各景勝地の素描

※各選奬地の写真が掲載されていますが省略。

ページ下に選奬地の広告が載っていますが、分かりやすいようにそれぞれの紹介記事の下へ記載。

山陽新報 昭和十年十一月二十九日(金曜日)

榮譽に輝く十勝・十五景

岡山縣の觀光勝地

衆望負うて登場

一億二千餘萬の大衆投票で

各景勝地の素描

最近の觀光界に一大センセーションを捲き起した、本社主催の岡山縣下十勝十五景新選投票は曩に未曾有の熱狂裡に終了し、衆望を負うて十勝、十五景、二十秀の決定を見た、榮譽に輝いて入選した各新選地は何れも觀光勝地としてそれぞれ特色を有するものばかりで、今更ながら大衆投票の人を欺かざるものあるを見るのである、本社はこれら各景勝地の顯彰方法として、本年末より明春に懸けて、既報社告の如く各種意義ある事業を主催することゝなつたが、取敢へずこゝに各景勝地の簡明なる紹介特輯號を編輯して、各景勝地の面目と眞價とを江湖に問ふことゝする、なほ更に詳細なる名勝地個々に訪問記は本年末それぞれ本社記者を特派して材料の蒐集をなし、明春■初より華々しく連續掲載することとする

十勝

鹿久居島

和氣郡日生、福河兩町村に属する岡山縣下東南海岸の一島嶼で、周圍約七里、全島松樹鬱々として繁茂し、縣下著名の國有林地とされてゐる、舊藩制時代には備前公累世の狩獵地となり、また牧場を設けて馬の養殖を賄つたこともある

口碑の傳へる所によれば古は鹿久居千軒といひ、漁民多く住居し、本島中字千軒と稱する所には鍛冶屋敷、寺屋敷等の名を殘し、今尚古瓦の斷片が所々に散財してゐる

本島の風景美はその眺望にあり、一度その頂上に立てば瀬戸内海國立公園は一眸のうちに展開し、内海有數の海景展望台とされる、島内には野生の鹿約五十頭棲息し、眞に鹿久居島の名に恥かしからぬものがある

鹿久居島

七浦に碧波は繞る絶勝地

和氣郡日生町商工會

吉備津彦神社

備前一宮、歌枕に名高い吉備の中山の麓、老松參差として枝を交へいと神々しき神域に鎭まる國幣小社である、祭神は大吉備津彦命中鐵一宮驛より約二町、總門には日本一と誇る三丈六尺の大燈籠が聳え立つてゐる、神域は森嚴幽邃でバライエテーに富んだ風景美を誇つてゐる

舊社殿は名君池田新太郎少將の遺命に依つてその嗣綱政公が元祿十年造營したものであるが、昭和五年不慮の炎上に逢ひ、本殿を殘して社殿悉く烏有に歸し目下國費二十萬圓と氏子崇敬者の寄附金■十萬圓とをもつて造營中である

吉備津彦神社

神域清淨更らに心念澄徹

備前一宮地元有志

天王山

和氣郡本莊村にあり、省線和氣驛から東へ五町、和氣平野中の獨立丘陵で、頂上から俯瞰すると掬すべき佳景が展開する、北方には銀糸の尾を曳く金剛川が藤野平野を縫うて走り、櫻の名所芳嵐園も一眸に入る、頂上には郡内各町村青年團の熱烈な奉仕によつて完成した大グラウンドがある

なほ山麓には和氣公の御塚所、和氣寺趾、入田には藥師如來を安置する堂宇がある、天然の勝景と史蹟と二つを兼備する所新選景勝地に相應しい

天王山

縣下に誇る山上運動場

和氣郡本莊村有志

常昌院瀧

吉備郡高松町立田にあり、中鐵備中高松驛から十四町、同吉備津驛から十七町、乗合自動車の停留所から八町、道路は概して平坦で、瀧壺まで自動車を通じる

瀧は著名な常昌院妙見宮の傍らなる幽深閑雅な山峡に懸り、四時白布を曝すが如き丈餘の水脈を垂れ、殊に夏季は奇巖怪石の間を流下してその勢龍の狂奔するが如く、涼味肌に粟を生せしむる

