山陽新報 昭和十一年一月二十四日 (金曜日)
十五景地を巡る 【十一】 梶浦生
岡山市近くこの淨地
山海の眺め豊かなこの城址
參詣客相踵ぐ龍之口八幡宮
岡山市の東北一里半、西大寺鐵道長岡驛を距る北方十五町、上道郡高島村――淨氣につつまれた爽快森嚴な神域こそ
千古の歴史と傳説で天下に聞えた龍之口八幡宮が鎭座してゐる。
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岡山市石關町から竜之口山麓まで定期乘合自動車で僅か二十五分原尾島、新屋敷、祇園と過ぎるころには路は旭川の清流に沿うて山麓を走つて、龍之口登山口に至る。いよいよこゝから坂道となる、登山口から頂上まで二十町、相踵ぐ善男善女によつて伐り開かれ、踏み碎かれた山路は、今では立派な參道となり、三十分で老人子供でも樂に頂上に導いてくれる、すくすく伸びる
老松の間、奇岩怪石の間を縫うて登れば、眼界次第に展けて北部備前平野を一眸のうちにおさめ、旭川の清流を脚下に路は漸く平坦となり、永遠の靈驗を秘めた傳説の城址、龍之口八幡宮の神前にぬかづく。
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八幡宮の勸請年代はわからぬが祭神は仲哀天皇、神功皇后、應神天皇、玉依姫の四神が安置され、孝謙天皇の御宇、すでに靈驗顯著なりとの記録がある、岡山藩主池田光政公の崇敬篤く、本殿の再興、新築などを行ひ、正八幡太神と奉稱、爾來祭祀、修理等は
藩主がこれを經營し、藩の守護神の一として崇拜されてゐたが、明治の新政なると同時に八幡宮と改稱、村社に列せられたものである。
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神社境内附近一帶は有名な龍之口城趾で、永祿年間穝所治部元常の居城で、宇喜多直家の軍と奮戰したところで、騷動山、東の陣、陣ケ台、十二塚、馬乘場などの幾多の史蹟を殘してゐる。
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暫し幽寂たる靈地に憩へば、遠く小豆島を望み得べく眼を轉ずれば雄壯なる那岐山の
雪景を望見することが出來る。枝さし交はず古松は洩れる太陽の慈愛のくちづけと、暖かき靈氣の抱擁は無我の境地に誘ひ入れられる。
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傳説によると寛文年間池田光政公、牟佐に遊獵の歸途、龍之口山下の舟で下航の際、川面に大蛇横たはり、航行出來ないので、公自から弓をとり、矢を放つたが、矢は悉く外れて大蛇は微動だにせず、よつて光政公大蛇に向ひ『心あらば退け、以後八幡宮守護神として當山に祭り遣はす』と宣せられしに、大蛇立どころに
山中に姿を消したと今もなほ口碑に傳へられてゐる。
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近ごろ賽客頓に多くお祭も盛んに行はれるので、神域社殿の規模狹隘となり、先年當局より隣接國有林六百坪の賃下許可を得て境内を擴張し、目下社殿並に付屬建物全部を改築中で、來年中には全部完成すべく、同社々掌有森氏外氏子十餘名は一致協力、同社改築の奉仕に努力してゐるのは、實に涙ぐましいものがある。
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四季いづれを問はず、賽客列をなし、毎月一、十五、二十八日の例祭、四月の春季大祭、七月の大祓祭、十月の秋季大祭などはその數
物凄く一年平均參詣者一日三百名といふ繁昌ふりだ、勿論靈顯あらたかなるにもよるだらうが市近郊の觀光地としても惠まれた地位を占むるためと見わばならぬ。