山陽新報 昭和十年十一月九日(土曜日)
各觀光地の
撮影競技會
全面的宣傳を目標に
倉敷地方觀光協會の新計畫
倉敷地方觀光協會内にある酒津水門、福山城址、寶貴山(安養寺)、柳井原遊水池、連島寶島寺、本莊村通仙園(兒島)などは本社の新選名勝投票に大活躍をなし、觀光時代の活溌な動きを反映したが、同觀光協會では更に明春の觀光シーズンに備へて全面的に區域内の宣傳紹介に力瘤を入れるべく近々評議員會を開くことになつた、打合事項は多方面に上つてゐるが、その中で注目されるものは撮影競技會で、右は本社倉敷支局が今夏主催した備南風景と産業寫眞競技會に、交通、季節等の都合で撮影洩れとなつた箇所を主として舞臺に入れ、懸賞つきで競技を行はうとするもので詳細は評議員會で確定する筈である
山陽新報 昭和十年十一月二十六日(火曜日)
市の主催で
市民ハイク
◇‥‥合計十本のコースを計畫
第一回を來月一日に
颯爽、ハイキング時代讚仰の音頭を市役所がとつて、倉敷市主催の第一回市民ハイキングを來る十二月一日の日曜日(雨天なれば八日の日曜日)に決行することになつた、市民大衆のための心身鍛錬、史蹟踏査、風景探勝並に現地講演といふのが目的で、第一回後順次コースを開拓して倉敷市を基點に徒歩三、四里を限度とし、乘物若干を加へた程度で合計十本のハイキングコースをつくり市が指導奬勵に當たるといふ明朗颯爽たる新計畫であるが、第一回のコースは左の通りで本社の新選投票で堂々十勝の榮位に座した備中福山城址、同じく十五景を獲得した寶貴山安養寺を頂點とする北部史蹟廻りである、他のコースは目下學務課で調査立案中で第二回は新春早々に行はれるのであらう、第一回の行程は左の通リで市民多數の參加を希望してゐる
第一回(十二月一日)午前八時萬壽小學校集合、同八時二十分出發(合圖サイレン)▲寶貴山安養寺(約一里)午前九時半着、國寶毘沙門天拜觀その他、同十時半出發▲福山城址登山(二十町)十一時二十分着、福山合戰現地講演、岡田山手校長、晝食正午發▲幸山城址(六町)零時二十分着備中兵亂現地視察、同四十分發▲條里の遺制(西郡に於ける班田収授の跡)途中にて菅正十郎氏説明▲清音村大覺大僧正遺蹟(十五町)一時二十分着、輕部寶塔參拜、同四十分發▲同所王子權現埀乳根櫻(五町)一時五十分着參拜、二時十分發▲清音驛二時二十分着、同三十分發列車にて歸倉▲健脚者は埀乳根櫻より倉敷まで徒歩二里弱▲延べ徒歩距離約二里十町
辯当、水筒持參、汽車賃十三錢のほかは經費は要しない、參加者は來る二十九日までに市役所學務課、各小學校、在倉日刊新聞社、同支局に氏名男女別を記して申込めばよい、これは市から學校醫一行の救護班をつけることになつてゐる
山陽新報 昭和十年十二月九日(月曜日)
倉敷市民ハイキング
倉敷市主催の第一回市民ハイキングは八日の日曜日に決行された、雨模様のため豫定を一時間遅らせて午前九時萬壽小學校を出發、本社新選名勝十五景の一つ寶貴山安養寺に國寶毘沙門天その他佛教美術の名寶を拜觀、長岡住職の講演を聽いてのち、新選十勝地福山城址に登山海抜一千尺の山頂で岡田山手小學校長から南朝の忠臣大井田氏經奮戰の講演を聽き一同晝食を喫し、快晴になつた天候に勇■、幸山城址に備中兵亂の■を訪ひ、山上から班田収受の跡を眺め、西に下山して大覚大僧正の遺蹟を弔ひ垂乳根から清音驛に出て、列車で午後四時二十一分と■■で無事歸倉した
(寫眞は寶貴山安養寺の一行)
山陽新報 昭和十年十二月二十一日(土曜日)
倉敷地方觀光協會から
新四勝地へ奬勵金
福山城址、酒津、寶島寺、安養寺
“廿秀”の二ケ所推薦
倉敷地方觀光協會では本社が曩に催した岡山縣新選名勝地投票が觀光地宣傳のために最も有意義なものとし、協會加入區域から晴れの十勝地に二ケ所、十五景に二ケ所當選し、他に二十秀地また淺口郡柳井原遊水池、兒島郡本莊村の通仙園の二ケ所が推薦され、豫期以上の成果を収めた、そこで最初發表した奬勵規定に基き左記四名勝地に奬勵金を贈ることに決定したのでそれぞれ受領方を通知した
十勝地 福山城址(山手村) 酒津水門(中洲村)
十五景地 矢上山寶島寺(連島町) 寶貴山安養寺(菅生村)
山陽新報 昭和十一年二月二日(日曜日)
安養寺毘沙門天の初寅
