山陽新報 昭和十一年二月十八日 (火曜日)
二十秀地を巡る 【十八】 熊丸生
水清き加茂の流れ
シークな“楢の櫻橋”
鮎や鯉で名は高く螢の名所
堤には櫻、鷹山の眺望またよろし
加茂川といへば誰しも京の都を貫流する洛水と、それに架けられてゐる三條大橋などを聯想するに相違ない、しかしわが作州の苫田郡高野村と勝田郡勝加茂村との境をなす
加茂川は、それに架つてゐる『楢の櫻橋』は、雨あがりのやうに濁つた川面でもなければまた三條大橋のやうに古色蒼然たるものでもなく、京の加茂川がかく期待を裏切る『幻滅』であるならば、わが作州の加茂川と楢の櫻橋は實に印象そのものゝ清流であり、また鄙に稀れなる近代的名橋であると謂はねばならぬ
肥牛にでも見るやうななだらかな線でクツキリ浮び出てゐる烏ヶ山、天狗寺山、それから川を隔てて山形、廣戸、瀧山といづれも繪の如き山容を繰り展げ、また遙かかなたに泉ヶ山や那岐の秀峰が、山頂を雲に蔽はれながら
夢の如く聳えてゐる、高くそして長く連なる中國山脈の雪解けなどが岩を滑り谷をわけて谿流となりそれが流れ流れてゐるのがこの加茂川で、水の綺麗なこゝといつたらたとへやうもなく、初夏ともなれば溌溂たる若鮎が銀鱗を躍らせ、また一尺に餘る鯉魚が群をなしてゐるのを見ることができる、水清く流れ長しの加茂川は鮎や鯉で名高いばかりでなく、螢の名所としてもまた捨て難いところである
昭和五年に架けられた『楢の櫻橋』は清冽を飾るに相應しい實に近代的のシークな橋で、この橋を中心に川の兩岸に櫻樹が生ひ茂り、花の候には河面に浮ぶ
花見船の去來と共にえもいはれぬ風情であり、櫻橋の袂より裾をなしてそゝり立つ鷹山に一歩踏み入るれば、眼下に菜の花やれんげ草など畑が宛然毛氈を敷きつめたやうに展がりその間に農舎や水車小屋が點在し、さらに松の梢をとほして東方を望めば、那岐の山容をはじめあたりの山々がまた趣をかへて雅致である、遠近の行人を迎へるに理想の境地であるだけに俗塵を脱して氣分の轉換をはかるに最も相應はしく、■つて津山などから一日の行樂としてピクニツク、またハイキングのコースとして喜ばれてゐる
川底の砂さへ數へられるやうに清く美しい加茂の水系に鮎や鯉などが豐かであることは前に述べた如くであるが、この加茂川名物の
鮎や鯉を行人の食膳にのぼせるために、櫻橋の邊りに『中川』といふ瀟洒な旗亭があり、河畔に銘酒“加茂五葉”の醸造元がある、この銘醸に用ゆる水も加茂川の清流を汲みあげてゐるものであるといふ