労働者の労働条件や生活条件は過酷であった。バクーは『カスピ海沿岸の革命の温床』になりつつあった。バクーと石油産業は将来の革命の指導者を育てる場所となりつつあった。

 その若き活動家の卵の中に、「コバ」と呼ばれる男がいた。彼こそ、後に『ヨシフ・スターリン』と呼ばれる男。彼は、ロスチャイルド家に対するストライキをはじめ石油産器用相手のストライキの首謀者となった。1917年11月6日ロシア革命への道へと進む。

こうしてノーベル家、ロスチャイルド家育て上げたアゼルバイジャン、やがてロシアの石油産業から追放されることとなる。

 ゾロアスター教

何千年も燃えさかる火。古代人は神のお告げと信じるのも無理はない。ゾロアスター教はここから生まれたのであろう。 

 マンマンディ(ヤナル・ダグ) 燃える山 

拝火教(ゾロアスター教)寺院では永遠の火が灯る。

 マンマンディと呼ばれる地方のここでは,天然ガスが吹き出ており,自然発火したものが,ずっと燃えている。多分2000年,3000年とこれが拝火教とも称されるゾロアスター教を生むトリガー(引き金)になったと言われるようだ

 ゾロアスター教は(善)の象徴としての純粋な「」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。ゾロアスター教の全神殿には、ザラスシュトラ(ゾロアスター教の開祖)が点火したとされる火が絶えることなく燃え続け、神殿内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する。

 時は移り、やがてイスラム教がこの地に入り、ゾロアスター教はインドへと移りヒンドゥー教と交わり受け継がれていくが、ゾロアスター教徒は、この地アゼルバイジャンを聖地として寺院を建てたといわれてい る。

イスラム教



アゼルバイジャンは
 ムスリム(イスラム教徒)が95%(シーア派85%、スンニー派15%)と圧倒的に優勢で、キリスト教正教会、ユダヤ教会、キリスト教アルメニア教会が少数派として存在する。 

このモスクでは絨毯の上の模様に従い、そこに座りお祈りをする。

 人気料理




アゼルバイジャン料理「サジチ」は、肉や野菜を鍋で煮込んだものが名物。

 難民

 ナゴルノ・カラバフ紛争難民キャンプは劣悪な環境。国道沿いに何件もその建物が並ぶ。主婦はたくましく、ドラム缶もどきを利用して30℃っもの巨大パンを焼き、国道を行く観光客に売る。値段はパン2枚で日本円換算で30円と安い。チップを100円払い敬意。

【政府の指導者】珍しい夫妻で政府の要職

イルハム・ヘイダル アゼルバイジャン大統領 1961年生 59

2003年父の跡を継いで大統領就任。

1993から10年間アゼルバイジャン大統領を務めたヘイダル・アリエフの長男であり、病気で引退したヘイダルの後継者に指名されて2003年の大統領選挙に勝利した。

・旧ソ連諸国で初めての親子による権力の世襲を実現した。

・妻のメフリバン・アリエヴァユネスコ親善大使などを歴任し、20172月から第一副大統領を務めている。

モスクワ国際関係大学に進学、卒業後、5年間同大学で教鞭を取った。

・アゼルバイジャン共和国国営石油会社第一副総裁に就任。その後国会議員。

 

メフリバン・アリエヴァ アゼルバイジャン第一副大統領 

 

・名門家系の生まれ、大統領の妻、医師眼科医でもある。

・父親は国立航空学院の学長、母親は言語学者。

アゼルバイジャン編  終わり