山陽新報 昭和十一年一月十九日 (日曜日)
十五景地を巡る 【七】 梶浦生
苫田温泉夏冬知らず
何時も湯の中花盛り
ラヂウム湯靄のぼかしぞめ
保勝會で急ぐ觀光施設のいろいろ
岡山から津山街道を北に二里、金川行バスで二十分、ハイヤーなら僅かに十分、御津郡野谷村
栢谷に我等の歡樂境、詩と傳説の湯、苫田温泉が招くのだ。
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峰巒の三面を繞り、谷川を沿うてゆくこと五町、溪流■■として、清流掬うべき閑雅の地、而もここは栢谷果物王國の中心地、四時の風物の移りかはりも面白い、温泉旅館は則武氏の二十有餘年來の經營になり、客室も十餘室あり、更に洋室、大廣間、茶亭、家族湯の増築、庭園も完備され、春ともなれば藤棚の白藤、玉藤はその
濃艷な姿態で微笑むだらうし、旅館裏にはテニスコート、子供のための■■も設備され、宿泊料低廉大衆向であるのは誠に嬉しい限りだ、冷泉ではあるが、ラヂウム含有量は全國でも七位であるとは、その道の權威の證明するところであり、慢性皮膚病、頑固な潰瘍、創傷、婦人病、火傷、霜やけ、神經痛などに特効がある由、土用の丑の日の入浴は殊更靈驗ありといはれてゐる。
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傳説によると崇神天皇十年に吉備津彦命が四道將軍として中國地方平定の砌り、この温泉は高温を保ち、戰場にて負傷せる逆賊どもはこの温泉で急速に創を癒して再び反抗を續けたので、命はこれを聞き給ひ、直ちにこの温泉を封じられたこれがため現在冷泉となつたといはれてゐる。
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この地の夏は最もよく、汗知らずで、三伏の候、開け放たれた座敷に腹這ひになれば、たゞ音もなく
峰の梢の鳴蝉に寸時の夢をむさぼる、霜稍冷かなる時は、野邊の七草の彩美、松虫鈴虫の聲に靜寂を味はひ得やう、こゝ栢谷の地の自然美と、玲瓏一塵も交へざる、清淨無比の空氣、遠く俗塵を脱した一■の地域こそ、われらの遊覽地、保養地、景勝地としてのこの温泉の特長であり、誇りでもある。
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附近には一千年以前に退轉した名刹、金鶏傳説の經瓏山、寺屋敷の礎石あり、文人雅客常に杖を曳いて、句を吟ずるもむべなるかなである。
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岡山市近郊に温泉をもたぬわれらにとつて苫田温泉こそは煩雜の避難所、休養所である。湯に身體を沈めて暫し沈思默考すれば感興自ら湧いて、情感ひとしほ密である
老樹蒸苔冬未深 曲溪■石有清音
吹風不斷松間路 泉外誰家聞調琴
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目下同村ゝ長、小學校その他有力者をもつて保勝會を設立、觀光施設の準備に大童で、近く櫻樹の増植をなし、苫田池から温泉附近を櫻で埋め盡す計畫をしてゐるが、横井小原、金山と相並んで岡山から一日のハイキングコースとして絶好の觀光地となるのも遠くはあるまい。
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最後に苫田温泉小唄を送つて苫田情緒を偲ぶとしやう。
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五月白藤紫あやめ
戀のゆかりの色湯槽
苫田温泉湯槽で聽いた
川のせせらぎ不如歸
谷は藍染紅葉は緋染
ラヂウム湯靄のぼかし染
苫田温泉夏冬知らず
何時も湯の中花盛り