【1】 横井小原

山陽新報 昭和十一年一月二十九日 (水曜日)

二十秀地を巡る 【一】 梶浦生

全山をおほふ桃

“不動の瀧”から岩戸の頂上へ

白銀の砂丘は砂鐵の採取地

古墳の横井小原

岡山驛から笹ケ瀬行きバスに乘つて終點で下車、笹ケ瀬川の清流に沿うて北進すること約三キロにして

横井村大字田益、横井小原の山岳はおしげもなくその肢體を横たへてゐる

この地の山丘は古來より村人によつて開墾されたもので桃樹は全山をおほひ、その果實の美味なること、それに硝子張りの温室の多いことは全國でも有名である

やさしくも囁やく青谷川の溪谷にそうて登ると永遠の交響樂を奏してゐる不動の瀧がある、夏は万進の涼風自からわたり、こゝから路は再び溪谷に沿うて登ること約一町にして

岩戸の頂上を極める、岩戸は昔時より八大龍王を祀り、潮さし岩、豆腐岩などの傳説がある、立つて南眸すれば、吉備の平野に續いて瀬戸の内海、兒島の入江に棹さす小舟の影も數へられさう、遠くは四國連山の秀峰も眺められる

岩戸を更に北に下れば小松しげるうちに白砂は太陽に照り輝き、所々にわき出づる泉は一日の渇を癒す、白銀の砂丘を越えて小山に登れば四圍の山丘は

古墳の地としても有名である

葛原校長の話によると往時横井村一帶は海で、當時の住民は山岳地帶に生活してゐたとのことだ、由來小原は三千年の太古より既に文化は開け、當時住民の生活を表徴する遺跡も多く、彌生式、齋部などの土器が今もなほ殘存してゐる

特にこの地に殘る砂鐵採取地は古代文化に必須なる日本刀の産鐵として全國にもその比を見ないところであるといはれる

山を下れば鵜鴃の俄かに飛びたつに一驚を喫し、眼前波靜かに緑深き『めをと池』に一詩を賦するも感興また新なるものがあらう

この池に續く薄原は雁鴨が飛び來ることがあつて、天狗連の來遊を待つてゐる

同村でも目下保勝會の組織中で、全山櫻樹の植林を計畫し、また山丘に休憩所などの施設にも大童で、觀光と考古學と桃で行人に呼びかけてゐるが、東北約三粁の苫田温泉と相並んで、一日のハイキングにも好適であらう