本社新選十五景の一つ倉敷市外菅生村淺原寶貴安養寺國寶毘沙門天は二日が舊正月十日の“初寅”の縁日に相當する、同日は倉敷、岡山をはじめ遠近各地から毘沙門詣での客が夥しく殺到し未明から夕方にかけて大賑ひをつゞけるが、安養寺では恒例の福市などを催して興を添へ一番乘りの參詣客には大■■を授けられることになつてゐる
山陽新報 昭和十一年三月二十八日(土曜日)
史蹟調査員萩原博士ら
岡山県十勝地福山城址調査
“史蹟”の指定も近きか
十五景地寶貴山安養寺へも
文部省史蹟調査員文學博士荻野由之氏は文部■佐藤久雄氏同伴、本社選奬岡山縣十勝地、備中福山城址調査のため岡山縣社會教育課山本修治氏と共に二十六日午前九時自動車で岡山縣都窪郡山手村西郡に到着、福山城址保勝會岡田副會長及び同村守安助役、守安金作氏らの案内で北登山口から徒歩で福山に登山庚申堂で休憩の上頂上に至り、六百年前南朝の忠臣大井田氏經が死守した福山城の跡を約三時間に亘つて調査し、特に城砦に使用された福山寺の土壁の礎石とか、一千尺の山頂に掘り拔いた井戸などについては最も入念な調査を遂げた、も早やこの由緒ある古戰場福山が史蹟に指定されて國の保存となるのも時日の問題となつたが、荻野博士は
南朝の史蹟としてはこの地方に稀れに見るものだ、史蹟保存にするには福山全山を指定した方がいゝと思ふけれ共、山中に花崗岩の採掘場所もあり、これを禁止してしまふと採掘者に氣毒だから、山頂だけに限つた方が適當かも知れぬ、史蹟保存をする場合は遺蹟の原形を移動させることが禁物で工作物もなるべく手控へて置いた方がよく忠靈殿前に計畫中だといふ拜殿とか休憩所のやうなものも先づ天幕張り位で間に合せておいてもらひたい
と語つてゐた、荻野博士一行は午後一時山頂を出發南側に下山して山つゞきの菅生村淺原に至り、本社選奬十五景の寶貴山安養寺を訪ね、長岡住職の案内で國寶安置の毘沙門堂や五重塔の礎石、往時の寺院の址等平安期から傳はる古刹を詳細に調査して引あげた
山陽新報 昭和十一年四月十九日(日曜日)
十五景の
寶貴山
二十六日安養
寺で入選祝賀
昨秋本社が主催した新選名勝投票に二百十餘万票を獲得して岡山県十五景中に選び出された倉敷市外菅生村淺原寶貴山安養寺では來る二十六日(雨天順延)十五景入選祝賀會を同寺に開催することになつた
發起人に新谷清喜、大倉一義、田邊昌二、宇野藤一、藤山忠造、小崎伊太郎、秋葉二郎、水本政二郎、光畑岩吉、三宅政一、巌津政右衛門の諸氏を擧げ目下準備斡旋中である
式は同日午前十一時から擧行し、式後境内で賀宴を張るが、餘興には倉敷市から屋臺が繰込んだり、舞踊その他陽春にふさはしい數々が計劃されてゐる、國寶の毘沙門樣で知られた寶貴山安養寺は山櫻、吉野櫻、本櫻、牡丹櫻と數種の櫻數百本が淨地に茂り、二十六日頃は八重、牡丹櫻の盛りとならう
なほ會費は一圓であるが別に同寺から參加者に記念品が贈られる、希望者は二十二日までに會費を添へて最寄りの發起人に申込めばよい
山陽新報 昭和十一年四月二十八日(火曜日)
淺原の寶貴山安養寺
十五景入選祝賀
御殿櫻が眞つ盛りの境内で
奉賛催しに人出一萬
本社新選岡山縣十五景倉敷市外菅生村淺原寶貴山安養寺では御殿櫻の眞つ盛りである二十六日正午から同寺境内毘沙門堂(本堂)前庭で盛んな十五景入選祝賀式を執行した
參列した祝賀會員四百余名、發起人を代表して倉敷商工會議所議員大倉一義氏開會の挨拶を述べ、山主長岡徹定師の嚴かな修法と式辭があり、來賓總代山陽新報社常務高見章夫氏の祝辭、會員總代菅生村小學校次席石田劾氏の祝詞があつて後倉敷商工會議所議員光畑岩吉氏の發聲で寶貴山の萬歳を三唱して閉式 つゞいて八重櫻、緋桃の花が撩亂と陽春を飾つた眺望のいゝ境内で賑かな祝宴が開かれた
この日倉敷市からは有志奉賛團が寶船形の屋臺をつくつて假装した七福神と囃し方を乘せて曳き出し、また同市濱の茶屋組の身の丈一丈五尺に及ぶ猛虎の作り物も一旦倉敷市街に繰込み相連ねて朝から目拔き筋を練り廻つた上、途中から淺原青年團も繰出して引曳、陽氣な囃しに景氣を引立てながら一里の道を寶貴山へ引きあげた、安養寺境内の華やかな假舞臺では倉敷阿知町組をはじめ倉敷清音方面から繰込んだ舞踊團體が代る代る夕方まで踊りぬき國寶の毘沙門樣も吉祥天女もどつと笑ひくづれるばかりであつた。
この日遠近から集まつた毘沙門詣での善男善女は一万を越え淺原と倉敷を連ねての盛んな賑ひであつた
寶貴山入選祝賀式
(下)練り歩く奉賛作り物の大虎と寶船