【8】 王子ケ嶽

山陽新報 昭和十一年一月二十日 (月曜日)

十五景地を巡る その八 平井生

觀光線上、くつきりと

浮び出でた王子ケ嶽

スケール雄大な内海の展望臺

山櫻に躑躅、春は山頂花の雲

宇野線を宇野驛に下車して西へ、または下津井鐵道味野町驛から東へと内海國立公園を縁どる觀光道路に自動車を■ると何かの由緒を秘めたやうな海岸松が生え並び、

冬の日といふに細波ひたひたと汀に寄せてゐる濱邊に出る、この濱こそは百濟の姫宮がみごもりたるの故をもて、舟されて漂着、紅涙に袖を濡して琴を彈じ給うたといふ唐琴の濱であり、そして筑紫へ下る道すがら菅公がこの地に假の宿りを結んで

舟とめて波にたゞよふ琴の浦

通ふは山の松風の音

の歌を殘してゐる、唐琴の濱でもある、だが内海をわたつて寄せる

濱風が傷心を抉るエレジーと聞かれたのは幾百千年の古のこと、いまでは觀光線上にくつきりと泛び出た十五景地であり國立公園である。

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王子ケ嶽の構成要素の中に織り込まれてゐる百濟の姫宮と王子――何んだか傳説の國にでも入るやうな好奇心も手傳つて立江寺庵の登山口から足を踏み入れる、汗引の松と名づけられた一本松までは坂も急であるが、ふり返つて見る眺望は田ノ口港の波止場から下津井海岸かけての素晴らしい海岸美、王子ケ嶽の

眞骨頂はこゝからはじまつてゐる、登るにつれて數疊敷、數十疊敷ほどもある花崗岩が大自然の砥で磨かれたやうにつるつると白く光り、藝術神が全能力を揮つて彫つた奇岩、怪石が至妙の配置に据ゑられてゐる、四つ五つ拾つて見ても巨大な布袋樣を像どるほてい岩、這ひ出しはしないかと思はれるわに岩からゆるぎ岩、スフインクス、犬岩等々が山を埋め、その間々には數千本の

山櫻が伸び、躑躅が地を這ひ、山羊齒が絡みつくなど冬のさ中といふにいまからその見頃が偲ばれる、そして自然の巨巖を土台として建てた眺望所、千窟座は凝つて厭味のない風流人には埀涎ものゝ設けもあるといふ行届き方、自然と人工の美しいハーモニーをみせ、ましてや眺望は内海一を誇る王子ケ嶽“鷲羽山からの眺めは小庭式でこせついてゐる、これに引きかへて王子ケ嶽は對岸四國との間に竪場島と大槌島が横たはるだけで遮るものはなくスケールが雄大だ、そして

山自体も日比、莊内の町村にも跨つて三百町歩の面積をもつてゐるから何千、万人の觀光客が訪れても目障りにはなりませんよ”とこれも國立公園の鷲羽山と目と鼻の間にある關係か、土地の人は鷲羽山をけなして氣焔を擧げるが、そのまま受け入れてもよい眺望だ。

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王子ケ嶽は四季通じて景勝に惠まれてゐるが、矢張り陽春

滿山をつゝむ花の雲、躑躅の海のころ花崗岩の巨岩を自然の筵として瓢を傾けるもよく夜櫻を愛でるもよい、唐琴の濱の海水浴場は有名過ぎるほど識られ、秋氣みつるころのハイキングには絶好の土地であらう、とまれ王子ケ嶽の遊覽施設は同地の先覺西原宗一氏が大正十二年ごろからはじめたものであるが、施設の完備と

展望の絶佳はめきめき世に知られ、交通の便と相俟つて王子ケ嶽の將來は洋々たるものがある。