山陽新報 昭和十一年二月四日 (火曜日)
二十秀地を巡る 【六】 巌津生
湖水をめぐる櫻
艷麗豪華“水に映つて二千本”
近代科學に立脚した用水工事の驚異
山岳氣分豐な柳井原遊水池
柳井原遊水池は平地に近く、山岳氣分を湛えた美しい湖水だ、しかも大正生れであるだけに面積百五町一反七畝十五歩、潴溜量一一二、九九九、五二七立方尺と立體的に身元調べがちやんと出來あがってゐる。湖水をめぐつた
吉野櫻の千本は、酒津の千本櫻と兄弟分で同じ年に骨肉ならぬ苗木を分ちあつて植えられたものだが『水に映つて二千本』の艷麗豪華さをもつて、むしろ酒津を顔負けさせさうな勢だ。山陽線倉敷驛から西へ二十町ばかり高梁川古水江の渡しを渡つて、ところどころ山の麓を登ると、そこにゆつたりと陽に輝く暗い水平線を發見する。淺口郡船穗村柳井原はこんな近いところに、こんな鮮麗な
水郷があつたのかと、驚喜の眼を瞠らせる別大地である。
一周すると六キロに達る柳井原貯水池は南は古水江の對岸、北は古池の渡の對岸に近代式な堤防を築き、北の(上流の)堤防を潛つて引き入れた高梁川の水が滿々と翡翠を溶かして湛えてゐるのだが、池が彎曲してゐるために池の畔を歩いてゐると四面山に取り圍まれた山岳湖の森儼さを覺えさゝれる。
池の西岸を傳つて玉島から備中奥地へ通じた舊街道がついてをり、湖岸に添ふて實數千本を越える吉野櫻が去年今年、結婚適齢期の
娘さんといふまでに成長して、腰をくねらしつゝ連つてゐる。湖畔には郡中第一の景勝と舊記に記された濃青の獅子ケ淵があり、湖面に出張つた古城山がある、曾ては頼山陽も來れば菅茶山も訪れた、池こそ大正生れだが昔からの勝地で、今はむしろ景勝柳井原の再認識を迫つてゐる形だ、
湖水の規模に等しい貯水池は、もともと上酒津から分岐した西高梁川の一部であつたが大正十三年に完成した高梁川大改修に伴ふて堰止められ、東西用水組合が旱魃の用心水を貯えるための大池に化けたのである。柳井原貯水池がある限り
高梁川東西用水の灌漑する備南六千五百八十町歩の沃野に旱魃は無いと保證する、らくだの瘤のやうな役目を承る大池だ。
酒津に來て河川工事の雄偉に觸れたものは、高梁川を一跨ぎして柳井原に足をのばし、近代科學に立脚した用水工事の驚異に見參するがよい
柳井原の歌人淺野興平氏を會長とする保勝會では春の千本櫻ばかりでなく四時に通じた水郷の秀麗を宣揚るすために、しきりに活動をつゞけてゐる。