山陽新報 昭和十一年一月二十五日 (土曜日)
十五景地を巡る 【十二】 梶浦生
史蹟と傳説の金山
海拔五百メートル備前平野を睥睨
天氣晴朗の日には遙か隱岐の島も見える
豪壯 天領の金山寺
ハアー備前金山お寺のお山
三十二万石新太郎樣も
月に一度はソレお馬で召さる
ハアーヨイトナーヨイトナー
ハアー備前金山名所でござる
春は法華經と啼く鶯さへも
桃の花みてソレ思ひ出す
ハアーヨイトナーヨイトナー
旭川の清流をなかに龍之口に對峙し、應神天皇が吉備の國に行幸あらせられた御砌遊獵し給ひて有名な加佐來山を胸■に、海拔五百米の金山は
悠揚と巨象の如く、遙かに備前平野を睥睨してゐる、岡山市の背後に燦然として聳ゆるこの金山には、幾多の寶と傳説を包藏する妙見靈峰、天領で名高き金山寺がある
中國線原驛、または玉柏驛から徒歩で何れも十四、五分、三野バス終點からは約二十分にして御津郡牧石村玉柏字谷、所謂金山山麓に至る、山麓から頂上妙見一本松まで一里、一時間にして頂上に達する
道は羊■、一歩一歩上り坂であるが
潮滿橋を過ぎる頃から眺望絶佳滾々と流れる溪流に沿うて更に登れば眼界は展がり、脚下に流れる旭川は山谷を廻つて銀帶を横へ、遙か兒島灣は泉水のやうである、四國連山も雲の中に浮び、屋島、五劍山、四國富士――宛然夢の如しである、また眼を北に轉ずれば、鳥取、島根の中國山脈、作州の連山は一眸のうち、中國一の高峰大山の白雪皚々たるを望見することもできる、天氣晴朗のときには隱岐の島、鳴戸、淡路を
雲烟の中に望むといはれる、そしてこの金山は史蹟と傳説の山である、鬼のお一つ岩、鬼の洗濯岩、鬼の腰掛岩、報恩大師御杖水、潮滿岩――この岩の頂上のくぼみにある水は如何なる旱天にも絶えたることなく、滿潮時には水は滿ち干潮時には減少するといはれる
金山の中腹、幽邃絶塵、鬱蒼たるうちに今もなほ嚴然として殘る金山寺は人皇第四十六代、孝謙天皇の天平勝寶元年、報恩大師の勅許を得て創建せられ、のち幾度か兵燹に罹り、現在の堂宇は宇喜多直家の建立したものであるといはれ、本堂は特別保護建造物として保存されてゐる
境内には仁王門、三重塔、本堂、別殿あり
金箔の柱菊水の甍、勅使御門など境内には數十疊の廣間が二十餘室もあり、襖には支那古代にのつとる繪畫、金粉燦然とし、殊に鷹の間、鶴の間、鹿の間には入浴場、厠などもあり、裏には拔け間と稱する三階の巧妙な間もあり、裏庭の豪壯比類なき構想をみれば如何に當時の殷盛なりしかが偲ばれる
華かなりしその昔、備前四十八ケ寺の總本山として守護不入殺生禁斷の寺として
天下に威勢を振ひ、報恩大師、心淨大師、葉上僧正、豪圓僧正等々の名佛聖相踵いで出てゐる、徳川の天領として權勢をふるひ、封建時代の表徴たる天領の權勢は明治初年まで續き「日光御用」の名ある所以でもある
妙見寺住職深井學聖師發起のもとに保勝會を組織し、田村博士の指導をもとに金山公園建設の計畫中で、中鐵とも提携し
觀光施設に大童となり自動車路の開拓も進んでゐる、面目一新した名勝金山のデビユウも遠くはあるまい