【15】 田鶴山

山陽新報 昭和十一年一月二十八日 (火曜日)

十五景地を巡る 【十五】 大塚生

迷子にならぬ田鶴山

春は近郷の學童唯一の遠足地

城址を中心の觀光ルート新設

縣下十五景地田鶴山城趾その昔、天下麻の如く亂れた南北朝時代の古戰場として、血腥き郷土史を老松の葉末に秘めて今に傳へるその名もゆかしき田鶴山城趾は新版

三六年の觀光躍進譜のリズムに乘り縣下の觀光場裡にデヴユーすることになつた。

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東の方には中備の商業都市として傳統的誇りを有する矢掛町の街を箱庭の如く遠望し猿掛山に相對してゐる、また西の方は小倉服地の産地として國際市場にまで有名な後月の工場地帶を俯瞰することが出來る、この中備平野を西から東へ、舊山陽道と平行に太古の文化詩を瀬音に秘めて小田川の清流が大蛇のやうにうねうねと流れ、この田鶴山の

山麓で一旦突きあたり『へ』の字型に曲折して東に向つて一筋長く走つてゐる、平野、山嶽、川の三調子揃つた陸の展望台として『日本ライン犬山城趾』の美觀に一脈相通ずるものがあり觀光處女地としての多幸なる將來性を多分に暗示してゐる。

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山容は高からず低からずしかも北斜面は全部芝生をもつて包まれ『奈良の三笠山』に類似して、神秘的な面影を宿してゐる、霜に染まつた芝生はさんさんと照る新春の陽光をあびて眠つてゐるように見える、やがて

初夏の候ともなれば亦枯芝は青一色の毛氈と變り近郷の小學兒童唯一の遠足地となるのだ、この山が有する強みは子供に親しみのあることであり、迷子にならぬ山として、監督者は安心して子供を自由に開放することが出來るので春季は遠足に來る學校が多い、また下駄履きのまゝで登ることが出來るのだから手輕で便利だ、こゝへハイキングに出かけるにはハイキング靴は全く不要である、簡易を好む現代人には絶好の場所だらう。

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地元、中川村では高月村長を中心に、附近の小田北川の兩町村と協力して、愈田鶴山城趾

保勝會を組織し、若葉の燃え出づる四、五月ごろに縣下十五景入選祝賀會を盛大に行ひ、新觀光地としての第一聲を高らかにあげ、新人ハイカーに呼びかけると同時に、城趾附近一帶の私有地を買収して、梅、櫻、楓などを數千本移植、美化作業を施し觀光道路も新設することになつてゐる、またゆかりの城趾にちなみ『田鶴山小唄』、『田鶴山踊』などを作り、鳴りもの入りで大々的に宣傳すべく計畫中である。

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高月正長の居城、田鶴山城趾を中心に小田の神戸山城趾、觀音山、北川走出の藥師、長尾の一大古墳、かぶと山の紅葉、川面の郷社などを打つて一丸とする新觀光ルートが新設されることになつてゐる

小田郡北西部の一帶にまたがるこの處女地ハイキング・コースは今や躍進觀光の波に乘つて多彩なる將來への第一歩を踏み出し、魅惑的なウインクを新人ハイカーの上に投げかけてゐる