【10】 神庭の瀧

山陽新報 昭和十一年二月九日 (日曜日)

二十秀地を巡る 【十】 毛受生

我名瀑、神庭の瀧

田村林學博士が折紙附けた

氣品に富む麗姿

華嚴や那智の瀧を濃艷そのもののモダンガールとたとへるならばわが作西の名瀑、神庭の瀧は在りし日の九條武子夫人とでも謂ふべく、楚々として如何にも氣品に富む瀧である、作備線の勝山驛から旭川に沿うて西北十餘丁、さらに溪谷へ十餘丁分け入つたところにこの名瀑の麗姿がある

瀧壺ならぬ巨岩奇石の間に呑みこまれて或ひは白雪の飛沫となり、また淵をなす谿流の幽邃境に一歩を踏み入るればまづ滔々の瀧があり、水の妙と岩石の奇によつて流下するところに瀧のおもむきがあるのでこの名があると云はれてゐる、あたりの詩境に眼を奪はれながら杖を曳くことしばしにして玉垂れの瀧がある、山肌から岩石へと浸■した水氣が雨垂れの如く滴つてゐるので、これをもじり且つ美化せしめるために、“玉垂れ”と名づけたものらしい

左右より迫る峨々たる山容と淙淙の谿流に添ふて丸木橋を渡り岩石を傳ふにつれてどうとうの音が聞え、仰ぎ見れば如何にも清楚で白百合のやうな瀧が、黒い高い斷崖に長くすがすがしくかゝつてゐる、水量は常に豐富で直下まさに五百數十尺、幅九十餘尺、斯界の權威田村林學博士が“その規模にまた水量において海内の諸瀑これに比肩すべきものなし”との折紙を附したほど名實共に許す天下の名瀑である

■ふてゐるものがたとへ粗衣であらうとも天■の美人にはまたそれだけの風情があり却つて床しく見えるものである、ましてや全國に類なき美人型の名瀑であるだけに、花に紅葉にまた新緑、雪化粧と四季とりどりの特長をそなへて一つとして劣るところがない

深い緑の中に山櫻、藤、その他花といふ花のすべてが一時に妍を競ふたさまは、見合の夕べ妙齡の美女が己が好みの訪問服でも着飾つた時かのやうに艷かしく、また花から新緑へと滴るやうな緑衣にあらたむればなよなよたる身ごなしにも溌溂性を帶びて何となく魅惑的であり、錦繍織りなす蘭秋となればその衣は恰も結婚當夜の裝ひの如く、燃えたつ紅の裳裾華やかに眞に恍惚境を展開する、鄙に稀なるわが神庭嬢の美の極致こそ秋ならでは見られぬ姿であり味わひである

美を誇る秋から凋落へ、かくて裸樹の姿にそゞろ寂■を感ずるころから妙に群猿の聲がなつかしくなり、三四十と群をなして戲るゝ猿公らはこの善美の境域に飽きてか或ひは里に出でゝ果樹をあさり食を求めんとする、神庭の瀧と、それを抱く山峰のみを禁獵區と定められてゐることを知る由もなきこれら憐むべき猿公らは、時に心なき獵師の彈に殪れることがあり、年と共にその數を減らしてゐることは實に■はしい極みと云はねばならぬ

見るからに眩いやうな錦繍の婚衣を脱ぎ捨てると今度は清々しい雪白の白無垢となり、十二月から二月一ぱいは床しくそして氣品豐な白雪の淨衣につゝまれて、谷間の白百合にも似た美人型の神庭瀧は里人を招き、また遠隔の人々をも魅了し且つ誘致するのである