DXの話題は、学校教育以外にも大きく取り上げられています。しかし、学校現場も含めて、社会的にはどのように受けとめられているでしょうか。そもそもDXやデジタル化とは、いったいどういうことなのでしょうか。
そもそもDX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉の定義は、使用される業界によって大きく揺れ動いているようです。一般企業などでは本来DXは、ICTなどの関連技術を駆使して業務改善等を図り、新たな価値を生み出すこと、といったものであるとしています。対して、公務公共サービス関係だと、このDXは「デジタル化の推進」を意味するものと解されることがほとんどのようです。ここでは、公務の中でのDXという点であることを踏まえます。
校務DXでは本来のDXの主旨よりも、業務効率化等に特化しているものと考えられます。これによって、時間外勤務の削減と生徒対応の時間の創出を国や自治体は想定しています。個々の教職員が、個別のデバイスからロケーションフリーで業務にあたることができ、データ保存を前提とした業務への転換とも言えます。校務支援システム、出欠アプリ、採点システム、入試出願システム等々もここに含まれると思います。
生成AIも業務効率化のために有効活用するよう、号令をかけています。これは学校だけではなく、公務の職場すべてで利用を促進しようとしています。生成AIと一口で言っても、文章生成や画像生成など多方面にわたります。使ってみると面白いものであることは確かです。
こうしたソフトを利用することは、業務効率化という観点では一定の成果を上げることができたといえます。自治体や国も言っているように、慣れもいくらかは必要なものと考えられます。
ただ、問題なのはこれらの技術をあまりにも万能感のあるものとして見ていることです。こうしたソフトウェアや仕組みは、それまで行っていた業務を一極集中して運用できることにより、物理的に手を広げる必要性が薄まる仕組みです。ですから、抜本的な業務削減にはあまり効果が期待できないとも言えます。
生成AIについては、日本国内の企業や公務職場ですら模索と試行を続けている中ですから、業務改善等に向かわせることは現状難しいところです。確かにベンチャー企業等の先行事例などは紹介されていますが、まだまだものにしていくための使用事例が少ないものと思われます。
もう一つはこれらの技術を理解している専門家が、学校教育の現場に少ないと考えられます。そのため、カスタマイズやサポートにタイムラグが生じ、現場の不満が蓄積することになっています。これを情報系分掌を担当する教員が一手に引き受けてしまうと、異動のある職場においての継続性への疑問や業務負担が生じることになります。
PCが学校業務に通常使用されるようになったのは、windows95や98などのOSが浸透した時期で、特にxpが主流になりはじめると爆発的に普及しました。それからこれまでの約30年間、技術が驚くほど向上し、PCで様々なことができるようになりましたが、学校という現場においては主にマイクロソフトのオフィスのうち、Word、Excel、PowerPoint、Accessが主として業務に利用されてきました。そして教科に関わらず、ExcelやAccessにおいてVBA(オフィス拡張のプログラミング言語)やマクロを使うことができる職員が非常に重宝されました。
さて、この状況が今はどうなっているでしょうか。多くの学校ではそのベクトルがあまり変わっていないのではないでしょうか。
タブレットは文房具である、とは文科省の文書などでも良く聞く言葉ですが、学校で働く大人にとってPCが文房具になるまで、どのくらいの時間を要したでしょうか。
新しいものに対する順応性は子どもの方が高いと思われます。その点では、教育現場でこれを扱うことの良さもあると思いますし、便利な技術であることは確かです。ですが、大人が理解していない状態では、やはりその効力は不十分になります。あまりにも早く導入から進めすぎた現状を、今一度落ち着いて振り返ってみることも大事なのかもしれません。