山陽新報 昭和十一年二月十七日 (月曜日)
二十秀地を巡る 【十七】 巌津生
海景公園通仙園
水島灘の眺望を一手に引受け
晩春は躑躅の名所
しらべより けさからことのきこゆるは 通生の山の松風のおと 菅公
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兒島半島の西岸、水島灘の眺望を一手に引き受けたところ
本莊村大字鹽生と通生の境界に蝸牛が海に這ひ出した恰好をした岬一帶が通仙園だ、岬の突端が水島合戰時代の一方の陣地だつたといふ砦の跡で、山の上がきれいな廣場になつてをり、掘割の跡も歴然と殘つてゐる、蝸牛の殻に相當するところが兒島で最も古い社歴をもつ郷社本莊八幡宮の神域で、このあたり大規模の古墳があつた
前面一杯に輝く海の國立公園は白石瀬戸を頂點に半円を描いた範圍に、瀬戸内海獨特の高朗
典雅な海景を湛え、通仙園は最も閑靜平易な位置に座してすばらしい眺望の威力を發揮してゐるのだ、海景公園をめぐる丘陵岬角の何れもが展望台ならざるはないが、易々として登り、足下に青潮を踏まへた氣持ちで、鮮麗な海と島と、源平水島合戰といふ有數な史蹟を眞正面に眺めることの出來るのはおそらく通仙園に如くものはないであらう
通仙園は、つゝじの名所で、晩春には赤、桃色等種々なつつじが全山至るところに咲き亂れるが、こゝの
躑躅は特別に樹も大きく花も大輪で見事だ、今年から本社八幡宮の社務所に頼んで、つゝじの頃は下草を刈り取り、花見客のために便宜を圖ることになつてゐる、通仙園の西海岸は堂々たる松林の濱邊で、海は遠淺、海水浴の安全地帶だし、之れにつゞいた鹽生海岸は既に知られた海水浴場だ、通仙園をめぐつて通生、鹽生は梅の花咲く早春もよく、冬は至る處の蜜柑畑に暖かい黄金色の果が陽にかゞやく
この地の傳説に躍る立役者は帆網藤十郎といふ黄金長者の漁師で、水島灘の海龍に戀せられ、濱一杯に大判小判を布きつらねて貰つたといふ話もあれば、本莊八幡宮や、古刹般若院の由來記にはどうでも藤十郎さんが登場せぬと納まらぬ
味野からなら一山越せばいゝ、倉敷方面からだと、呼松港まで定期バスに乘り、呼松から通仙園まで約一里、坦々として西兒島海岸を貫く新縣道のハイキングも面白からう