山陽新報 昭和十年十ニ月十六日(月曜日)
本社選奬 景勝地顯揚座談會[七]
道路政策に觀光味
時代的趨向を十分に取入れよ
當局の考慮を望む
龍の口八幡宮代表 非常時の神樣である龍の口八幡宮を一寸紹介させて頂きます、こゝで一口申上げておきますことは『龍』を『瀧』と間違へて宣傳され勝ちでありますがこれは飽迄も『龍』であります、龍の口は岡山市東北一里半の箇所に高く聳えてゐるのが龍の口山で、山の頂に鎭座ましますのが八幡宮である、現在のお宮は餘り立派であると申しませんが目下修築計畫を進めつゝありますので、將來に於きましてはこの神社も十五景相當のものとなると思ひます
ところがお宮を十五景にいれるといふことについては各方面の方々が關心をもつてゐると思ひますが、觀光に併せてこれと同時に信仰心、崇神思想の昂揚をはかるため關係者はこゝに八幡宮の名を出したわけである、景勝地の發展について關係者の方々にとどまらず全縣下のお方に要求したいことは景勝地の宣傳、これは云ふまでもありませんが、愛郷心の發露によつてより立派により好感を覺えしむるやう活躍する必要があると思ひます、觀光地はそのまゝでは發達するものではありません、交通機關と云ふものを第一に考へて行かねばならぬと思ひます
つぎに縣廳並に鐵道のお方にお願ひしたいことは道路の處所々々、驛といふやうなところに景勝指標を設ける、自動車の運轉手、車掌といふ樣な方々が地方の名所に熟知されて宣傳されんことを望みます
金山代表 わが金山は豐富なる史實と美しい風景とを有し、而も岡山といふ都市に隣接しながらも一般に餘り知られてゐないことを私は殘念に思つてゐましたところ、今回山陽新報社の十五景中に入り、世に紹介されることは郷土のため誠に喜ばしいことゝ思つてゐます、この金山の投票は金山小學校兒童が組織してゐる少年赤十字團の事業として完成させたものでありまして、その間には實に涙ぐましいものあります
金山は岡山市より約六キロ、三野バス終點から徒歩二十分にして登攀路にかゝり、一時間にして一千六百五十尺の頂上に達することが出來るのであります、頂上からの眺望は極めてよく、瀬戸内海の諸島は勿論四國の連峰を一目で見渡すことが出來る、岡山市は模型圖の如く眼下に横はり、また晴天の日には遙かに隱岐の島を望むことも出來ます、四季の花も多く絶好の觀光地であります
山嶺にある金山寺は天平勝寶元年報恩大師の創建にかゝるもので、當時は天台宗の地方四十八寺の總本山として相當幅を利かせ、本殿は特別保護建造物に指定されて居る、寶物はいづれも準國寶的なものばかりです、目下少年赤十字團を總動員して觀光道路を建設し、標識も立てつゝあります、御社の方でも今後機會あるごとに金山を御利用すると共に、岡山驛その他の要所に觀光地案内所を設置されるやう援助して欲しいものです
御嶽山代表 私の所は丁度東の鹿久居島に對し岡山縣の西端半島の樣な大島村地内の海岸三百二十メートルの山であります、この山の眺望が好いことは最近發見したのです、今夏岡山驛主催のハイキング團體がやつて來て立派なものだとのことで始めて見直しました所、なるほど良い景色だと言ふことになつた、鷲羽山、白石島の眺望も好いが見馴れないから良いので御嶽山も棄てたものでない、今度鐵道指定のハイキングコースになりました、山の状態は北が登山口で、南部海岸方面には密林があつてこの邊に行けば深山幽谷に入つた氣が致します
山には植物や昆虫の種類が多いことが學会でも有名で、植物は縣下の全種類を盈してゐるといはれてゐます、現在のところほんの處女地であるため設備が殆んどありませんが、ハイキングコースに指定されたので標識などぼつぼつやつてゐますが、實はこの赤裸々の所も見て戴きたいのです、登山道の改修、山上の休憩所、運動場などの設備について指導並に援助を仰ぎたい、また觀光が重大視せらるゝやうになつた今日、觀光道路に力を致すことを當局はその大網の中に入れて戴きたいと思ひます
寶貴山代表 寶貴山は倉敷驛から三十町の西北方福山城址の下中腹にある寶貴山安養寺を稱してゐます、この寺には毘沙門天を祭つてありますが木像四十七體のうち平安朝時代の作にある二基は國寶となつてゐます、春は櫻、秋は紅葉、夏は杜鵑が鳴いて四季の風景は絶佳であります、附近には古戰場もありますので一日の清遊にはかつこうであると思ひます、寶貴山安養寺としましては倉敷驛構内に名所標柱が立てられるやうに盡力して頂き度いといふことを望んでゐます、
田鶴山城址 田鶴山は岡山より福山に通ずる舊國道矢掛と井原の間の小さい丘陵であります、井笠鐵道毎戸驛に降りるとすぐ數十町にわたる芝生に埋れたみるからに清新さを感じる、田鶴山に出で、眼下には小田川の清流がかの犬山城から木曾川を見るやうです、北面の芝生の山は三笠山に髣髴たるものがあり非常によいところで、附近の人は皆なこゝに集ります
春秋の候には子供の群が山を埋め、登山も女子供が下駄履きで踏破出來るのです、岡山縣下の平原の眺望としては東の天王山、中部の吉備の中山、西部の田鶴山と申してよく、且この高地は正平二十四年北の朝臣、床上良勝が小田神戸山城に據つた際、一族高月正長の居城であつたといふ歴史的要素も兼ね備へてゐまして、どの點から見ても縣下の勝景にして恥しからぬものがありますので
今回投票に際して附近各町村の支持を得て當選したわけであります