山陽新報 昭和十一年一月一日 (水曜日)
十勝地巡り その一 鹿久居島 小寺生
瀬戸内海の觀光地に
鹿久居島の登場
晴れの花道は岡南鐵道
近代人を魅す壓倒的自然美
十勝第一席の鹿久居島――鹿久居島は縣下東南端の一漁村和氣郡日生町の港頭にある、日生は未だに吉永と片上を繋ぐ二線のバスよりない陸の交通文化に忘れられた町、外界と隔絶して山裾にチヨコナンとした
群落を彩るものは、凡そ手工業的な――港に列ぶ漁船と空に翻へる干し網と軒毎に吊した干し魚と――それは手ねりの素朴さに滿ちた牧歌的風景である、船大工の槌の音と時々思出した樣にポンポン船が港の静謐を破る、これがトーキーにならぬトーキー『日生』であるこの港から十餘町、目と鼻の沖合に鹿久居島は緑鬱蒼たる悠久の姿を黙々として浮べてゐる、これら一聯の簡素な構圖に成る無聲映畫的な一枚のスチールは一種
懐郷的な古風さを湛へて、『街の騷音』の中に故郷を見失つた近代人にとつて、これは逆説的な近代的魅力である。
備前鹿久居島廻れば七里、
浦は七浦……
たゞ『七恵比壽』が無いのが宮島と違ふだけである。
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三々五々の漁船を縫うて潮風をふんだんに吸ひながら港を出たばかりにもう船は鹿久居に着く、島を巡ればとつつきの左の浦が米子、米子の右手の鼻を廻ると現寺、可成り深い
入江になつてゐて秋はチヌ、アジ等の好釣場、太公望垂涎の地だ、保勝會の計畫では入江の相似から將來宮島をかたどり現在日生の町にある春日神社を遷座し、一帶を神域として現寺から千軒にかけて野棲の鹿を神鹿としたいといつてゐる、やがて鹿久居島が宮居の島となるのも遠くあるまい、更に南へ廻つて頭島と一葦帶水に向ひ合せの大濱は白砂の渚が弧を描いて遠浅の碧水を抱き、夏は近隣の
海水客に賑つてゐる、次の千軒は往時漁民千軒住居の跡で寺屋敷、鍛冶屋敷などの片鱗を止め島中でも最も景勝に富んでゐる、切支丹の墓などのある鶴島、流■者の首斬り場だつた首切島の間を拔けて東北端の九艘止は島の裏景の尤、東に赤穗岬などを望み、こゝも浴場としての砂濱に惠まれてゐる。
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島は全島奇巖青松に蔽はれ到る處に勝景佳色を發見するが、今日まで
國有林の禁獵區といふ惡い條件に阻まれて無人島ではあり見るべき人工の開拓がないので、或ひは草木密生して小ジヤングルを思はせる處も二、三にして止まらず、いはば景勝的未完成交響樂だが、一たび山頂を極めればこれは内海の展望台、眼界は涯しなく展けて近景には大多府、繪島をはじめ二十餘の翡翠の島々が碧瑠璃の海上に點綴し遠景には雲煙模糊の間に小豆島、屋島を越えて紫に煙る
四國を望むスケールの雄大――、海は島をめぐり島は海をめぐる、春なれば風はメリーゴーラウンド、波は光りのエスカレーター――と、右手に株、左手にスピードの近代人も、この壓倒的自然美の中では『瓦落と天井知らず』の札ビラを粉々に、山上から花吹雪にするの風流を或ひは取り返すかも知れない。
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島の主は島名『鹿久居』の由つて來る野棲の鹿、古くは池田候が狩獵地と定め屡次鹿狩りをやつたもので、現在は二三百頭も群棲してゐるが面白いのは鹿の社會にも景氣不景氣があり、冬枯れには餌が欠乏する、そこで
曉方を狙つて對岸の本土に餌を求め三四十頭から時には百頭近くも群をなし颯爽として海を渡つて來る、差し詰め島のラツシユ・アワーだ、ところが一見取りすましたスムース街のモボの如しだが、食を求めて芋畑を荒すといふから案外彼氏の愛嬌者たる、またモボの如くであるか?
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島の近海はまた絶好の漁場で周圍七里の間に枡網が二十ばかり年中張られてゐる、一網の經費一年三千円といへば、〆めて六万円の資本が島をめぐつて下されてゐる譯で、まるで黄金の海だ、春潮がひたひたと鳥肌に戲れる頃にはこの枡網の
豪華版鰆網が始まり、一網毎に數十乃至數百尾の銀鱗が漁夫の赤銅色の胸と一緒に、更に一層豪壯な盛勸は寒中の大網である、これは東南の島はづれ、日生港の眞正面の海で毎年數回最も寒い日に行はれる獲物はイナで島陰の暖流を求めて來るらしく、その大群を待ち受けて一網で一擧に捕へるので、漁夫達は三艘の船に約百名が分乘し、一方では日生の同僚中での老巧な
經驗家が鹿久居の頂上に頑張つて見張りの役をつとめる、魚群の層で變る海の色で網を揚げるチヤンスを遠く合圖して海上の船に報せるのだ海上では命令一下双方からろくろで網を絞る、ところで船の漁夫達は寒風肌を劈く中で皆揃つて素ツ裸だといふからこれは成程壯擧だそれが一齊に掛聲勇ましくろくろを捲く、遠近の船といふ船から歡聲の十字火だ、漁獲は一網數十万數百万、各地から集まつた仲買の手に無論
目分量で一と山宛が取引される、港は湧く、大網景氣が立つ、その日は日生の兜町であり北濱である譯だ。
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島と海とが設計するこれらの『鹿久居』風景は多角多彩に彩られてゐるが、更に點睛を施すために保勝會の手で近代的觀光施設の諸々が植林、散歩道等々と目下せつせとプログラムに組まれてゐる、やがて待望の岡南鐵道も通リさうだし、さうなればいよいよ『觀光鹿久居』の新世紀も近い、岡南線は檜舞台登場の花道ともならうから。