【9】 毛無山

山陽新報 昭和十一年二月八日 (土曜日)

二十秀地を巡る 【九】 熊丸生

自然の一大景觀

春から夏へ咲き誇る高山植物

新庄川沿岸に美しき傳説と景勝、舊蹟

眞庭の高峰毛無山

出雲街道に沿ふ新庄川の谿流は美しい傳説と大小幾多の景勝舊蹟などに富む蜿蜒五里の幽邃境域であり、後醍醐天皇の

御製で名高い神代の四季櫻、西園寺公望公が年若く山陰鎭撫使として通過の際深勝したといふ鍾乳洞の鬼の穴、奇岩怪石随所に散在する龍宮峽、里人より寢醒床と稱へられてゐる猿飛、夫婦岩など眼に映ずるものゝ總てが繪であり、詩である溪流を溯ること五里にして國境の村、眞庭郡新庄に着くのである

これでも村か、軒並が美しく戸數が餘りに■密して居るので村人が町だ町だといつて居るのも無理からぬ、町の兩側には櫻樹が整然と植えてあり、小川は清く四時■々の音を立てゝ流れてゐる

陽春のころとなれば櫻のトンネルとなり風に誘はれた花片がハラハラと清冽に落ちては流水に随ふところなどまさしく詩であり、その平和な山村の背後に新庄富士と笠杖山とがあり、

こゝより約一里にしてその名も高き四十峠に達するのである。陰陽連絡の要路として知られた同地も開け行く交通文化に置てけぼりをくつて今は淋しく一軒の峠茶屋が殘つて居るばかりである。峠の茶屋から東北廿町のところに櫻の名所中山の御舊蹟があり承久の昔後鳥羽上皇が隱岐に流され給ひし時御休憩あらせられた

御遺跡で『都人誰踏みそめて通ひけん向ひの道の懷かしきかな』といふ御製の碑が建つて居り、

そしてそこには實に珍らしい一本の枝埀櫻がある、上皇が栗を欲し給はんとした際自然に栗の枝が御手近く埀れ下つて以來けふに至つてゐると傳へられてゐる

吉野の一目千本にも比すべき同櫻の名所より更に足を延ばして新庄の奥地田浪部落に出づれば海拔四千廿一尺縣下第四位(郡中第一)の毛無山が高く高く聳えてゐる。

春から夏へは名も知れぬ高山植物が咲き誇つて知らず識らずのうちに約一時間にして頂上を極めることができる

山頂に達すれば眼界一時にひらけて山陰の高峰大山の裾を長く曳く高原の彼方にクツキリと描く海岸線、夜見ケ濱、中の湖宍道湖、米子、蒜山原野など水と山と街と、そして雲の■れ間日本海上にポツカリ浮ぶ隱岐の島の遠望を取入れる時、そこに繪にも及ばぬ自然の一大景觀が繰り展げられて行くのである

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(寫眞は毛無山の頂上より日本海を望む)