【7】 笠岡古城山

山陽新報 昭和十一年一月八日 (水曜日)

十勝地巡り その七 笠岡古城山 大塚生

瀬戸内海の風景を

一眸の中にす古城山

明朗な躍進譜を奏づ

“ミナト・笠岡”“觀光笠岡”

十勝地笠岡古城山――右手には海の國立公園への觀光港として新興大笠岡のシンボルともいふべき笠岡本港、左手ミナトの情緒の香も豐に紅燈の灯が招く伏越港を俯瞰しながら武家政治華やかなりし鎌倉時代の面影を

老松の葉末に秘めて、今に傳へる我が古城山こそはクラシツクとモダニズムの好條件を兼備する近代的遊覽地の最右翼だといふても過言ではなからう。

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瀬戸内海の小波に洗はれたその名もゆかしき古城山頂に立てば、觀光ニツポンの波に乘り、海の國立公園として一躍世界の觀光場裡にデヴユーした瀬戸内海の美觀は一幅の繪卷物の如く一眸のうちに展開してゆく、左の方を眺むれば『負けずの神』『アキナヒの神』として有名な道通神社のある寄島、前面には鯨が背を半分ばかり

海上に浮きだして泳いでゐるような横に細長い片島が指呼の間にある、その片島の背後に見える神ノ島の左端には中國の生んだ幕末の勤王家、襄山陽が附近の絶景に見とれて思はず筆を握り、波影松聲三十年、拙齋茶山の來遊を懷ふの七絶を神殿の壁に書きつけたと傳へられてゐるあの『島の天神』がある、またこの島にはお四國八十八ヶ所の大師さまが祀つてあり備南の靈場として有名だ、春霞に瀬戸の島嶼が裹まれるころともなれば近郷の善男善女は菅笠姿に身を變へ、紺碧一色に塗りつぶされた内海の風景を讚美しつゝ

白砂に輝く磯から磯へと大師めぐりをするのである、寄島と神ノ島との間の切り開いたような海を通じて、白石、北木島が見えまた快晴の日には遠く讚岐富士の英姿をも望むことが出來るのだ、ひとたび視野を右に轉ずれば片島の右端には緑の江ノ島に似て『西の江島』ともいふべき鞆の浦の仙醉島が碧色に輝く小波の水平線上にくつきりと、繊細な姿を浮かべ、新感覺派的な詩的情緒を投げかけてゐる、またこの附近一帶は瀬戸内海の魚棚、水島灘の一角を占めてゐるだけに海の幸をめぐつて

數千の眞帆、片帆の漁船が蝟集し、太公望を決めこんでゐる景色の雄大さ、殊に晩春から初夏にかけて『櫻鯛』の金鱗、銀鱗が亂れ飛ぶ鯛網見物は觀光地、笠岡を一段と特色づけるものであるといふても強ち記者のみのモノローグではあるまい。

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瀬戸内海の展望台、古城山頂の眺めは四季によつて色どりに變化があり、春夏秋冬の一年を通じてよい、また月光淡く内海を照す月夜の美觀、吹雪の中に薄く浮び出る冬景色、ETC……

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その昔、宗祇が詩襄を滿たすために行脚した際、この古城山に遊び『山松の影やうき見る夏の海』の

名句を殘してゐる、そして芭蕉もまたこの地の絶勝をさぐり、宗祇の心境を回想して『世の中はさらに宗祇の宿りかな』と詠じたのが今もなほ古城山公園の東端、鏡石にその名殘を止めてゐる。

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柳生公園委員の説明によると

今回縣下十勝に入選したのを期して頂上の池邊に自然石の記念碑を立て、公園の中腹を巡ぐるドライブ・ウエイを作ると共に種々の美化工作を施し、また展望のきく位置を選定して大觀光ホテルを建て、山陽線で上下する旅客の、一夜の憩ひどころとし、笠岡を中心とする神島、白石、北木島、仙醉島などを含む島巡り觀光ルートをひらき、ミナトの笠岡、觀光の笠岡を全國的に呼びかけ、名實共に海の國立公園への玄關口にすべく保勝會商工會、公園委員の三者が共同工作を進めてゐるとのことだ

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陸には山陽本線、井笠鐵道の便があり定期乘合自動車網は八方に發達してをり、海には多度津、尾道通ひの外に備南の諸島を結ぶ連絡船がある、全く近代的觀光地としての好條件を揃へてゐる『遊覽都市ミナトの笠岡』は今や觀光大笠岡の建設に向つて、明朗な躍進譜を奏でつゝ力強き歩みをつづけてゐるのだ、近代文化の香り豐な備南の女王よ、幸あれかしと祈りつゝ次の景勝地へ急ぐ。