山陽新報 昭和十年十一月十七日(日曜日)
笠岡でも
提灯行列
古城山公園十
勝入選の喜び
海の國立公園の西玄關岡山縣小田郡笠岡町の明媚古城山公園が本社主催の新選縣下十勝地に當選愈發表を見たので笠岡商工協會、古城山保勝會主催で十六日午後六時から當選祝賀提灯行列を行ふことになり笠岡商業、笠岡、淳和兩高女、笠岡、富岡の各小學校兒童、町内有志等五千名が參加、笠岡男子校に集合、樂隊を先頭に町内を練り歩き最後に古城山公園廣場で万歳を三唱解散するはずである
山陽新報 昭和十年十一月十八日(月曜日)
古城山公園の
笠岡も提灯行列
全町に歡びを横溢す
本社主催の縣下新選十勝に入選した喜びに湧き立つてゐる笠岡町では商工協會及び古城山公園保勝會の聯合主催で十六日夜六時半から男子校前に集合
手に手に紅提灯をふりかざし、笠商、笠岡淳和の兩高女、男子及び女子、富岡の小學校ら中小學生四千名に町内有志も參加し樂隊を先頭として仁王堂、殿川、川邊屋の諸町から西本町に出で本町筋を東にして伏越町から引き返し驛前通りを住吉町に廻り古城山公園の廣場まで練り上つて
國鹽笠商校長の發聲で入選万歳を三唱八時散會したが夜空高く花火も炸裂し大賑ひを呈した
山陽新報 昭和十年十一月二十日(水曜日)
十勝入選を機に
積極的施設
光榮の笠岡古城山公園
◇‥公園委員會大いに乘出す
笠岡町では十六日朝九時から古城山公園委員會を開き本社主催の縣下新選十勝に入選したので、今後の施設について種々協議し、これを好機として愈よ積極的に公園としての諸設備の完成を行ふことになつた
山陽新報 昭和十年十二月二十日(金曜日)
十勝當選建碑
明春迄に竣工
笠岡町古城山公園保勝會では十七日夜五時から増成理事宅で理事會を開き、かねて本社新選の縣下十勝當選に當り記念碑建設の件、總会開會の件及び公園設備の件などを協議して八時散會した、十勝當選記念碑に就ては町當局、及び商工協會とも協議して明春三月ごろまでに建設を終了することになつた
山陽新報 昭和十年十一月二十五日(月曜日)
十勝入選記念
全國書道展
笠岡町笠■書道會主催で瀬戸内海國立公園指定記念、笠岡古城山縣下十勝入選記念全國書道展覽會を同町西明院及び吉祥院で開き二十二日から二十四日まで一般に觀覽せしめてゐる
山陽新報 昭和十一年三月十七日(火曜日)
碧波に霞む
春の萠し
十勝地建碑建設近き古城山公園
降り注ぐ春光の歡喜
彼岸へ入る日も近づいて風さへありながら、どことなく暖かさについ丘へ、川原へと誘ひ出され、山も野もうつすらと春霞んでゐる日が多くなつた、古城山公園へ来て見ると櫻はもうふくよかに芽ぐんで、處女のそれにも似たはにかみのなかに春の粧ひを凝らしてゐる
◇
ベンチに■ると、碧波の彼方に神島、片島、白石島、鞆の浦までが霞のなかに遠望される、本社から贈られた縣下十勝地の名勝建碑も既に唯心山下池畔にその地を卜され、着々工を急いでゐるのだが、櫻咲く四月中旬までに竣工させたいものと古城山保勝會の人々も熱心に日毎この公園に来てゐる
◇
春は古城山公園の櫻から笠岡は絢爛な春をクローズアツプするのだが一日々々とその日はもう足音もなく忍びよつて来てゐるのだ
【寫眞古城山公園山上(きのふうつす)】
山陽新報 昭和十一年三月二十三日(月曜日)
“十勝記念碑”
春の最中に建設
古城山保勝會の準備
笠岡町古城山保勝會では二十日夜七時から増成理事宅で役員會を開き本社の選奬により縣下十勝地となつた當選記念碑の建設に就て協議したが既に碑石も選定されてゐるので豫て宇垣朝鮮總督の揮毫による古城山の碑書を取り急いで彫刻し、この除幕式も櫻咲く四月十六日正午から觀光協會、商工協會聯合主催の下に擧行することに決定、擧式についての一切のプログラムは擧げて世良保勝會長に一任することになつた
一方四月十二日からは眞言宗中本寺遍照院で弘法大師一千百年御遠忌が嚴修されるのを笠岡春の市の第一日として天仙院の二百四十五年大祭などあり、この十勝地建碑の除幕式は最後の賑はしさを呈する筈である
山陽新報 昭和十一年三月二十四日(火曜日)
笠岡古城山
十勝選奬碑
大石材へ彫刻に着手
◇…花の四月十六日除幕式
古城山公園唯心山下の池畔に設建されることになつた本社選奬の縣下十勝地記念碑は愈二十日から碑石へ彫刻を行つてゐる
碑石は池畔にあつたもので御影石の高さ八尺、幅四尺、厚さ三尺、重量二千貫だらうといふ絶好のもので、われらの挑戦總督宇垣大將が雄渾の墨痕あざやかな古城山の文字を正面に彫刻、豫定されてゐる四月十六日までには完成して、盛大な除幕式が行はれるが
明媚の丘古城山頂にそゝり立つこの碑は碧に霞む水島灘を一望し、鞆の浦もまた淡きこと夢の如く眺められて、全くこゝに遊ぶものゝ忘られぬ懷しい思ひ出のシンボルとなるであらう
寫眞…(上)彫刻中の選奬碑(下)碑石建設位置
(木札の立つてゐる台石上)
山陽新報 昭和十一年四月七日(火曜日)
櫻とともに
躍る笠岡!