高松常昌院瀧

飛瀑は懸る閑寂幽邃峽

吉備郡高松町常昌院

少林寺山

少林寺山は岡山市の東方國富六高裏に在る巨刹少林寺と、その背景をなす約三町餘の舊寺領山林とを總稱したものである

少林寺は寛永年間池田家によつて建立された臨濟宗の寺院で、天明の頃高僧■■和尚が汎く淨財を集めて五百羅漢の造營を思ひ立ち、京都、奈良の名匠の手になる稀代の羅漢像約三百體を得て之れを羅漢堂に納めたが遂に五百體を果さずして他界した

山中の大岩は眺望岡山第一の稱あり、一木一枝の遮るものなく全市を一眸の中に収めることが出來る現住宗猿和尚は速水流茶道に造詣深く、半日の清遊に浸らんとする雅客の寺を訪ふ者が多い

少林寺山

更井久正・鄕司周太・高林孝太郞

(後援者有志)

秋は紅葉の五百羅漢

井原の櫻

東に帝都多摩川の櫻、西に井原小田川の櫻として天下に喧傳されてゐる井原の櫻は町の南端郷社足次山神社の神苑にスタートし、小田川の清流に沿うて北行、新橋橋畔舞鶴公園に至る全長二十餘丁に亘る一大櫻花陣を形造つてゐる

開花時には郷社神苑の櫻は一目千本の觀を呈し、足次山神社は花の霞に包まれ、小田川堤は櫻花のトンネルと化し、全町は花の街になる。川向ひの廣い芝生にはカフェー料理等が臨時に店を出し、美人を揃へて花見客に呼びかけ、サーヴィス■滿點

井原の櫻

蜿々二十町花の大隧道

井原町商工會・保勝會

古城山

海の国立公園の西玄關、笠岡港に突出した明媚の丘で、老松幡鬱し丘上に立てば水島灘の碧のはて遠く神島、白石、鞆の浦までが一望のうちにあり

かつては連歌師宗祇も徘行脚に來つて風光のよさ去りがたく、『山松や影や浮きみる夏の海』の名吟をのこし、俳聖芭蕉もまた『世の中はさらに宗祇の宿りかな』の一吟に宗祇行脚の跡を偲んだりして、今は休み石、鏡石など當時の語り草となつてゐるまた一代の歌人關鳧翁もこの丘麓、颯々たる松籟をきゝながら永遠に眠つて文墨の人々の來遊しきりである

今は城趾も荒廢して偲ぶによすがもないが、永祿のころ村上隆景の居城の居城あり、後陶山義高も城廓を創建したものであり、文字通り觀光港笠岡のため明媚を誇つてゐる

笠岡古城山

俳聖芭蕉も讚へた海景美

笠岡町商工會・二業組合

福山城址

太平記で知られた備中福山合戦のあと『福山城址』は都窪郡山手村にある、縣下第一の史蹟福山は標高三百米、舊山陽道を膝下に扼し頂上からは海陸兩道にかけて十箇國が展望される

延元々年五月十六日から三日間南朝の忠臣大井田氏經が一千五百の寡兵をもつて、足利直義の東上軍二十萬騎を邀へ激戰死闘したところ、眞に『夏草やつはものどもの夢の跡』の哀史を綴る著名な古戰場である

伯備線清音驛から山頂まで三十町倉敷驛から一里少々、乘合自動車で山手村西郡に出ればすぐ登山口

福山城址

松風に咽ぶは忠士の夢の跡

都窪郡山手村城址保勝會

酒津水門

倉敷市外中洲村酒津は關西有數の櫻の名所だ、高梁川が備中の山々の間を縫うて、まさに平野に躍り出たところ、明朗酒津水郷は、春の千本櫻ばかりではない

東西用水組合の配水池から放射された水路は延びゆくまゝに備南平野を近代的風景に仕立て、砂漠の廢川地から出現した倉敷絹織を中心とする工場街も酒津水門を彩る明るい景観である

