【19】 黒澤山

山陽新報 昭和十一年二月二十日 (木曜日)

二十秀地を巡る 【十九】 熊丸生

昭和池の黒澤山

四十餘萬圓の巨費を投じて

“谷”が“池”に早替り

四十餘万円の巨費を投じて、谷は廣々とした池とかはりその名も新らしく昭和池と名づけられた、作州苫田郡一宮村の背後にそゝり立つ

黒澤山が一躍景勝地としてその名を謳はれるに至つたことは一つに三年前の谷が滿々と水を湛へる池となつてからである

中山神社の裏の鵜の羽橋を渡れば水は■々の音を立て、山は林は千古未だ斧鉞を加へないやうに鬱蒼と生ひ茂り、谷間には小さい水車が二つかすかな音を立てゝ廻つてゐる、この宮川の上流を後に南條、神田とこれまた二つの坂を過ぎ鳥取坂をおりたところが昭和池の入口で、最近建てられたらしい“岡山縣新選景勝黒澤山入口”と墨痕鮮かに記された標柱が人目につき、黒澤山はその文字の如くこゝより登るのである

魔の淵のやうに深くそして大きな島を浮かしてゐる

昭和池の右岸を東に五丁ほど辿ると東原部落に出で、このあたりから漸く爪先上りの參道となり登ること十七八町にして石原川の谿流に沿ふことゝなる、川べりには大きな眞竹が密林をなし、八合目あたりの羊腸の嶮を攀づるに■つて院庄の作樂神社をはじめ鶴山、衆樂公園などが指呼の間に展開され、同山より望む津山城下はさながら

一幅の畫であり詩そのものである、喘ぎつゝも山頂に達すれば樫の大木の幹に高山植物の深山蘭が根をおろし鐘樓の傍らには數百年を經てゐるらしい名も知れぬ巨木あたりをへいげいして居り、晴れた日には遠く讚岐、阿波、播磨、備前、備中など十三ケ國が模糊として浮ぶのを見ることが出來る

黒澤山の山頂にある虚空藏菩薩を祠る萬福寺がありこの福威智萬虚空藏さまこそは奥州柳井津、伊勢の朝熊と共に日本三福智の一と稱せられる

開運の神樣で毎年舊正月の十二日には遠く阪神地方をはじめ鳥取、岡山などからそれはそれは大へんなお參りがあり年と共に同祭禮は旺んになつてゐる、福威智萬虚空藏菩薩を同山に祠るに至つた

そのいはれとして傳へられてゐるところによると

今より千四百年前の和銅三年正月十三日に同山の麓の惣薪太夫といふ獵師が黄昏に道を失つてゐると山上の巨檜の梢に眩いやうな靈光がかゝつてゐるのを認め、恐■の餘り自分の冠つてゐた笠を献げたところその靈光が笠の上におりたので大いに開悟すると共に獵をやめ髪を剃して草庵を結び、かくてそこに御神體を安置しその後七堂十三坊の

伽藍が建てられたが明治の初年祝融に呪はれて炎上したゝめけふでは再建の萬福寺のみが殘つてゐる

海拔千六百尺の黒澤山は春の櫻、夏の躑躅、秋の紅葉、冬の雪と四時の眺に秀れ、また十三歳になつた商子の子弟たちは“これから運を拓いて一人前の商人にして頂くのだ”とその年の舊正月には必ずお參りをしなほそれ以來毎年舊正月の十二日から十三日にかけてそのお禮參りを■がさぬといふことである