山陽新報 昭和十一年二月十五日 (土曜日)
二十秀地を巡る 【十五】 青本生
足守の近水公園
舊藩主木下家の庭園
今は觀光地足守のマネキン
中國線足守驛から約三十町足守川の堤を北へ進むと、松柏の鬱蒼と茂つた宮路山となだらかな山肌が碧空に抛物線を描く鍛冶山に挾まれた林間の町
足守町がある、そこは慶長年間、豐臣木下利恭が備中守として藩政を執つてゐたところだが、數十株の櫻樹が精緻な彩管を揮ひ、商店が軒を並べた明眸足守には銀バスが近代文明の息吹を運んで町角に遺つた土塀が僅かに封建の夢と詩を語つてゐるに過ぎぬ
アレ足守春ぞいなソレ春ぞいな
咲いた櫻に日傘が踊る
踊る日傘に花が散るよ
新作足守小唄が梅の綻びかけた商家の軒端から聞える、町の奧座敷近水公園は當時の
木下家の庭園で周廻およそ五町、蘇轍の老いた『龜島』と楓の枯木が枝を張つた『葡萄島』の泛んだ瓢箪池が清冽な水を湛えてゐる、これは寶來山を模して作つたのださうだ、池の邊に二階建の近水亭がある、『吟風閣』と白く彫拔いた額は、風雪に朽ちた檜皮葺の屋根と共に相當時代を經たものらしい、仰げば宮路山の老木の梢がおどおどと早春の觸手を伸ばして園内の若木の生命に呼びかけてゐる、やがて
日傘はこゝにわが世の春を謳ふのだ、吉田町長と近水亭の二階から首を突き出すと、公園の風致を逆さまに映した池水は多彩なスクリーンのやうに躍動して、利恭の後嗣木下利玄さんが風に呻き、月に吟じ武を練り文を磨いた昔も偲ばれる、人は動いて歴史を作り、人は考へて哲學を生む、今見る『近水』は都塵を外に逍遙ふて徘徊趣味に生き、座して思索に耽るによく五百餘戸の足守町民が『お水』として愛賞一方ならぬ町のオアシスでもあり
觀光地足守のマネキンでもある
アレ足守秋ぞいなソレ秋ぞいな
澄んだみ空にお月が上る
のぼるお月に雁が鳴くよ
サツサみやしやんせあの龍王山
園内には利恭子の碑、忠臣を祀る思立舎などが立ち、左方に聳える龍王山の中腹には龍泉寺瀧、杓子岩等の景勝もある、町當局で『近水』を中心とした遊覽コースも目論まれてゐるので足守の愛妾は明日から中備觀光界の花形に飛躍するのだ