ひろびろとした大高梁川の眺望は四時いつ來ても面白い、倉敷驛から僅かに半里、定期自動車を運轉

酒津水門

櫻の春・夏は煙火の淨水鄕

倉敷市外酒津保勝會

三野公園

岡山市の北郊、旭川の右岸妙見山々上にあり、近年地元有志と岡山市との協力によつて作られた自然公園で

山上から南面すれば、松樹の林を透して岡山市街を隈なく望見し、東面すれ蜿々として白く光りながら流れる旭川の清流を隔てゝ肥沃十里の備前平野を一眸のうちに収め、左に上道の景勝地龍の口城址と相對峙してゐる

岡山市としても近年公園の設備に力瘤を入れ、櫻、楓樹の植栽をはじめ諸設備を完成してゐる

三野公園

岡山市北郊の行樂境

三野公園推薦者有志

十五景

道祖溪

かつて斧鉞を入れざる樹木鬱蒼と生ひ茂る西江原町大字才兒禪洞山の一大溪谷を道祖溪といふ、溪は周回里餘に及ぶ有名な明治池の流れをうけて、清流激しては奇岩を噛み、滯りて淵となるり

明治池畔の逍遥は春は雲霞■■として新緑池水に萌え、秋は櫨楓など滿山に色づきて錦織の緞帳を展げたるの美觀を呈す

附近にはその昔源平交戦の武將那須與一宗高公の墳墓、その開基になる巨刹禪洞山永祥寺及小菅城趾など多くの古蹟が點在してゐる

道祖溪

水滾々四季景觀を革む溪谷美

西江原町道祖溪保勝會

鬼の城

吉備郡阿曾村新山の頂上にあり、足守驛より一里、舊服部驛より一里十町、乘合自動車停留所より二十町、城は埀仁天皇の御宇百濟の王子温羅(俗に鬼と稱す)なるもの本邦に渡來してこゝに據り築城したものと謂はれる

温羅は性甚だ獰惡にして常に他國の邊境を侵略し、地方の貴賦を掠奪して良民を惱ませしため、天皇は吉備津彦命を四道將軍の一に任じて之を討伐せしめ給ひしに温羅も遂に力盡きて降伏したと傳へられ

有名な鬼の釜は今猶存してゐる

鬼の城

古蹟名著にして瞰望絶佳

吉備郡鬼の城保勝會

吉備中山

吉備郡眞金町と御津郡一宮村に跨る丘陵、吉備津驛より五町、山麓まで自動車を通ず、山姿鯉に類似せるを以て一名鯉山と稱せられる山巓に大吉備津彦命の御陵墓あり眺望頗る佳絶にして南方兒島灣を眼下に見、遙に瀬戸内海を隔てゝ讚岐の群峰が一望に収められる、

山麓の官幣中社吉備津神社は孝靈天皇の皇子大吉備津彦命を奉祀し、その建築樣式は鎌倉時代の古風に則り巧妙精微を極む、廻廊は延長百八十六間ありて龍の形をなす

境内閑雅幽邃にして樹木に富み、春の櫻、秋の紅葉は一入の美觀を呈する

吉備の中山

眞金吹く吉備史上の聖地

備中眞金聖域保勝會

明王院

淺口郡六條院町大字中區にあり、山陽線鴨方驛を南へ七町、天台宗に屬し、東叡山の末寺である、古へは生石山長泉寺明王院と稱せられてゐた、境内は幽邃明媚の地で殊に現住職吉川亮敏氏が苦心の結果仁王門際迄自動車道を改修し、參道の兩側には古杉松枝を交へ鬱蒼として襟を正さしむるの感あり

境内には大正十年植栽せる櫻紅葉等が約三千坪の地域に數千本を植付けられ、交々枝を交へ四時の景趣絶美にして園内の辨天宮、大仙尊、孝子の碑等兒童教育上好感化を與ふるもの鮮少ならず