プログラム既に成り
たゞ花の朱唇の開くを待つ
古城山公園の櫻の蕾もふくらんでもう口紅をさへつけてゐるが、やがて滿開の日を待つて麗朗な春へどつと躍り出さうと笠岡町では擧町既に酣春の豪華版のプログラムに粉飾をこらしてゐる
(一)一昨春靈山高野で行はれた宗祖大師一千百年御遠忌大法會を再現して中本山遍照寺の大法會は十二日から三日間であるが大阿闍梨として京都大覺寺門跡藤村大僧正も來山せられる、また大仙院の創建二百四十五年大祭も十四日から三日間修せられて、大法會一色に塗りつぶさうとのこと
(ニ)この大法會第一日には商工協會で商工祭次で觀光祭を花々しく擧行され、また景品附春の市も全商店街をあげて催され、日ごとに繰り出される優艷な餘興の數々、名士餘技展も工藝品展も多彩な笠岡の春を飾らざるものはない
(三)十六日には古城山公園で招魂祭を執行し、次で本社推奬の十勝地建碑の除幕式がいとも盛大に擧行せられることになつた、宇垣大將が墨痕雄大にふるつた古城山の文字は永遠に古城山の明媚をシンボライズするものとなつた
だが、それさへも待ち切れす、五日の古城山公園はなんといふ賑しさだらう、女給さんの運動會を始め、まだ蕾の櫻林の下で、こゝに一團、かしこに一團と、春のうれしい團欒の風景、もう酣春であるといつてもよい
山陽新報 昭和十一年四月十日(金曜日)
古城山十勝地
入選記念碑建設
古城山保勝會の手で
來る十六日盛大な除幕式を
明媚の港町、岡山縣笠岡町をシンボライズする古城山公園は、昨秋本社推奬によつてつひに縣下十勝地となつたが、これを永遠に記念するため、二月來公園廣場の中央唯心山下の池畔に、古城山保勝會の手により建設を急いでゐたが、愈八日をもつて工事を終了した、公園の櫻も滿開するであらう、十六日正午から古城山保勝會、笠岡商工協會および笠岡觀光協會の聯合主催で盛大な除幕式を擧行することになつた
記念碑は高さ八尺、幅四尺の巨大な御影石で、本社選奬のブロンズは碑の右側面に打ちはめ碑面にはわれらの朝鮮總督宇垣さんが、飛墨雄大な古城山の文字を彫刻
乳いろに海霞む日は碧藍のはて、繪の如き神島、白石、北木の島々、さては唄の鞆の浦など海の國立公園を遠望してそゝり立ち、古城山公園の展望美をひとり占めてゐる
建碑については三百餘名の古城山保勝會員たちの熱■もさることではあるが特に世良、稻岡の正副會長を初め坂本、増成、渡邊などの役員たちが努力の多大を讚へねばなるまい
山陽新報 昭和十一年四月十六日(木曜日)
古城山十勝碑
けふ晴の除幕式
公園の櫻も八分咲き
本社が昨秋、縣下十勝地に選奬した笠岡町古城山公園の十勝碑除幕式は十六日正午から盛大に行はれる、唯心山下の池畔に立つ碑は紅白のまん幕を張りめぐらし、へんぼんと春風にひるがへる社章の小旗、そして知事及び本社、縣議なども來賓として參加する祝賀會員三百名、けふ永久の記念日として十勝地古城山公園の名は輝くことになつた、華やかな觀光舞台のフツトライトを浴びて……
十四日夜も古城山保勝會では坂本理事宅に理事會を開いて今十六日の除幕式、次で祝賀宴に就ての遺憾ない準備の協議を行うた、今日を公園の櫻も八分咲きの嬌艷さに朗らかなウインクを投げかけてゐる
山陽新報 昭和十一年四月十七日(金曜日)
笠岡古城山の
