【9】 酒津水門

山陽新報 昭和十一年一月十日 (金曜日)

十勝地巡り 【9】 巌津生

明朗、酒津風景に

頬紅さす“千本櫻”

春は數萬の觀客を呑吐

日一日形態を整ふ觀光施設

酒津の千本櫻は關西の名所だ、やるのなら十勝の中に――と酒津水門保勝會が奮起して、本社の名勝

投票に參加、狹い投票地盤だが一致團結一人で一時に八枚の投票が筆書し得る獨特のペンまで發明、むしろ悲壯な努力の肉彈集注が功を奏して万朶の櫻よりも美しく十勝酒津の名を咲き出せた、酒津堤のこの春の櫻は一層鮮かに美しからうといふものだ、倉敷市の景觀美を語る場合、隣接した中洲村酒津水門を揩用しなければ、到底ものにならない、北原白秋さんが倉敷民謠を作るにも中洲村の人には無斷で酒津を盗んで來んことにはどうも調子が出て來ないのである。山陽本線

倉敷驛から二十町足らずの近郊に、こんな麗朗な景勝が伸び伸ひと横たはつてゐることに、初めての人は大抵驚いてしまふ。

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高梁川も酒津に來ると山岳地帶からはなれてまさに廣野を悠々と流れ行く大河だ、しかも酒津の高梁川は兒島郡福田村に出てゐた東の河筋をこゝで堰き止めて西の河筋に合併させた記録的な工事の咽喉部であるだけに、又備南平野二萬餘町歩を灌漑する高梁川東西用水組合の用水路の水源地であるだけに、山を裁り裂いたすばらしい斷崖や、人工で出來た川中島や、蜿々として河中に

白蛇を這はせた花崗岩■みの導流堤や、ローマの風景にでもありさうな石づくりの樋門がほどよく配材され、又ぐんぐんと一つの彈力を秘めて平野の間に伸び霞んだ堤防とか、緑の沃野に放射されて銀線を輝かせた用水路とか、廢川地の竹藪越しに眺められる倉敷絹織の工場の建物とかが風景線に押しならんで、因襲的な山水美を■然後退せしめ、明色に富む――映畫女優でいつたら千早晶子の額や眸や唇に見るような――透徹した明色に塗りつぶされてゐる。

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麗朗酒津の風景に頬紅をさすところの千本櫻は、皆樣方ご承知の通リで、一日二万や三万の

觀櫻客を花の下に呑吐して、場所が狹いとは云はさない、櫻の期間伯備線酒津假驛が開業して神戸、大阪あたりからも續々と觀櫻客が送り込まれる、『これほどの櫻をさかずの櫻とはなぜ言ひなはつた』と眞面目に鐵道に談じ込んだ大阪辯も飛び出す陽氣な春である。しかしその千本櫻の苗を植付けて丹念に育てあげたのが、酒津の主といはれる東西用水組合の主事明石規矩三郎氏であることに氣付く人が少いのはいさゝか心淋しい。

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酒津は夏の水泳にいゝし、煙火も名物だ、秋のピクニツクにももつて來いの所だ、川中島となつた妙見山の頂きから高梁川をかけての眺望もいゝが、もう一奮發して向ふ酒津に渡し舟で渡り八幡山の頂きの古城阯に登ると一寸得難い風景である、考古■を掻き立てるには古墳が山中に散在してゐるし、東岸に引返して菅生村祐安に行けは備中青江鍛冶の遺蹟もあらう

水郷酒津の名物は、とら醤油と酒津燒が名題であるが、近頃は古刹興齋寺の境内で即席

樂燒窯が出來たし、酒津燒も配水池の畔りに遊覽客のために別窯を作ることになつてゐる、倉敷、酒津間バスは春になれば一日四十回往復で頑張る、觀光施設はずんずん形態を整へてゐるが、まだ物足らぬとあつて保勝會の少壯幹部たちが窃に向ふ五ケ年の飛躍的計畫を樹立中だとは頼母しい