明王院

春は櫻・秋は紅葉の淨域

淺口郡六條院町保勝會

和意谷

山陽線吉永驛から西へ約一里半、和氣郡神根村字和意谷敦土山は舊藩主池田家累代の墳墓地と定められ、輝政公、利隆公同夫人、光政公同夫人、慶政公同夫人、茂政公同夫人その他一門の墓地となつてゐる、全山鬱蒼たる森林に蔽はれ、春の花、秋の紅葉はもとより四時の風光頗る絶佳にして全く桃源境の觀がある

和意谷

山峽の秋色酣にして幽寂

舊藩侯累代の塋域

寶島寺

寂嚴を出し、雲照律師を出した矢上山寶島寺は淺口郡連島町の南面した山懐にあり、一群の堂塔伽藍が立ち並んだ勝地である、丹塗の山門は兒島高徳の寄進したといはれる南北朝期の小建築、自慢の書庫には寂嚴の書き物がぎつしりと一杯つまつてゐる、寂嚴の墓は背後の山上にあり、山上からは水島灘から四國へかけての海景美が一眸の下に収められる

史蹟と風景とを兼備した景勝地で、山陽線倉敷及び西阿知兩線からバスで各二十分位の行程である

矢上山寶島寺

聖僧寂嚴の遺蹟は映ゆ

連島町寶島寺保勝會

苫田温泉

岡山津山街道に沿い、御津郡野谷村栢谷にある、嶺峰金山を背景にする幽邃の地である

傳説にこの温泉は二千年前四道將軍吉備津彦命の頃から湧出してゐたものと傳へられてゐる、泉質は弱鹽類泉、ラヂウム・エマナチオンの含有量全國中第七位にあり、慢性皮膚病、浸潤性創傷、火傷、慢性レウマチス、婦人諸病に特効あり、現經營者は佐治氏、最近浴室を改良し、客室、廣間、茶亭等と増築し、旅館部料理部を設け親切叮寧専ら大衆本位にサービスしてゐる

苫田温泉

一浴清爽寂境の韻致

御津郡柏谷苫田温泉保勝會

王子ケ嶽

下津井鐵道味野驛の東方約一里、兒島郡琴浦町の海岸にある一山丘、山上は最近美々しく造園され、櫻樹數百株を植栽し、各種の施設が施されて遊園地に相應しい

下津井町の名勝鷲羽山と共に相對峠して瀬戸内海國立公園の好展望台とされる、山上の展望は■然として開け、内海國立公園の神髄が一望のうちに収まり、風光絶佳の丘陵である

殊に最近南兒島ハイキング、コースの中軸をなし、山上の初日出は特に妙である、なほ山麓の唐琴の浦は海水浴場地として夏季賑盛を極めてゐる

王子ケ嶽

海景公園の一大展望台

兒島郡王子ケ嶽保勝會

圓通寺

玉島市街地の西方柏島にあり、曹洞宗に属し、僧良高の開基にかゝるものである、境内一帶を円通寺公園と稱せられ、山の中腹には巨巖重疊し、配置の妙は自ら庭園の雅趣を呈し、眼前には瀬戸内海國立公園中水島灘に属する多島部が海景展望台とされる、山頂には茶店、遊戯場等の設備がある

この寺はまた有名な奇僧良寛修業の跡として著名で、良寛は越後出雲崎より圓通寺に來り、二十四歳から四十四歳まで滯在してゐたものと傳へられる、

圓通寺

一眸に展く水島灘の魅惑

玉島町圓通寺保勝會

由加山

兒島琴浦町にあり、兒島半島の脊梁をなす一帶の景勝地である、頂上一帶は平盆地をなし、そこに古めかしい由加の町並がある、山上に縣社由加神社と眞言宗御室派に屬する蓮台寺とが殆ど境内を一にし、神佛混淆の状態にある