十勝記念碑
きのふ華やかな除幕式
麗春の空に煙火の炸裂
岡山縣十勝建碑の日で、櫻も咲いた、古城山公園に來よとばかり、晴れわたる春の朝空にバーンババーンと威勢よく炸裂す煙火に氣も心も浮き立つ――十六日朝十一時岡山縣笠岡町主催の招魂祭が修了すると、引續いて本社選奬の縣下十勝地記念碑除幕式は古城山公園の中央、衣笠池々畔でいとも盛大に擧行された
會員三百名の着席に次で世良古城山保勝會長の式辭があり、古城山開發の功學者稻岡隆造翁によつて紅白の除幕の綱をさつと引けば、白布におほはれた記念碑は颯爽たる姿を現はし、しばし拍手の嵐は起る、碑面に刻んだ宇垣大將の雄渾な飛墨、古城山の文字のなんといふ儼然さよ、久郷山林課長に次で高原本社營業局長、國鹽笠商校長の來賓祝辭があり、鶴田笠岡觀光會長の挨拶があつて正午閉会した引續いて祝賀宴は張りめぐらした天幕下で開催されたが、けふの佳き日を祝へとばかり盛んに交はされる祝盃の雨、祝宴場から眺めやると乳いろに霞む海のはて、片島、神島、白石の島々が夢の如く浮び、鞆の浦は遠く霞のなかにかくれて探れども見えず、一望たゞ雄大絶美の油繪のそれである
招魂祭と十勝建碑式とに誘ひ出されて、咲きにほふ公園の櫻林に、唯神山上に、酣春をたとふる人々、實に一萬以上にも及ばうといふ賑はしさ、それに午後からは餘興場にデビユウーして朗春を■る、笠岡券番の藝妓連、小女歌踊團、など人、人、人の山を築いて十勝建碑の十六日は終日賑はつた
寫眞は記念碑除幕式
山陽新報 昭和十一年四月十八日(土曜日)
古城山公園の
十勝建碑式
十六日の人出約二萬
十勝、建碑式の行はれた十六日の笠岡町古城山公園は、春空晴れて陽も麗らかに、櫻さへ八分咲きの見頃で、どつと溢れ出た人々、おそらくは二万にも及ばうかと言はれるほどの大賑ひ、しかも亡き護國の勇士を弔ふ、町主催の招魂祭は、朝九時から桃畑を前庭とした招魂社前で行はれ、日清日露、次では滿洲事變などを偲ぶ弔文は春ながら遺族たちの涙の回想を新たにしたが、續いて行はれた十勝記念碑除幕式は衣笠池畔に紅白のまん幕を張りめぐらして祝盃また祝盃の賑ふことしきりであつた、それに餘興の出演は、こゝの天幕下かしこの演舞場で、次から次へ、彌次も飛べば拍手の嵐も捲き起つて、春、春、春ならざるはない風景を描いてゐた、唯神山上から廣場の四方へ引きのべられた本社の小旗がヒラヒラと春風にはためいて十勝祝賀に終日躍りくるひ、絶好の花日和に古城山公園は近來にない大賑ひだつた
山陽新報 昭和十一年五月十日(日曜日)
古城山保勝
會理事會
笠岡町古城山保勝會では七日夜七時から渡邉理事宅で理事會を開き、世良會長及び坂本理事ら七名出席し、左記事項を協議した
(一)總会は十七日午後一時から町役場で開催、十年度における事業及び會計報告を行ふ、(二)十一年度においては収支の許す限りにおいて施設を行うも町當局に陳情して可及的公園設備の完成を期すること、自動車道路の急設及び公園南側土地借入など
山陽新報 昭和十一年五月十七日(日曜日)
古城山保勝會
◇第三回總會
笠岡町古城山保勝會では十七日午後二時から古城山公園で第三回總會を開き十年度決算及び事業報告を行ひ十一年度事業に就ても協議する、なほ同日午後一時からは評議委員會を開く