山陽新報 昭和十年十ニ月十ニ日(木曜日)
(※県立図書館所蔵の当該号の状態悪く読めないところが多い。)
本社選奬 景勝地顯揚座談會[三]
將來施設に期待大
十勝十五景二十秀の結合望まる
何れ劣らぬ風光美
小西土木課長 私は觀光事業には別に關與してゐませぬから或るは認識不足であるかもしれませぬが、只今までに承はつたところによりますと、第一國におきましては國立公園が出來、觀光局が出來、これに倣つて各地とも觀光事業に大に努力してゐるのであります
わが岡山縣におきましても今回山陽新報社の主催によつて多數の新景勝地が世に現はれたのでありますから、今後はますます景勝地を活かしてゆくことが必要であらうと思ひます、觀光客吸収には時間といふもの即ち交通の便をよくするためまづ鐵道道路をつけるなり、または岡山驛前とすれば觀光案内■を設け遊覽客をして■に■はせる■■ことのないようにする、縣■は協會、市では協會の内容充實または觀光課の設置等も必要かと思ひます
もう一つは旅館、土産販賣店のサービスについてであるが、これらは組合をつくるとか或はサービスガールをおくなどすれば遊覽客には非常に便利となり、惹いては好感を抱かしめることゝもなると思ひます
杉山座長 ■■■■■■■■景勝地代表の方に■■■■の發御表をお願ひいたします
鹿久居島代表 今回山陽新報新選投票の十勝中に入りましたことは郷土のために眞に喜ばしいことで■■います、■■の■■■■、宣傳などにつきましては今回選ばれました十勝、十五景、二十秀の各地が■つて一丸となり、相協力して進みたいものと思つてゐます
鹿久居島について簡単に申述べて見ます本島の位置は本縣東南部■■■即ち日生、福河兩町村に屬してゐますが、この島の全面には大多府、頭島、鶴島、湖島、曾島などの諸島がありまして、全島いづれも松樹鬱蒼として生ひ茂り、瀬戸内海の碧波の■に浮いてゐる有樣は全く繪のやうな景色であります、吾々は今後これらの島嶼を總合して觀光ルートを作り、全國に呼びかけることになつてゐます、鹿久居島は■■約七里、この砂濱の美しいことはこれまた全國に誇るに■■■ものであります、本島の頂上に立てば瀬戸内海國立公園は一眸のうちに展開し、内海の唯一の展望台といつても過言ではないでせうまた鹿久居島にはその名の示す如く野生の鹿がニ、三百頭も棲息してをります
何故斯の如き名勝地が從來世に出てゐないかと申しますと交通が不便であることゝ昔からの國有林であることゝが最も大きな原因であると思つてゐます、然しながら昔から景色のよいといふことは相當認められて居るらしく、徳川時代の初期にオランダ人が瀬戸内海を航行しました時、瀬戸内海で最も景色の優れてゐるところは鹿久居島附近だといつたことがあるそうです。今や岡南鐵道が建設されるのも時期の問題となりました、交通の便も漸次よくなることゝ思ひます
鐵道省の方でも是非鹿久居島のために便宜を■つて頂きたいと思ひます、吾々としても是非鹿久居島を拂下げて貰ふか貸與して貰って觀光設備の完璧を期したいものと思つてゐます
吉備津神社總代 吉備津彦神社は皆樣も御承知の如く吉備津彦命をお祀りしてある国幣小社でありまして、推古天皇の御宇に創建されたものでありますが、その後高倉天皇の嘉慶二年及び元祿十年に改築したものであります、然し去る昭和五年十二月十四日不幸にして火災に罹り本殿は烏有に歸したのでありますが、縣内外の各位から絶大なる御援助によつて目下盛んに改築中でありますことは誠に感謝に堪へないところであります
今回神社の縣下十勝の選にはいりましたことを好機に、私共は觀光百年の大計を樹てまして着々實行しつゝあります、去る十一月二十日には四千圓の經費を投じて參拜者のために休憩所を設置することになり、目下建築中であります、また神殿造營の上は『吉備の中山』の吉備津神社と相協力して、伊勢の内宮、外宮の如く一つの觀光ルートをつくりたいものと思つてゐます、元來歌枕に名高い“吉備の中山”とは吉備津彦神社から山越に吉備津神社に到る全體を總稱していふのであります、山頂に登れば眺望頗る好く、南方眼下に児島灣を見、遙かに瀬戸内海を隔てゝ讚岐の群峰を一眸のうちに収めることが出來るのであります、斯の如く屋島の展望に比して何等遜色なく、絶好のハイキングコースでありますところから青年ハイカーが最近多く登山するようになりました
またこの附近には全國に稀に見る先住民族の古墳もあり、古代民族が神を色々の樣式で祀つた跡が殘されてをり、考古學的にも一般から大變注目されてゐる土地でありますから是非一度お遊びを願ひたいと思ひます
天王山代表 天王山は和氣驛から東南約五町にありまして山の高さは五十米、南に松瀬川、北に金剛川が流れて和氣町を一■し、西には吉井川を隔てゝ熊山がその雄姿を見せてゐます四季交る交るの眺めは非常美くしい所で御座います、最近山の麓に和氣清麿公のお傳石が出ましたが考古學者は和氣清麿公の菩提寺礎石であらうといつてゐます、碑文もあり誠に貴重な和氣公を研究する上に良い資料であらうと思ひます、
天王山頂には美事なグランドがあります、始め二千五百町の平地がありましたのを利用して大正十四年から百五十人の若人が總動員で二十尺も切り下げて、二千坪のグラウンドを作つたのです、實に關西に誇る大運動場であります、この前南部忠平さんを招いて運動場としての適否の打診を求めましたところ、硬度廣さなどから絶好のグラウンドであると折紙をつけられました、作つた跡から見ると唯單に廣い運動場だなァといふ程度に見えるかも知れませんが、其處には
(判読不能)
ハイキングコースとしては和氣公の先祖がお祭りをしてゐたと傳へられる由伽神社も今回顯れましたのでこれらを取入れたらいゝと思ひます、最後に■■のお方にお願ひし度いのですが、最寄の鐵道驛構内に觀光客誘引のためこの附近には十勝十五景二十秀の景勝地があるといふ標識を■てゝ頂く便宜を得度いと思ひます杉山座長次は