由加神社には由加大権現を祀り蓮台寺は兒島八十八ヶ所の靈場である、由加の町は舊藩時代には備中宮内とゝもに遊廓の所在地として一帶に柳暗花明の巷を描き、殷盛を極めてゐたが、今は廢れてゐる

全山鬱蒼とした幽邃境で、杜鵑の名所とされてゐる

由加山

杜鵑鳴く閑寂の淨域

兒島郡由加山保勝會

龍の口八幡宮

岡山市の東北一里半、省線西大寺驛の北方十五町、龍の口山の頂上にある

祭神は仲哀天皇、神功皇后、應神天皇、玉依姫命の四柱で、勸進は神龜天平年間、爾後舊藩主池田光政公の崇敬篤く、寛文元年本殿を再興新築された

最近崇敬者漸次多きを加へ、村社に列せられ、境内の擴張して全社殿の改築中である、山上は旭川の清流を脚下にして眺望絶佳

交通機關は岡山市石關町から龍之口自動車の定期便があり、近く山腹までの延長の計畫がある

瀧の口八幡宮

非常時に祈る國運隆昌

上道郡高島村龍の口鎭座

金山

岡山市の北方に巨象の如く聳え立つこの近邊での高山である、海拔五百メートル、岡山市より六キロ、三野バス終點から、徒歩二十分にして登攀口にかゝり、約一時間にして頂上の妙見宮に達し得る、山上の眺望絶佳なることは今更いふだけ野暮で、岡山全市街は模型圖の如く眼下に展開し、こゝかしこと一々指點じ得る

創建は人皇第四十六代孝謙天皇の天平勝寶元年報恩大師が勅命を得て建立したものである

金山

ハイカーよ先ず征服せよ

備前最高の名山

御嶽山

淺口郡の西端大島村にあり、瀬戸内海に臨み郡内唯一の高峰とされてゐる、頂上よりの眺望、西は伊豫石鎚山、北は伯耆の大山、東は讚岐の屋島、南は琴平象頭山から内海一帶の島々を眼下にし、西部瀬戸内海公園の展望台として、風景絶佳なる事他に比類がない

交通は小田郡笠岡町に至る定期乘合自動車の便あり、僅か二十分にして往復出來る

御嶽山

西淺口隨一の臨海高峰

淺口郡大島村有志

寶貴山

國寶毘沙門天で有名な寶貴山安養寺は倉敷市外菅生村淺原にある古刹だ、僧空海が高野山を開く前に大伽藍を經營すべくこの地に杖を止めたと傳へられる

往古は淺原一山に夥しい寺院があつたが、足利の東上戰に燒かれて今は安養寺一寺が殘存してゐる、毘沙門堂には藤原期から平安期に亘る毘沙門天その他の木像四十數基が保存されその中二基は國寶であり十三基は準國寶に擧げられてゐる

春は櫻、秋は紅葉、夏には杜鵑が鳴く、倉敷驛から三十町、自動車の便がある

寶貴山

堂に滿つ佛教美術の精緻

(國寶毘沙門天)

倉敷市外淺原安養寺

田鶴山城址

田鶴山は矢掛井原間の縣道に沿ひ井笠矢掛線毎戸驛より一町、小田川の清流に臨んだ、秀麗なる一帶の丘陵で、その昔正平二十四年紀の朝臣床上良勝小田神戸山城に據りし際、一族高月正長の居城たりし所である

山頂古城址の展望極めて好く、小田後月の平野、丘陵、村落起伏重疊、小田川の清流其間を曲折して麓を廻り、山腹は一帶老松鬱蒼たる間に、楓、櫟、楷の紅葉濃淡相交りて春の花よりも美しく

北面一帶の芝生は霜に染みて黄金色の毛氈を敷けるが如く、恰も奈良の三笠山の景色に彷彿としてゐる

田鶴山城址

忠烈の氣魄乾坤日夜浮ぶ

田鶴山城址保勝會

城主十六代の後裔 高月次夫正親