【13】 木野山櫻

山陽新報 昭和十一年二月十二日 (水曜日)

二十秀地を巡る 【十三】 大森生

陽春四月・滿山櫻

夜は數百のボンボリにあかし

山上から瀬戸内海の眺めまたあかず

玉島町が持つ風景美の一つ木野山櫻

里見川が淺口平野をうねつて水島灘に流れこむその河口を東西に挾んでゐる玉島町は繪の町、歌の町踊りの町として古來幾多の墨客雅人を育んでゐる、町そのものが持つ天然自然の風光絶景こそは

良寛をとどめ、玉邨産んだ最大原因ではあるまいか、かうした惠まれた環境にあればこそ“風流を解せずして玉島を語るな”といはれるのである

その玉島が持つ風景美の一つは二十秀として新に出た木野山櫻である、西の白華山圓通寺に對する東の木野山神社、無格社ではありお宮の規模も少ないが靈驗あらたかといはれる、上房郡津川村の木野山の出張所として阪神地方まで信者があり春夏秋の大祭にはなかなかの人出である

殊に神官原景山氏が最も誇りとするのは春四月滿山を埋める櫻の

花霞みである、大正十二年今上陛下の御成婚を記念して植えられた吉野、八重、右近の櫻樹數百本は万朶と咲き亂れて妍を競ふのである、しかも眼下には蜒々蛟龍の起伏せる如き甕江を俯瞰し、東には翠巒兒島半島を望み、南は源平の古戰場水島灘が金波銀波に輝き遠く讚豫の連嶺を双眸にあつめ、西は北木、白石の彼方に鞆仙醉島を指呼する展望美をあはせ備へてゐる、粉々たる■花の■雨を浴び、雅■に座して酒盃を重ね陶然と低唱するも愉快だ、夜は春霞を繞つて數百のボンボリが彩光を投げ俄造りの茶店、料亭からは絃歌さんざめき更けゆく夜も知らぬ

不夜城を現出するのである

信徒を中心とした保勝會ではこれまでの年中行事相撲大會のほか玉島名物良寛踊の大會も開き櫻を増殖し、表參道裏山道をも改修し木野山櫻の宣揚に一層の努力をする議が起つてゐる

天のはら明けて戸島を見渡せば

渚靜かに波ぞよせくる

(大嘗會和歌集 藤原家經)

の歌で有名な乙島、徳富蘆花の來訪からめつきり名を出した避暑と汐干狩りの

養父鼻も數町の道程だ玉島を訪れるものの忘れてはならぬ觀光地である