山陽新報 昭和十一年一月十二日 (日曜日)
十五景地を巡る 【1】 大塚生
溪谷美の道祖溪
西備一の仙境、十五町餘の間
連續的に懸る飛瀑の景觀
縣下十五景第一位道祖溪――井笠鐵道井原驛から自動車に乘り、水清き小田川の支流
雄神川の瀬音に耳を傾けながらその名もゆかしき小菅城趾を遠望しつゝ東北方へ驀進すること二十分、悠久の神秘を秘めて靜かに眠る禪洞山山麓に着く、ここぞ西備における莊麗崇嚴の仙境として太古の自然美を誇る道祖溪、後月郡西江原町才兒の地だ。
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紺碧一色に塗りつぶされた冬には珍しいあたゝかさ、さんさんと溌ぐ新春の陽光を浴びながら禪洞山麓づたひに二町餘り、錦藍橋に差しかゝる、雄神川の水流は漸く激して岩を噛み、奇岩怪石至るとことに屹立し、溪谷、道祖溪のみが有する獨特の
風光美を現して來る、常磐の緑をたゝへる老松の間には楓、櫟などの冬木立が枝を交へ、蔦が大蛇の如く卷きつき、山笹が密生し、かつて斧鉞を入れざる自然林だけに太古の面影を今に傳へる幽邃な別大地の感がある、密林の中を溪谷の流に沿うて切りひらかれた新觀光道路は至るところに斷崖に渡るために吊橋がかけられ、これを渡れば人をして身の毛を立たしむるものがあり、觀光施設の苦心さを歴然と物語つてゐる。
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稚兒ケ瀧を見て龍門瀧に到り、八丈岩に坐して
靜かに龍門の瀧を望めば宛てがら白龍倒しまに九天より落下するが如く、下巖に龍體を碎けば、純白の泡沫巖頭に迸つて忽ち吼え、流韻轟々と四岳を震動せしめ、飛沫は四散して新春の陽光を映じ、彩虹は漂はせ、淀めば蒼々千仞の深潭と化してゐる、この凄壯なる『龍門の瀧』の美觀こそは天下の景勝地としてその名に恥ぢぬものである、ここから頂上の明治池までの間には龍王の瀧、彩虹の瀧、斷魚溪流、末廣の瀧、その他種々飛瀑が十五町餘に亘る一大溪谷の間に連續的に懸つてゐるのも面白い。
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頂上にある道祖溪の水源地、明治池は後月郡西江原、青野、山野上の三ケ町村にまたがりその周圍は一里餘にわたり後月郡第一の大池で、奇鳥時に翼を洗ひ、流れては西江原町百四十町歩の田用水となるものでこの明治池は風光明媚な觀光地であると共に地方農村經濟の生命線である。
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頂上の天狗岩のもとに立てば豐饒な後月平野が一眸のうちに開け、小田川、雄神川の清流が後月平野をY字型に流れて、後月、小田の連峰越えに遙南方面に
鞆の浦附近を遠望することが出來、全く備西における絶好の『陸の展望台』と云ふことが出來る。
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禪洞山々麓には山陽道における曹洞唯一の古刹として有名な禪洞山永祥寺がある、この名刹はその昔、源平屋島の戰ひに紅扇の要を一矢で射拔き敵の心膽を寒からしめ、名を竹帛に埀れた那須與一宗高公(註國定教科書には與市とあるも同寺の記録には與一とある)開基にかゝるもので、同寺には與一公の木像が安置されてゐるのを始め與一の守本尊として傳はる袖神稻荷も祀つてある、そして同寺の裏山二丁のところには那須與一公の
英靈が永遠の夢を結び靜かにねむる墓所もある、また那須家累代の居城として郷土史を飾る小菅城趾は武家政治華やかなりし面影を老松の葉末に宿して今に傳へてゐる。
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源平合戦の雄將、那須公の古蹟をたづねつゝ大溪谷の道祖溪の風光をさぐれば一日のハイキングコースとして、蓋し最適のものといひ得るだらう。